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第37話「百四十七歳のエルフが初デートする場合」
土曜日。
午前十一時。
美術館前。
神崎レオン。
百四十七歳。
水原香織。
三十二歳。
年齢差。
百十五歳。
水原が言った。
「耳、出してるほうが私は好きです」
神崎の耳。
ぴく。
「ありがとうございます」
「赤くなりました?」
「なってません」
ぴく。
水原が笑う。
「動くんですね」
「多少」
「前の会社では全然分からなかった」
「隠していましたから」
「触ってもいいですか?」
神崎。
停止。
「いきなりですね」
「あ、ごめんなさい」
「いえ」
「失礼でした」
「かなり」
「すみません」
神崎が笑う。
「冗談です」
水原も笑う。
「でも触りません」
「お願いします」
二人。
美術館へ入る。
西洋絵画展。
水原が。
一枚の絵の前で止まる。
「十九世紀か」
神崎。
「はい」
「神崎さん」
「何でしょう」
「このころ」
嫌な予感。
「生きてました?」
「生きてません」
「本当?」
「私、一八七九年生まれです」
「十分古いですね」
「水原さん」
「はい」
「百四十七歳を古いと言わないでください」
「すみません」
少し進む。
次。
一九二〇年代の絵。
水原。
「これは?」
神崎。
「生きてます」
「何してました?」
「学校にいました」
「小学生?」
「違います」
「中学生?」
「違います」
「じゃあ?」
神崎。
「そのころ」
少し考える。
「リリカと婚約していました」
水原が。
止まる。
「リリカ?」
「あ」
神崎も止まる。
「森野さんです」
「森野さん?」
「はい」
「婚約?」
「昔の話です」
「どのくらい昔?」
「六十八年前に解消しました」
水原。
「……」
神崎。
「……」
水原。
「情報量が多いです」
「でしょうね」
カフェ。
二人。
コーヒー。
水原が聞く。
「じゃあ」
「はい」
「森野さんが元婚約者?」
「はい」
「今も同じ会社?」
「はい」
「同じ部署?」
「はい」
「席も近い?」
「はい」
「森野さんには今、恋人が?」
「相沢さんです」
「同じ部署?」
「はい」
水原。
コーヒーを置く。
「すごい職場ですね」
神崎。
「最近私もそう思います」
「神崎さん」
「はい」
「森野さんのこと」
一拍。
「まだ好きですか?」
神崎の耳。
動かない。
「はい」
水原が。
少し驚く。
神崎は。
続ける。
「好きですよ」
「……」
「たぶん」
コーヒーを見る。
「これからも」
水原は黙る。
神崎が言う。
「でも」
「はい」
「戻りたいとは思っていません」
「どういうこと?」
「長く好きだった人を」
少し考える。
「嫌いになる必要はないと思っています」
「……」
「ただ」
「はい」
「その人と一緒になることだけが」
神崎は言う。
「好きという感情の結末ではないので」
水原は。
しばらく神崎を見る。
「百四十七歳って」
「はい」
「そういうことを言えるようになるんですね」
「いえ」
神崎が笑う。
「最近やっとです」
水原も笑う。
「安心しました」
「何が?」
「最初から達観してる人だったら」
「はい」
「面倒そうなので」
「ひどいですね」
午後二時。
美術館を出る。
公園。
水原が聞く。
「神崎さん」
「はい」
「今日」
「はい」
「デートですか?」
神崎。
「……」
耳。
ぴく。
「美術館です」
「場所を聞いてません」
「休日の外出です」
「関係を聞いてます」
神崎。
黙る。
水原。
笑う。
「答えにくい?」
「少し」
「じゃあ私が決めます」
「はい?」
「デートです」
神崎の耳。
ぴく。
水原。
「嫌ですか?」
