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「Starlight Wish」のデビューは、事務所の期待通り、彗星の如く華々しいものとなった。
ちぇりーの類稀なビジュアルとパフォーマンス力は、グループの牽引役として連日メディアを賑わせていた。プロモーションの波は彼女を単独でのバラエティ番組出演へと押し上げた。それは、デビュー10年を超える国民的アイドルグループやベテラン俳優も参加する、視聴率の高いゴールデンタイムの番組だった。
ちぇりーは、その華やかなスタジオの空気に飲まれ、終始極度の緊張状態にあった。韓国のバラエティはもう少し直感的で激しいが、日本のそれは、言葉遣いや間合いの取り方が繊細で、勝手が全く違った。
トークコーナーで、MCから「ちぇりーさんは韓国育ちですが、日本のアイドル文化や先輩方をどう見ていますか?」と問われた。これは、ちぇりーのユニークな背景を活かすための質問だった。
ちぇりーは、日本のアイドルが持つ親しみやすさや、グループ間の調和を褒める意図で、慎重に言葉を選び始めた。
「えっと…韓国は競争がすごく激しくて、もう毎日がサバイバルなんです。それに比べて、日本の先輩たちは、皆さんが『ふんわり』としていて、チームワークがすごく優しいなって感じました**。**『楽そうな』温かい雰囲気が、すごくいいなって…」
彼女は、自分をリラックスさせてくれる日本の芸能界の雰囲気を「ふんわり」「楽そう」という、少し稚拙な言葉で表現してしまった。その場にいた大先輩アイドルの一人が、わずかに表情を硬くしたのを、ちぇりーは見逃さなかった。しかし、すぐにMCが「それは日本のアイドル文化の多様性ということですね!」と巧みにまとめてくれたため、大きな問題にはならないと、ちぇりーは安堵した。
しかし、放送されたVTRは、ちぇりーの想像を遥かに超える、悪意に満ちたものだった。
ちぇりーの「楽そうでいいですね!」という発言は、まるで彼女が日本のアイドル全体を軽視しているかのように切り取られ、直前に流れた大先輩グループの過酷なレッスンのドキュメンタリー映像と、感動的な涙のライブシーンの直後に重ねて流されたのだ。さらにテロップには、目を引く大文字で『最強新人ちぇりー、大先輩に一言物申す!「ぬるい」と皮肉!?』と、視聴者の怒りを煽る見出しが踊った。
ちぇりーは、リビングで家族と放送を見ていたが、その瞬間、心臓が凍り付くのを感じた。
「お父さん、お母さん…私、そんなつもりじゃ…」
彼女の弁解は、番組の強烈なインパクトの前では、かき消されてしまった。
番組放送直後から、SNSは瞬く間に炎上した。その速度と激しさは、ちぇりーが今まで経験したことのないレベルだった。
「あの新人、調子に乗りすぎだろ。デビューしたてで大先輩を揶揄するとは何様だ」「日本の努力を馬鹿にするのか?」「韓国育ちだからって日本の礼儀を知らないのは許されない」「顔は可愛いけど、中身は最悪の生意気女」
ちぇりーの個人アカウント、そして「Starlight Wish」の公式アカウントのコメント欄は、数分で罵詈雑言の嵐と化した。「#ちぇりー炎上」「#無礼な新人」は瞬く間にトレンドの頂点に立ち、過去の彼女の言動や写真まで掘り起こされ、攻撃の材料にされた。
事務所からは緊急の連絡が入った。マネージャーの五十嵐は厳しい声で言った。「沈黙を貫け。何も反応するな。軽率な謝罪は逆に火に油を注ぐ。時間が解決するまで、大人しくいろ」
それはプロとしての鉄則かもしれない。しかし、何も反論できない状況は、ちぇりーにとって、全身の皮膚を剥がされるような拷問だった。自分の言葉ではない、悪意の塊のような情報が、自分という存在を上書きしていく。
