テラーノベル
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#ハッピーエンド
26
巨大湖の西側には、街の喧噪から切り離されたように静かな森が広がっていた。
少し中へ踏み込むと、木々の合間がぽっかりと開けた場所がある。陽の光が葉の隙間から落ち、風に揺れる草の匂いが鼻先をかすめた。
その真ん中で、オットーが岩に腰掛けていた。腕を組み、顎を上げて大きなあくびをひとつ。
「ふぁぁ……」
待ち合わせのはずなのに、肩の力が抜けきっている。指先で膝を軽く叩き、靴底で土をこすった。やがて、草を踏む軽い足音が近づいてくる。
「待たせたわね」
木々の間から、青い髪を揺らすエリーが姿を現した。片腕には、ずしりと重そうな大きな袋。歩くたびに中身が擦れ、鈍い音が混じる。
オットーはちらりとそれに視線をやり、肩をすくめた。
「問題ねぇよ」
エリーは彼の前に立ち、同じように腕を組んだ。木漏れ日が白い頬をなぞっても、表情は動かない。
「あなたには、攻撃に加われる“火力”を持ってもらうわ」
「火力、ねぇ?」
オットーは後頭部をぼりぼりとかいた。肘が張り、鎧の革がきしむ。
「いいがよ。今から新しいスキル習得したところで、大したもんにはならねぇぞ? なにせこの歳だ」
「《阿修羅》を使いましょう」
言葉が落ちた瞬間、森の音が一段遠のいた気がした。
オットーの目つきが変わる。あくびの名残は消え、瞳だけが細くなった。岩に預けていた背中が離れ、重心が地面へ降りる。
「……残り時間で、あいつらを塔の頂上まで守り切れるんだろうな?」
声が低い。喉の奥で鳴り、草の先がわずかに揺れた。
「鑑定で見たわ」
エリーは顔色ひとつ変えない。
「寿命を“使う”のよね」
「あぁ」
オットーは短くうなずいた。
「あいつらを、この塔のてっぺんまで運べればいい」
言い切ったあと、息がひとつ落ちた。
「寿命の減りは、短時間ではごく僅か」
エリーは数式でも並べるように淡々と続ける。
「例えば、十秒の発動では、ほとんど減らないわね?」
オットーは威圧を残したまま、少しだけ眉をひそめた。
「あぁ。おそらく、一秒にも満たねぇ……」
そこでエリーは、すっと人差し指を立てた。
「だったら、“攻撃の瞬間だけ”発動すればいいのよ」
「……は?」
オットーは腕を横に振り払う。
「無理だ。継続時間は俺には制御できねぇ。一度発動すりゃ、いつ収まるかわからねぇんだよ」
「だから、それを制御するの」
エリーの視線は揺れない。
「攻撃のインパクトの瞬間だけ発動する。連撃なら、そのたびに」
オットーは口を開きかけて、閉じた。舌打ちも出ない。喉が一度鳴り、視線だけが地面に落ちる。
「……言うのは簡単だぜ、お嬢ちゃん」
苔むした岩から立ち上がる。大男の影が草の上に伸び、揺れる。肩が前へ出た。
「仮に制御できたとしても、無理だ」
太い腕を振り払うようにして叫ぶ。
「スキルは発動する時に一番体力を使う。連撃のたびに発動したら、体力が持たん……理屈はわかるが、机上の空論だ」
荒い息が漏れた。胸が上下し、喉の奥が鳴る。頭の中に、過去の“後”が次々差し込む。痙攣する腕。心臓の焼ける感覚。寝台の上で指一本動かせない時間。骨の奥に残る、削れた実感。
「いいえ、できるわ」
エリーは淡々とした声を崩さない。
「私があなたに“呪い”をかけるから」
そう言って、手に持っていた大きな袋の口を開いた。
むっと生臭い匂いが広がる。袋の中から、サハギンの頭部が五つ、ごろり、と転がり出た。乾きかけた鱗が木漏れ日を鈍く弾き、歯の隙間に砂が詰まっている。
「……ちょっと待ってくれ」
オットーは思わず半歩退いた。靴底が土をこすり、枯れ葉が鳴る。
「なんの呪いだ?」
エリーの表情が、そこで初めて硬くなる。目の焦点が一段深くなった。
「《阿修羅》の解放限界を十秒までに制限するわ」
言葉の切れ味が違う。
「十秒以上使えば——強制失神」
「はぁ!?」
オットーの怒声が森に跳ね返る。枝の先で小鳥が飛び立った。
「もし失神したら盾はどうなる!? 俺は“盾”として最後まで立つ義務がある!!」
拳が握り込まれ、地面が鳴った。土がわずかに跳ね、草が寝る。
「あれは“切り札”だ。あいつらが死にかけた時には、迷いなく使うって決めてる」
エリーの口元が歪む。眉が寄り、言葉が鋭く落ちた。
「切り札?」
冷ややかに言い返す。
「あなたの寿命を“梯子”にして? それが間違ってるのよ、根本的に」
「それは俺だってわかってる!!」
オットーも負けじと怒鳴り返した。喉の奥が擦れ、声が少し割れる。
「だったら制御しなさい」
「制御ったって、どうすりゃいい!?」
声が掠れた。肩が上下し、唾を飲む音が混じる。
エリーは一度、ふぅと小さく息を吐いた。次に口を開いたときには、声色だけがいつもの冷静に戻っている。