「……」
耳。
ぴく。
「嫌ではありません」
「じゃあ決定」
「そんな簡単に?」
「百四十七年考えるつもりですか?」
神崎。
笑う。
「それは長すぎますね」
夕方。
駅。
水原。
「今日は楽しかったです」
「私もです」
耳。
動かない。
本心。
「また行きましょう」
「はい」
「今度は」
「はい」
「森野さんの話」
神崎が止まる。
「なしで」
「……」
「私」
水原が言う。
「元婚約者とデートしたわけじゃないので」
神崎の耳。
ゆっくり上がる。
「分かりました」
「神崎さんとデートしたので」
ぴく。
「はい」
「では」
「はい」
「また」
水原が改札へ。
神崎は。
その背中を見る。
しばらく。
動かない。
そして。
スマートフォンを出す。
メッセージ。
森野へ。
『今日、水原さんと出かけました』
すぐ。
既読。
返信。
『知ってます』
神崎。
『なぜ?』
森野。
『田中さんから聞きました』
神崎。
『なぜ田中さんが知っているんですか』
森野。
『知りません』
さらに。
森野。
『どうでした?』
神崎。
少し考える。
『楽しかったです』
送信。
三秒。
森野。
『よかった』
神崎は。
その四文字を。
少し長く見ていた。
翌月曜日。
午前九時。
営業企画部。
神崎出社。
森野。
「おはよう」
「おはようございます」
田中。
「おはようございます!」
神崎。
「声が大きいですね」
月島。
「おはようございます」
相沢。
「おはよう」
全員。
神崎を見る。
神崎。
「何ですか」
田中。
「土曜日」
「美術館へ行きました」
「水原さんと?」
「はい」
「楽しかった?」
「はい」
耳。
静止。
森野。
少し笑う。
「よかった」
神崎が。
森野を見る。
「何です?」
「何も」
「その顔」
「何ですか」
「完全に面白がってますね」
「違います」
ぴく。
神崎。
「耳」
「私の耳はいいの!」
午前十時半。
水原からメッセージ。
神崎のスマートフォン。
震える。
神崎。
見る。
耳。
ぴく。
田中。
見る。
神崎。
スマートフォンを伏せる。
田中。
「水原さん?」
「仕事してください」
「当たり?」
「仕事」
森野。
「次の約束?」
「リリカまで」
月島。
「どこですか?」
「月島さんも?」
相沢。
「もう諦めたほうがいい」
神崎。
「相沢さんだけは味方だと思っていました」
「俺は関わらない」
「ありがとうございます」
相沢。
「でも耳は赤い」
神崎。
「……」
全員。
笑う。
昼。
神崎は。
一人で屋上へ。
スマートフォン。
水原から。
『来週の日曜日、空いていますか?』
神崎は。
返信を書く。
消す。
また書く。
消す。
百四十七歳。
仕事なら。
数億円の案件でも。
すぐ判断できる。
恋愛になると。
十五分。
経過。
そこへ。
森野。
屋上へ。
「レオン」
神崎。
「何ですか」
「まだ返事してないの?」
「どうして知ってるんですか」
「十五分スマホ見てるから」
「見てたんですか」
「たまたま」
ぴく。
「嘘」
森野は隣に立つ。
「行けばいいじゃない」
「簡単に言いますね」
「簡単ですよ」
「あなた」
神崎が見る。
「相沢さんに告白されるまで、どれだけ逃げました?」
森野。
「……」
「監視です、と言い続けて」
「……」
「手をつないでも監視」
「……」
「デートしても仕事」
森野。
「昔の話です」
「数か月前です」
森野の耳。
ぴく。
神崎が笑う。
「説得力がありません」
森野は。
少し黙る。
そして。
真面目になる。
「レオン」
「はい」
「私」
「はい」
「あなたがずっと私を好きだったこと」
「……」
「知ってました」
神崎は黙る。
「知っていて」
森野が続ける。
