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紫苑の花が、今年も咲いた。
校舎裏の古びたフェンスの向こう。誰も立ち入らない空き地に、薄紫の花が風に揺れている。秋になると、決まってそこだけが色づく。
俺はその景色が、昔から妙に好きだった。
理由はわからない。ただ、胸の奥がざわつく。懐かしいような、苦しいような――そんな感覚。
「……また来てる」
背後から声がした。
振り向くと、見慣れない制服の男子が立っていた。同じ高校のブレザー。でも、こんな奴、クラスにいたか?
綺麗な茶髪が、風に揺れる。その瞳は、まっすぐ俺を見ていた。
「ここ、好きだよな」
「え?」
初対面のはずなのに、なぜか断言された。
「……誰だっけ」
失礼だと思いながらも、口からこぼれる。
彼は少しだけ寂しそうに笑った。
「ひどいなあ」
その笑い方を、俺は知っている気がした。
けど、思い出せない。
頭の奥がじん、と痛む。
紫苑が風に揺れる。
「やっと会えたのに」
その言葉が、やけに胸に刺さった。
「……俺たち、どこかで会った?」
聞いた瞬間、彼は少し目を伏せる。
「うん」
静かな声。
「約束、したでしょ。紫苑が咲いたら、またここで会おうって」
心臓が、強く打つ。
そんな約束――覚えていない。
でも。
なぜか、涙が出そうになった。
涙が出そうになった理由を、自分でも説明できなかった。
「……そんな約束、してない」
否定したはずなのに、声が弱い。
彼女は紫苑の花を一本、そっと指でなぞった。
「忘れちゃったんだ」
責めるでもなく、ただ事実を告げるみたいに言う。
胸がざわつく。
「俺、お前の名前も知らない」
「知ってるよ」
即答だった。
彼は一歩、近づく。
「いるま。高二。バスケ部。怖いのが苦手」
息が止まる。
「……なんで」
「だって」
彼は少しだけ笑う。
「ずっと、見てたから」
その言い方が、妙に引っかかった。
“ずっと”?
いつから?
「お前は?」
俺が聞き返すと、彼は一瞬だけ迷った。
「……言わなくても、思い出すよ」
はぐらかされた。
チャイムが遠くで鳴る。
はっとして校舎を見る。五時間目が始まる時間だ。
視線を戻すと――
彼は、いなかった。
「は?」
ほんの数秒。目を離しただけだ。
フェンスの向こうは見通しがいい。隠れる場所なんてない。
風だけが吹いている。
紫苑が、揺れる。
一本だけ、花が地面に落ちていた。
俺はフェンス越しに手を伸ばす。
指先が、花びらに触れた。
冷たい。
妙に、冷たかった。
その瞬間。
――「約束だよ。絶対、忘れないでね」
知らないはずの声が、頭の奥で響いた。
頭痛が走る。
しゃがみ込んだ俺の手の中で、紫苑が震えていた。