「イメージの問題よ」
淡々と、しかし一言も無駄にしない声で続ける。
「スキルを“小さく分割”するの。そうすれば、スキル発動時に必要な体力も少なく済むわ」
「……はぁ?」
オットーは額に皺を寄せた。
「スキルの分割!? そんなもん、聞いたこともやったやつもいねぇぞ」
「三千年前にやった男を知っているわ」
さらり、と言い切る。
「……三千年前って」
オットーは呆気に取られ、エリーを見つめた。口が半開きのまま止まる。
「お前、何歳だよ?」
エリーは面倒くさそうに口をひらく。
「あら」
青い瞳がきらりと光る。
「女性に年齢を聞くなんて、失礼よ」
軽口のはずなのに、空気は張ったままだ。オットーはしばらく黙り込み、やがてゆっくりと目つきを変えた。戦場で何度も決めてきた目に戻る。
「……本当にできるんだな?」
低く、重い声で問う。
エリーもまた、真っ直ぐにその視線を受け止めた。
「えぇ」
迷いのない即答。
「“あいつら”を、塔の頂上まで連れて行けるんだな?」
確認ではなく、釘を打つ問いだった。
エリーは一瞬だけ目を細め、それからはっきりと頷く。
「そうよ」
オットーは大きく息を吸い込んだ。胸の奥の塊ごと飲み込むみたいに。吐き切らずに止め、最後に吐いた。
「……わかった」
拳を握り、エリーを真正面から睨み据える。
「呪いをかけろ」
エリーは足元の石をいくつか拾い上げ、手際よく積み上げていった。角が揃っていない石が、土の上で小さく擦れる。粗雑だが、必要最低限の形を満たした小さな祭壇が森の中にぽつりと生まれる。
「そこに立って」
指先で示され、オットーはその前にどすんと立つ。巨体が影を落とし、祭壇の石が一瞬見えなくなる。
エリーは祭壇の前に立ち、両手を胸の前で組む。薄く唇が開き、聞き慣れない響きが零れ始めた。
「フュス・グラナ・アトゥル・ラグナ……サハギン・ファーレ、アシュラ・バインド……」
低く、湿ったような声。積まれた石と、袋から覗くサハギンの頭部が、詠唱に合わせてじわりと黒ずんでいく。
次の瞬間。
バチッ。
オットーの足元に、どす黒い光の線が走った。幾何学的な紋様が一気に描かれ、彼の身体を中心に巨大な魔法陣が広がる。空気が重くなり、草の匂いが薄れた。
「ふぅ……」
オットーはわずかに喉を鳴らした。魔人と対峙した記憶が、皮膚の内側にまとわりつく。黒い光はやがて収束し、その全てが一点——胸、心臓のあたりへと吸い込まれていく。
ぐ、と息が詰まる圧迫感。心臓を掴まれ、強引に握られているような嫌な感覚が走った。
そして、ふっと消える。
魔法陣も、黒い光も、生臭い匂いさえも。残ったのは、湿った土と汗の匂い。木々の葉が、風で擦れる音。
エリーも額の汗をぬぐい、小さく肩で息をした。
「……終わったわ」
息を整えながらも、その目はオットーの胸元をじっと見つめ続けている。
オットーは軽く胸を叩き、首を回した。骨が鳴った。
「そうか」
短い返事。腹を括った男の声音だけが残る。
「発動時に“汗腺の穴”を絞るイメージらしいわ」
さらっと、とんでもないことを言うエリー。
「おいおい」
オットーは頭をがしがしかきむしる。
「汗線って……イメージできねぇな」
「できるまでやるのよ」
即答。余白がない。
オットーは深く息を吸い込み、ぐっと重心を落とした。膝が鳴り、足裏が土を噛む。
次の瞬間、空気が変わった。
「——《阿修羅》」
低く呟いた声と同時に、周囲の魔力が一気に爆ぜる。森の空気が押し広げられたみたいに震え、木々の葉がざわりと音を立てた。
「ぐおぉおおおおおおおおおお!!」
喉から人間のものとは思えない咆哮がほとばしる。血走った目が見開かれ、口の端から泡混じりのよだれが飛び散った。
筋肉が一斉に膨れ、血管が腕に浮く。皮膚の下で何かが暴れているのが見える。
「……ッ」
エリーでさえ、一瞬だけ目を細めて距離を測り直した。
「最高だぜぇ……」
オットーは震える声でうっとりと呟いた。だが言い切る前に——
バタンッ。
糸が切れたみたいに、その巨体が前のめりに倒れ込んだ。
地面が、どん、と低く鳴る。
圧倒的だった気配は嘘みたいに消え、そこには盛大に白目を剥いて寝ているおっさんが一人だけ。頬が土に押しつけられ、息だけがふん、と鳴っている。
「……はぁ」
エリーは長い長い溜息をついた。
「まあ、最初はこんなものかしら」
近づくと、オットーの脈を簡単に確認する。問題ないと判断すると、ぱんぱん、と手を払った。指先に残る魔力を落とすみたいに。
「……あとはあなた次第よ」
小さく呟いて、くるりと踵を返す。
気絶した大盾役をその場に置き去りにして、エリーは森の中へと歩き去っていった。頭上では、何も知らない小鳥たちが、のんきにさえずっているだけだった。
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