「何もできなかった」
「それはあなたの責任ではありません」
「分かってます」
「なら」
「でも」
森野は言う。
「あなたが」
少し笑う。
「私じゃない人からメッセージが来て」
「はい」
「十五分も悩んでるの」
「……」
「ちょっと嬉しいです」
神崎の耳。
わずかに動く。
「ひどいですね」
「はい」
「元婚約者なのに」
「元婚約者だからです」
神崎。
笑う。
「そうですか」
「はい」
「では」
神崎は。
スマートフォンを見る。
返信。
『空いています』
送信。
すぐ。
既読。
『では、水族館に行きませんか?』
神崎。
森野を見る。
森野。
「行ってください」
「あなたたちも水族館でしたよね」
「はい」
「エルフは水族館でデートする決まりでも?」
「ありません」
「では」
返信。
『ぜひ』
送信。
森野の耳が。
少し上がる。
午後。
営業企画部。
部長が。
一枚の資料を持ってくる。
「神崎」
「はい」
「悪いニュース」
「何でしょう」
「出向期間」
「はい」
「あと一か月だろ」
営業企画部。
少し静かになる。
そうだった。
神崎は。
もともと。
六か月限定の出向。
「先方から」
部長が言う。
「予定通り戻してほしいって」
森野の表情が変わる。
神崎は。
資料を見る。
「そうですか」
田中。
「戻っちゃうんですか?」
「予定通りなら」
「別の会社に?」
「はい」
森野。
「いつ?」
「来月末ですね」
相沢も。
神崎を見る。
最初は。
恋敵だった。
森野の元婚約者。
面倒な存在。
それが。
いつの間にか。
同じ部署で。
昼を食べ。
会議をし。
エルフ騒動を乗り越え。
普通の同僚になっていた。
田中が言う。
「寂しくなりますね」
神崎。
「まだ一か月あります」
月島。
「水原さんは知ってるんですか?」
神崎の耳。
ぴく。
森野。
「言ってないんだ」
「まだ関係ありません」
ぴく。
森野。
「ありますね」
神崎。
「仕事してください」
だが。
その夜。
水原に。
出向終了の話をしたとき。
返ってきた言葉は。
神崎の予想と。
少し違っていた。
『会社が変わるだけですよね?』
神崎。
『はい』
『東京にはいます?』
『います』
『じゃあ問題ないですね』
神崎は。
画面を見る。
続けて。
メッセージ。
『私は神崎さんの会社とデートしているわけじゃないので』
神崎の耳が。
ゆっくり。
赤くなった。
そして。
そのころ。
森野の家。
相沢が。
冷蔵庫を開けていた。
「森野さん」
「何ですか」
「プリン食べていい?」
「駄目です」
「二個ある」
「二個とも私のです」
「一個くらい」
「駄目です」
相沢が冷蔵庫を閉める。
森野。
「……」
「何?」
「半分なら」
「いいの?」
「半分だけです」
「ありがとう」
森野は。
相沢を見る。
ふと思う。
六十八年前。
神崎との婚約から。
逃げた。
七十年以上前。
人間の恋人からも。
逃げた。
でも今は。
相沢が。
自分の冷蔵庫を勝手に開けている。
「相沢さん」
「何?」
「私」
「うん」
「変わりましたね」
「そう?」
「はい」
「どこが?」
森野は。
少し考える。
「人が」
「うん」
「自分の冷蔵庫を開けても」
「うん」
「追い出さなくなりました」
相沢。
「そこ?」
森野の耳が。
楽しそうに。
ぴくりと動いた。
コメント
1件
みぅです🤍🥀 うわあ……神崎さんの耳がもう全部を語ってるのがたまらなかったです。水原さんが「デートです」って決めたシーン、すごく好きです。元カノの話をちゃんと話せたのも、リリカが「ちょっと嬉しい」って言ったのも、全部が優しくて切なくて。ラストの水原さんの「会社とデートしてるわけじゃない」は、神崎さんの耳が赤くなるのも納得でした。