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階段を上がると開放的なダークブラウンの木製手すりが左側にあり、目を引く。三階に到着すると目前の廊下から奥へ伸びる本棚。そして窓。プチホール図書館をイメージして作った空間は、この家でいちばん最高の舞台や。
「新藤さん、こんなに素敵な空間をありがとうございます!」
空色が俺の手を取って笑ってくれた。それだけで心がせわしなく動き出す。
ドキドキと鼓動が高まる。
静まれ。今、中森だけでなく空色の旦那も目の前にいるのに。
誰かにこの気持ちを悟られたら終わりや。頼むから静まってくれ――……
ぎゅっと下唇を噛みしめ、激しい動機をなんとか鎮めた。
三階は右側に彼ら夫婦の寝室、その奥にベビールームがある。
「傷や破損が無いか、今一度ご確認をお願いします」
中森が最終確認を行い、全ての項目にオーケーのチェックを入れた後、問題が無ければ印鑑を押すように言った。
傷や破損も特になく、彼らはとても満足している様子だった。印鑑もスムーズに押してもらえたのでこれで引き渡しが完了となる。
「本当に長らくの間お世話になり、ありがとうございました。用事があるので僕はこれで失礼いたします」
旦那が頭を下げて挨拶してくれた後、メンバーを待たせているからとギターを背負って慌ただしく出て行った。
「光貴さん、もうすぐデビューライブですね。五人になったサファイアのライブ、私も見に行きたかったです。チケットを取るつもりでしたが、争奪戦に勝ち残ることができませんでした」
後に残された空色に話しかけた。
サファイアのライブを見れなくて残念や。デビューライブだからそのうちDVDになって世に出るだろうから、その時に買って観るしかないな。
空色とサファイアの話をして盛り上がった。彼女とこうやって話すのも最後になると思うと切なくなる。
でも、これでいい。これから出産を控える彼女は、俺みたいな男と関わる時間もなくなるだろう。引きずるとは思うけれど、会わなければいつか忘れる時がくる。
さっきは危なかった。罪のない無垢な笑顔を、もう俺に向けないで欲しい。
でないと忘れられなくなるから。
自宅の最終チェックの後、中森は次の現場があるため早々に帰って行った。
新居や細々とした備品の使い方について説明をしていると、引っ越し業者がふたりでやってきた。空色の指示で段ボールに書かれた数字ごとに一階・二階・三階に分け、空いている部屋に運んでもらう段取りを付けた。
身重の彼女にひとりで引っ越し作業ができるとはとても思えない。旦那が留守にすることはわかっていたことと、空色が心配だったので荷物を運ぶ手伝いを申し入れた。
荷下ろしをしている最中に、家電や机・贈り物等の別の荷物が届いた。
「ご家族はお手伝いにいらっしゃるのですか?」
誰も来る気配がないので聞いてみた。すると空色からは、いいえ、今日は誰も来ません、と言われた。家族が手伝いにくる予定だったが、インフルエンザにかかったらしくこれなくなってしまったらしい。
予定日も迫っているのに旦那はライブの打ち合せ中。俺が残って手伝わなかったら、色々どうするつもりなのだろう。
家族が無理なら業者に頼むこともできるのに。もう少し空色の身体の配慮をして欲しい。俺が運んだ段ボールの書き込みは、全部彼女の字だった。綺麗で美しい達筆の字は空色のもので、旦那の字ではなかった。
彼の配慮の無さに俺がイライラした。
出来る限り彼女には休んでもらってふたりの業者と俺で手分けして片付け、三人がかりで荷物を運びこんだ。めまぐるしい時間はあっという間に過ぎ、気が付けば西に傾きかけた太陽の光が街を照らす時刻となっていた。冬の夕暮れは早い。