レッスン場でも、ちぇりーは集中力を保てなかった。振りを間違え、メンバーに迷惑をかけることが増えた。
リーダーの凛は、レッスン後、ちぇりーを呼び止めた。
「ちぇりー。プロなら、プライベートな感情やネットの雑音をレッスン場に持ち込むな。それが嫌なら、辞めろ。センターの君の迷いは、私たち四人のパフォーマンスにも影響する。あなたは、自分の軽率な言葉が、グループ全体の仕事に影響を及ぼし始めていることを理解しろ」
凛の言葉は厳しく、ただし正しく、ちぇりーは反論できなかった。
希や華も、ちぇりーに直接文句は言わないが、その視線は以前よりもずっと冷たくなっていた。特に華は、ちぇりーの炎上によって、自分が本来目指していたビジュアルセンターの座が脅かされなくなるのではないか、という複雑な期待と嫌悪感を抱いていた。
唯一、葵だけが、そっとちぇりーの背中に手を置き、優しく囁いた。「ちぇりーちゃんが、本当にそんな意図で言ったわけじゃないって、私は知ってるよ。今は、私たちのことだけを考えて。私たちは、ちぇりーちゃんを信じてるから」
炎上は、翌日にはさくらの学校生活にも、冷たい影を落とした。
いつものように樹と鈴が築いてくれたはずの「境界線」は、教室に入った瞬間に崩れ去った。さくらの周りには誰も近づかない。昨日までの熱狂的なファンたちも、今は皆、遠巻きにさくらを見て、ひそひそと囁きあっている。
「ちぇりーって、マジで性格悪いんだね。テレビで見たけど、すごい嫌な感じだった」「あんなこと言っといて、よく普通に学校来れるよね」「やっぱり韓国人だから、日本の常識がわかんないんじゃないの?」
中には、わざとさくらの前を通り過ぎる際に、ニヤニヤしながら「ぬるい」と聞こえるように呟く生徒までいた。さくらは、全身の血が引いていくのを感じた。普通の生活がしたいというささやかな願いが、今、最も醜い形で否定されている。
さくらは、机に突っ伏し、顔を上げることができなかった。朝から給食の時間になっても、喉を通るものは何もなかった。全身が鉛のように重く、心臓がドクンドクンと鳴り続けていた。
さくらが絶望の淵に立たされていると感じたその時、樹が動いた。
樹は何も言わず、さくらの席の真横に自分の椅子を引き寄せ、少し乱暴に座った。そして、いつも見ている窓の外ではなく、机の上に広げた分厚い洋書に視線を落とした。その背中は、さくらを完全に覆い隠すような、巨大な壁となった。
樹の放つ静かな威圧感は、ひそひそ話をする生徒たちを押し黙らせた。彼の態度は明確だった。「俺はこいつの味方だ。近づくな。俺の隣は、安全地帯だ」。
さくらは、樹の横にいるだけで、呼吸ができるようになった気がした。
鈴は、さくらの机に、そっと小さなメモを置いた。
「無視が一番よ。彼らはネットの言葉に踊らされてるだけ。私たちは、さくらの光はそんな嘘なんかで消えないことを知ってる。だから、私たちだけを見て。給食は無理でも、午後、購買で私のお気に入りのメロンパン買ってあげるから、ちょっとだけ元気出して」
鈴は、優しさの中に強い決意を込めて、さくらの目をまっすぐ見て、力強く頷いた。
樹は、さくらの頭上に影を落としながら、静かに、しかし有無を言わせぬ響きで言った。
「日向。お前は、言葉を『切られた』だけだ。お前の本質は、俺たちが見ている。アイドルとして、何を言われてもいい。だが、学校(ここ)では、俺たちの言葉だけを聞け。お前の価値は、ネットの匿名どもが決めるんじゃない」
二人の友人のひたむきな支えは、さくらを絶望の淵から引き戻した。彼女は、アイドル活動で受けた傷を、学校という日常の場所で、友人たちの温かい言葉で癒やすことができた。
しかし、この炎上は、グループ全体を巻き込む大きな試練の序章に過ぎなかった。
このままでは、彼女が「ちぇりー」として立つべき場所が、根底から崩れてしまう。