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第36話「エルフの元婚約者にも新しい恋の予感」
月曜日。
午前十時。
営業企画部。
森野リリカの髪には。
七十年以上前の銀色の髪飾り。
それを買ったのは。
元婚約者。
神崎レオン。
長年持っていたのは。
昔の恋人。
橘宗一郎の父。
そして。
今の恋人は。
相沢直人。
田中美咲が言う。
「改めて考えるとすごいですね」
森野。
「考えなくていいです」
「歴史があります」
「仕事してください」
「百四十三年の恋愛史」
「田中さん」
「はい」
「本当に仕事してください」
神崎がパソコンを見たまま言う。
「私としては」
森野。
「何?」
「買ったことすら忘れられていたのが一番悲しいです」
「七十年以上前でしょう」
「正確には九十年以上前です」
相沢。
「そんな前なの?」
神崎。
「昭和の初めです」
田中。
「歴史資料じゃないですか」
森野。
「髪飾りです!」
そこへ。
受付から内線。
部長が取る。
「はい」
「……はい」
「神崎?」
神崎が顔を上げる。
「私ですか?」
部長。
「お客さん」
「誰でしょう」
「女性」
営業企画部。
一瞬。
静かになる。
田中の目。
光る。
森野も。
神崎を見る。
神崎。
「何ですか」
森野。
「別に」
耳。
ぴく。
神崎。
「面白がってますね?」
「面白がってません」
ぴく。
相沢。
「耳」
森野。
「今日は私の話じゃありません!」
数分後。
女性が入ってくる。
三十歳前後に見える。
長い栗色の髪。
スーツ。
人間。
少なくとも。
耳は丸い。
「神崎さん」
神崎が。
珍しく驚く。
「水原さん?」
女性が笑う。
「お久しぶりです」
「どうしてここへ?」
「近くまで来たので」
「連絡いただければ」
「驚かせようと思って」
田中。
見ている。
森野。
見ている。
月島セシル。
見ている。
相沢。
一応仕事しているふり。
女性が周囲に気づく。
「あ、すみません」
神崎が紹介する。
「以前の職場で一緒だった、水原香織さんです」
水原が頭を下げる。
「水原です」
部長。
「どうも」
森野。
「初めまして」
田中。
「初めまして!」
田中だけ。
声が明るい。
神崎。
「田中さん」
「はい?」
「何ですか、その顔」
「普通です」
水原が。
神崎の耳を見る。
「あ」
神崎。
「はい」
「本当に出してる」
「ニュース見ました?」
「見ました」
水原は。
神崎の長い耳をじっと見る。
「似合いますね」
神崎の耳。
ぴく。
営業企画部。
全員。
止まる。
森野。
ゆっくり神崎を見る。
月島も。
神崎を見る。
田中は。
ほとんど身を乗り出している。
神崎。
「……ありがとうございます」
耳。
ぴく。
森野が小声。
「レオン」
「何ですか」
「耳」
「何です?」
「動いた」
「動きますよ」
「今まであまり動かなかったのに」
「個人差です」
「今は?」
「仕事してください」
森野。
笑う。
「それ、私の台詞」
水原は。
近くのカフェで昼食でも。
と神崎を誘う。
神崎。
少し迷う。
「十二時なら」
「じゃあ待ってます」
「はい」
水原が帰る。
扉。
閉。
三秒。
田中。
「誰ですか?」
神崎。
「説明しましたよね」
「元同僚」
「はい」
「それだけ?」
「それだけです」
耳。
ぴく。
全員。
「……」
神崎が。
自分の耳を押さえる。
森野。
「レオン」
「何ですか」
「嘘」
「……」
相沢。
「耳って便利だな」
森野と神崎。
同時に。
「便利じゃありません!」
昼。
神崎。
水原と外出。
社員食堂。
森野。
相沢。
田中。
月島。
田中が言う。
「どう思います?」
森野。
「何が?」
「水原さん」
「感じのいい方でした」
「そうじゃなくて」
「何ですか」
「神崎さんと」
森野。
「知りません」
田中。
「元婚約者ですよね?」
「九十年近く前です」
「気にならない?」
森野は。
少し考える。
耳。
動かない。
「幸せになってほしいですよ」
相沢が見る。
「本当に?」
「はい」
「全然嫉妬しない?」
「しません」
耳。
静止。
「本当に?」
「本当です」
相沢。
少し安心。
森野が。
じっと見る。
「何ですか」
「いや」
「私がレオンに嫉妬したほうが嬉しかったですか?」
「違います」
ぴく。
森野。
「耳がないから分からない」
「人間の耳はそういう機能ないから」
月島が言う。
「でも」
全員。
見る。
「神崎さん」
「はい」
「ずっと森野さんが好きだったんですよね」
森野。
「たぶん」
「新しい人を好きになれるんでしょうか」
森野は。
少し黙る。
「なれますよ」
