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ブブブ ブブブ。


『ハイ』


短いコールの後電話に出た声は、不機嫌全開だった。


そりゃあね、勝手に家を空けて何日も帰ってこない妹からの電話ににこやかに出ろって言う方が無理だろうけれど、


「・・・」

私の方も、かける言葉が見つからない。


『無言電話か?』

「いや、」

そうではなくて、


きっと心配をかけたんだろうと思って、無事の連絡だけでも入れるべきかと思って、


『お前がここまでバカだとは思わなかったぞ』

「え?」


『俺の妹はもう少し賢くて、事の善悪の判断もできて、人も気持ちもちゃんと理解で切る人間だと思っていたが、』

残念だよと言いたそうに声を落とすお兄ちゃん。


いつものお兄ちゃんなら怒鳴り散らすところだろうに今日はなぜか静かで、それが返って怖い。

叱る気にもならないくらい呆れさせてしまったってことかもしれないし、仕事を投げ出して逃げてしまった私に失望したのかもしれない。



「ごめんなさい」


全て納得の上で覚悟をして取った行動だから、どんな罰を受けることになっても謝らないでおこうと思っていたのに、お兄ちゃんには敵わない。


***


『このまま逃げ続けるつもりか?』

「まさか」


そこまでしようとは思ってはいない。

ただ、今はもう少し2人でいたい。その思いだけ。


『病院から電話があったぞ。具合が悪いならちゃんと受診して診断書を出せって、産科部長って言っていたっけ、かなり心配しているみたいだった』

「そう」


きっと、数日前に当直をして体調を崩した話を山神先生がしたはずだから、私の電話も信じてくれたんだ。


『まさか仮病を使って、男と逃げたとは思ってないみたいだな』


うっ。

本当に、お兄ちゃんは遠慮なく痛いところを突いてくる。


『まあ、俺としては今回のことでお前が職場を変わっても何も言うつもりはない。元気に生きていてさえくれれば文句はない』

「お兄ちゃん」


てっきり叱られると持っていたのに、『生きていてくれればいい』なんて言われて少しだけ感動した。

どんな時もお兄ちゃんは私の味方なのねと、胸が熱くなりかけたとき、


『でもな、徹のことは別だ』

「へぇ?」


『なあ乃恵、お前は本当に今の状況を理解しているのか?』


えっと、それは・・・


***


『鈴森商事の社長は上司であると同時に、徹にとっては親代わりみたいな人だ。家族のいなくなった徹を引き取って育てた人だからな』

「うん」


そのことは私も知っている。

徹さんだって感謝もしているし、社長さんのことを尊敬している。


「その社長を裏切るからには、徹はそれなりの覚悟をしているはずだ」

「覚悟?」


もちろん、想定はしていた。

徹さんの仕事上の立場が悪くなるのかもしれないとは思っていた。

でも、私の読みは甘かったのかもしれない。


「徹さんは鈴森商事を辞めなきゃいけないの?」


仕事を投げ出したことはよくないけれど、あくまでも個人的なトラブルとして処理できないのだろうか。


「それは徹次第だ。実際、誰も徹に会社を辞めて欲しいとは思っていないし。ただ、あいつは頑固で融通が利かないから、いくら周りが説得しても自分が納得しなければ言うことを聞かないだろうな」


さすが長い付き合い、性格も行動パターンもよくわかっている。


***


「とは言えあいつは優秀だからな、鈴森商事としても手放したくはないだろう。今日だって、徹がいないせいで仕事が回らなくて鈴森商事の重役フロア全体がピリピリしていた」

「お兄ちゃん、鈴森商事に行ったの?」


確かに、お兄ちゃんの会社とも取引があるってきてはいたけれど。


『呼ばれたんだよ、専務に』

「専務さんって、徹さんの幼馴染の?」

『ああ。きっと麗子からお前の話も聞いたんだろう、2人の行き先に心当たりはないのかって聞かれた』


「それで、お兄ちゃんなんて答えたの?」


ここへ逃げてきてからお兄ちゃんにも連絡は取っていなかったけれど、携帯の電源は落としていなかったから探そうと思えば居場所は調べられたかもしれない。


『何の連絡もない。って答えておいた』

「そう、ごめんね」


お兄ちゃんにも迷惑をかけたんだ。


『俺のことはいい。それより、専務も麗子も心配している。このままじゃあ徹は仕事も帰る場所も失うぞ』

「うん」


徹さんはきっと覚悟をしているんだと思う。


『お前が止めてやれ。今ならまだ間に合う。徹を元の場所に戻してやれってくれ。徹を止められるのはお前だけだ』

「お兄ちゃん」


やっぱり徹さんとお兄ちゃんは親友なのね。

どんなに怒っても、徹さんの事を心配しているんだから。



『なあ乃恵。こんな形で逃出して、お前は幸せになれるのか?』

「それは・・・」


『俺はな、お前が幸せでいてくれればそれでいい。たとえ徹が路頭に迷うことになっても、それがお前の望みなら文句は言わない。でも、違うだろう?このまま逃げ続けて、徹が今の生活を全て失うようなことになれば、お前はきっと後悔するはずだ』


「そう、ね」

その通りかも。


徹さんと気持ちが通じて凄く幸せな気分だったのに、私はお兄ちゃんの言葉で現実に引き戻された。


***


電話を切り、宿の敷地をフラフラと歩く。


離れから本館へと続く道は人影もなくて、怖いくらいに静か。

物思いには最適だけれど、少し寂しい。

辺りが暗くなったせいか風も冷たくて、ブルッと身震いがした。


そう言えば、昨日から薬を飲んでいないんだった。

着の身着のままでここまで来てしまった私は数回分の薬しか持ち歩いていなかった。



夜露に濡れた石畳の上を歩きながら、私は考えを巡らせる。


あの日、お見合いの席に私がいなければ、徹さんのお見合いはうまくいっていた。

仕事だって順調に進んだだろうし、社長さんとの関係が壊れることもなかった。

私は徹さんといることで凄く幸せだけれど、でも、私は何もしてあげられない。

いつまで生きられるかわからない以上、側にいても何の未来もない。

やはり、私達は共にいるべきではないんだろうか。


あっ。


その時降り出した雨が、顔に掛かった。


ザザァー。

いきなり強くなる雨脚。


「嘘」


傘を持たずにいた私は雨を避ける術がない。

このままでは濡れてしまう。


一瞬考えて、私は走り出した。


離れの部屋は明かりが見えるし、50メートルも走れば着く距離。

走って行けば濡れなくてすむ。

単純にそんな思いだった。

でも後から考えれば、これは自殺行為だったのかもしれない。


***


この時の私は普段と違っていた。


まず、飲み続けるはずの薬を丸1日以上飲んでいなかった。

体調に異変はなかったものの、数日間寝不足が続いていたのも事実だし、色々と体を酷使もした。

もちろんこれは自分の意志であって、徹さんに無理強いされたものではない。

そして、体以上に心が弱っていた。

徹さんを思う気持ちも、徹さんが思ってくれていることも承知の上で、私と一緒にいることで徹さんの未来が閉ざされるかもしれないと知ってしまった。

どうしようもない現実を突きつけられ、無意識のうちに生きたいという気持ちが薄れていた。



あと20メートル。


・・・10メートル。


強くなる一方の雨脚に、私もスピードを上げた。



その時、


ウッ。

急に胸が苦しくなった。


イヤだ、こんなところで倒れたくはない。

そう思っても胸の痛みの息苦しさも消えることはない。


「ウ、ウウゥ」

小さなうめき声を上げて、私は意識を失いその場に崩れ落ちた。

切ないほど愛おしい

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