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「優しくしなくていいです!立花さんのハンコをわざわざ押したの、困ればいいと思ったからなんですよ!? 見つけてラッキーって、これ使えるって、陥れてやろうって……」
「うん、川口さんの荷物隠しちゃったのと同じで……何か私に原因があるんだよね?」
真衣香はチクリと、自分の胸の痛みを感じながらも努めて優しい声で答えた。
人に負の感情をぶつけられることは、やはり悲しいし、できれば見ないふりをしたい。
けれど、それでは、何も変わらないだろう。笹尾も、真衣香自身も。
しかし直視する勇気は持ち続けられず、視線を落とした真衣香。
そんな様子に気がついているのか、いないのか。笹尾は「今日のことだけじゃないです」と、付け加えてさらに言葉を続けた。
「川口さんが、男たぶらかせて……って。あの噂、も。きっと最初に口にしたのは私です」
「……え!?」
まさかの発言に、さすがの真衣香も大きく驚いてしまう。
「ど、どうして……?」
恐る恐る聞き返すと、涙を拭いながら笹尾はゆっくりと説明するように、話し始めた。
「あの日、人事部に評価シートの書き方教えてもらいにいってて、立花さんが倒れたの見て……。その後、坪井さんが慌てた様子で駆け込んできて」
……あの日、とは。考えるまでもなく今月初めの出来事だ。思い出すと、今も苦しい。
「私、そんな坪井さんの後をつけて、応接室で3人の様子見ちゃって。羨ましくて、悔しくて、仕方なかった!私は川口さん相手にこんなに惨めで疲れ切ってて……。つ、坪井さんの眼中にもなくて。なのに立花さんは、みんなに守られて、優しい総務の人たちと楽しそうに仕事してて、なんで?って、私ばっかりなんで……って」
声を張り上げる笹尾を前に、真衣香の心は不思議と冷静だった。
いや、冷静になっていくことが、できた。
(そっか……)
人の傷は見えないものなのか。そう、思ったから。
……真衣香には、こんなにも傷つき続けている笹尾の傷など全く見えなかった。
たまにすれ違う彼女はいつも可愛らしくて、笑っていた。
その可愛らしさが、眩しいほどだった。
そして、笹尾にもそう映っていたのだという。こんな自分のことを、羨ましいと。そんな目で見ていた人がいるなんて。
目に映る他人の姿など、ごく一部でしかない。僅かな一欠片でしかない。
きっと、誰だって。
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