「そう思います?」
「はい」
「どうして?」
森野は。
相沢を見る。
「長く生きていても」
少し笑う。
「新しく好きになることはありますから」
耳。
ぴく。
相沢。
笑う。
森野。
「笑わないでください」
午後一時十五分。
神崎。
戻る。
田中。
時計を見る。
「一時間十五分」
神崎。
「昼休みです」
森野。
「どうでした?」
「食事です」
「楽しかった?」
「普通です」
ぴく。
森野。
「楽しかったんだ」
「普通です」
ぴく。
月島。
「耳、かなり正直ですね」
神崎。
「月島さんまで」
田中。
「次は?」
「何が?」
「会う約束」
「ありません」
耳。
動かない。
田中。
「あ、本当にない」
神崎。
「残念そうにしないでください」
午後四時。
神崎のスマートフォン。
震える。
神崎。
見る。
耳。
ぴく。
森野。
見る。
「水原さん?」
神崎。
「違います」
ぴく。
森野。
「水原さん」
神崎。
「……」
田中。
「何て?」
神崎。
「どうして報告する必要があるんですか」
月島。
「次のお誘い?」
神崎。
「仕事してください」
森野。
「やっぱり」
神崎。
「リリカ」
「はい」
「最近」
「何?」
「性格悪くなりましたね」
「相沢さんの影響です」
相沢。
「俺?」
その日の夜。
相沢と森野。
帰り道。
手をつなぐ。
森野の髪には。
銀色の髪飾り。
「レオン」
森野が言う。
「うん」
「水原さんのこと」
「うん」
「好きになると思います?」
相沢。
「分からない」
「ですよね」
「でも」
「何?」
「森野さんは、そうなってほしい?」
森野は。
少し考える。
「はい」
「どうして?」
「レオン」
少し間。
「私のことを長く待ちすぎたから」
「……」
「私が悪いわけではないと思います」
「うん」
「でも」
「うん」
「私が相沢さんと付き合っている隣で」
手を握る。
「ずっと一人でいる必要はないです」
「そうだね」
森野が笑う。
「それに」
「何?」
「レオンに恋人ができたら」
「うん」
「私たちのことに口を出す暇が減ります」
「そっち?」
「大事です」
翌日。
午前十時。
神崎が。
会議室へ向かう。
その途中。
森野が呼ぶ。
「レオン」
「何?」
「今日」
「はい」
「髪」
神崎が止まる。
「髪?」
「いつもより整ってる」
「いつも整えています」
ぴく。
「香水も違う」
「……」
田中も。
顔を上げる。
「本当だ」
神崎。
「皆さん」
「はい」
「人のことを観察しすぎです」
そこへ。
受付から電話。
部長。
「神崎」
「はい」
「水原さん」
神崎の耳。
ぴく。
「また?」
「今日も近くに来たって」
田中。
「二日連続!」
神崎。
「静かにしてください」
森野。
「行ってきたら?」
「仕事中です」
「五分くらい」
「リリカ」
森野は笑う。
「元婚約者として」
「はい」
「応援します」
神崎は。
少し森野を見る。
そして。
笑った。
「余計なお世話です」
耳。
ぴく。
午後。
水原から。
神崎に正式なお誘い。
土曜日。
美術館。
神崎は。
十分悩んだあと。
了承した。
田中が。
なぜか知っていた。
「初デートですね!」
「デートとは言ってません」
ぴく。
森野。
「デート」
神崎。
「違います」
ぴく。
月島。
「デートですね」
神崎。
「違います」
ぴく。
相沢。
「耳」
神崎。
「全員仕事してください!」
そして。
土曜日。
美術館前。
午前十一時。
神崎レオン。
百四十七歳。
待ち合わせ。
十分前。
スーツではない。
紺のジャケット。
白いシャツ。
耳は。
隠していない。
水原香織が。
歩いてくる。
「神崎さん」
「こんにちは」
「待ちました?」
「いえ」
水原が。
神崎を見る。
そして。
笑う。
「今日も耳、出してるんですね」
「はい」
「そっちのほうが」
神崎の耳。
ぴく。
「私は好きです」
神崎。
止まる。
百四十七年間。
何度も。
人間社会で。
働いた。
別れた。
名前を変えた。
そして。
六十八年前。
森野リリカに。
婚約を断られた。
それでも。
ずっと。
心のどこかで。
彼女を待っていた。
だが。
その日。
神崎レオンは。
初めて。
森野以外の女性の言葉で。
耳を赤くした。
コメント
1件
読了しました🌷 神崎さんの耳がまさかこんなに正直だったとは…! 水原さんの「似合いますね」にぴくぴく反応する姿に思わずにっこり。そして森野さんが「幸せになってほしい」と本心で言えるまでの距離感、ちゃんと消化してきたんだなと感じられてじんわりきました。最後の「初めて森野以外の女性の言葉で耳を赤くした」、この一文にエピソード全部の体温が集まっていて、すごく好きです。