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#異世界転移
花月夜れん
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設楽理沙
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耀聖(ようせい)
269
耀聖(ようせい)
855
紫萱さえいてくれたらそれでいい。
他の妃など必要なかったが、皇帝となるとそうもいかない。
我が家の娘を是非陛下の妻にと、名家の娘たちが次々と入宮してくる中、紫萱は一人目の子を懐妊した。
この世で最も愛しい人が自分の子を身ごもったのだ。足しげく通い様子を見に来る皇帝に、ある日紫萱は言った。
『私なら大丈夫ですから』
続く言葉はこうだ。
『私の事はお気になさらず、どうぞ他の妃嬪にも同じように目をかけてやって下さい』
こんなにも愛してやまないのに、彼女は自分を必要としていない。
女の一生の中で最も心細く夫が側にいるべき時に、彼女は自分を求めてはくれないどころか、他の女のところへ行けという。
この頃からだ。
互いの気持ちがすれ違うようになったのは。
怒りなのか悲しみなのか、それとも失望したのか。負の感情全てを綯い交ぜにしたような、そんな感覚だった。
皇帝は紫萱の望むとおり、他の妃嬪たちのところへと通うようにしたが、彼女はなんの反応も示してはくれなかった。
妃嬪だけでなく侍女も、それでもダメなら下女も。自分の宮で働く女に、それも最も身分の低い女に手を出されたら、流石の彼女でも少しくらいは怒るだろう。そう期待しては裏切られた。
こんなにも自分は苦しんでいるのに、紫萱は平気な顔をしたままで、他の妃嬪が孕んだ皇帝の子を可愛がる。
どうしたらこの気持ちのほんの一欠片でも分かってもらえるのだろうか。
紫萱が子を産む度に彼女の興味は子供へ移り、男児が産まれるとそれは顕著になった。我が子にまで嫉妬をし、心はどうしようもなくどろどろに濁っていく。
二人の距離が遠くなり、溝は深くなっていくのに止められない。
そうやって過ごしていくうちに、誰を皇太子に据えるのか決めなければならなくなった皇帝は、暁明ではなく他の皇子にしてやろうかという考えが一瞬過ったが、結局それは出来なかった。
勿論暁明が自分の後継者として相応しい資質を持っているという事は大前提として、やはり自分が最も愛する人との子に跡を継いで欲しいと言うのが本音であった。
だからまだ若い煜峰が注目を集めて評価されるようになるにつれ、皇帝は徐々に不安になっていった。
いずれ暁明を脅かす存在になるかもしれない。それならば絶対に玉座につかせないようにしてしまえば良い。
煜峰を引き取り、我が子のように育ててきた紫萱を悲しませたくなかった為、命は取らない方法で何か良い策はないかと考えていた時のこと。
煜峰を疎んでいることを知っていた臣下が提案をしてきたのだ。それならば去勢してしまえばいい。子を成せない男ならば、皇帝になることは有り得ないと。
そんな悪魔の提案に乗ってしまったのは、もともと皇帝が煜峰を特に嫌っていたからだろう。自分との間に産まれた訳でもないのに、紫萱に愛情を注いでもらい育てられている煜峰に、特に嫉妬心が強く出た。
自分がめちゃくちゃな事を言っているのは分かっている。
全部分かっているのだ。
紫萱も煜峰も何一つ悪くないことも、この感情が余りに理不尽であることも。
彼女はただ良い皇后としてあろうとしているだけ。よく出来た人間の彼女に比べ、自分が狭量だったのだ。
それが分かっていてもここからどうすれば関係を修復できるのか、後戻り出来ないところまで来てしまった。
「紫萱……何故今になってそのようなことを……」
「もう時期私の還暦祝いの宴がございますでしょう? ふふっ、私も陛下も随分と歳をとったものですね。子供たちも立派に育ち、家庭を築いて孫にも恵まれております。そんな時ふと頭をよぎったのです。私に残された時間はあとどのくらいなのか、陛下と共に過ごせる時間はあと如何程なのか、と。そんなことを考えたら、陛下ともっと一緒にいたいと思ってしまったのです。還暦なんですもの。お祝いに少しだけ、私の我儘にお付き合い下さいませんか?」
小さく微笑んだ皇后は、死ぬ前の頼みでもするかように儚なげで、頼りない。
これまで宮中で見てきた、しゃんと背筋を伸ばして堂々とした態度の彼女はどこにもいなかった。
こんなに簡単なことだったのに、何に意地を張っていたのだろう。もっと甘えておくれとただ言えばよかっただけなのに。
察してくれと願うばかりで、心が広く優しい彼女に甘え過ぎてしまっていた。
「其方の……其方の我儘ならいくらでも聞くに決まっているであろう……! どんな願いでも聞いて叶える故、なんでも申せ」
「でしたらもう一つだけ……あと一つだけ聞いて頂けますか?」
「何だ」と聞き返すと紫萱は、皇帝の手の上に自分の手を重ね合わせた。緊張からか少し汗ばみ冷たくなっている。
ここにきてやはり、子供のことを頼まれるかもしれないと思った。それでも良い。紫萱の本音を聞いた今なら、子供のことであっても聞いてやりたい。
何を言う気なのかと待ち構える皇帝に、紫萱は予想外の願いを口にした。
「今夜だけは私を皇后ではなく、一人の女にして下さい」
月明かりに照らされた紫萱の瞳には、驚いた表情を浮かべる皇帝が映し出されている。
慎ましい彼女が男性を誘うのにはおそらく、相当な勇気を必要としたはずだ。
それを思うと胸に込上げるものがある。
「今夜だけと言わず朕の前でだけは、『紫萱』でいておくれ」
「陛下……」
唇を重ね合わせただけで、ひたひたと心が満たされていく。一番欲しいと思っていた人に欲せられ、他の妃嬪といくら身体を重ねようと満たされなかった心が熱くなる。
唇が離れると、紫萱は照れた様子で目を逸らした。
「こんな年寄りの相手などお嫌ではないですか?」
「何を言う。今も昔も変わらず、朕の可愛い紫萱だ。其方こそ朕が歳を取ったと失望してしまうかもしれぬぞ」
言い返すと紫萱は、何かを思い出して笑っている。
「どうしたんだい?」
「いいえ、何でも。ただ私に絵を描いてくれた娘の言う通りだったと思っただけです。陛下、もう一度口付けて下さいませ。何十年としていなかったのですから今のでは足りません」
「ああ、いくらでも。其方の望むだけ」
要らない遠慮の無くなった紫萱が、愛しくてたまらない。
互いに求めて、求められる。
何十年分もの空白を埋めるように。
その晩二人は夜が明けるまで愛し合った。
コメント
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ああ、第43話、読み終わりました……。皇帝の視点で綴られる、すれ違い続けた愛の懊悩が本当に切なかったです。「紫萱さえいてくれたら」という幼き日の純粋な想いが、皇后という立場と彼女の「良妻」たろうとする優しさによって、どんどん孤独へと変じていく過程が胸を締め付けましたね。還暦の夜、ようやく素の自分を見せた紫萱が「一人の女にして」と願う場面、そして皇帝が「朕の前でだけは紫萱でいておくれ」と応える――あの対話だけで、何十年分の寂しさが報われた気がして、じんわりと温かくなりました。やっと力を抜いて愛し合える二人を見届けられて、本当によかったです。