テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
数日前、元宮家を訪問した時のこと。サラダの盛り付けをしながら洸くんに不意打ちで言われた、「俺が好きなんは、あらたせんせだけ」という言葉。あの衝撃の瞬間から、俺は……
「いやいや、あれは家族としての『好き』やんな! うん、絶対そう!」
という、明らかに間違っている思い込みで必死に自分を納得させ、その日からは何事もなかったかのように過ごしていた。
それからも、新しく赴任した保育園でのバタバタとした日常にようやく身体が慣れてきた頃。その日の夜、俺のマンションに、洸くんがひょっこりやってきた。
「明日、先生の園の近くで朝イチから大事なプレゼンあんねん。前乗りさせて?」
そう言って、家からネクタイとスーツの入ったバッグを持って押しかけてきたのだ。25歳のサラリーマンが、遠足前の子供みたいに緊張しているのが可愛くて、俺は「しょうがないなぁ」と快く迎え入れた。
「あらたせんせ、シャワーご馳走様でした」
湯気と共にバスルームから出てきた洸くんは、俺が貸したスウェットを着ていた。
身体の大きな俺の服を洸くんが着ると、少しブカブカで、なんだか子供の頃を思い出して無性に愛おしくなる。
濡れた黒髪から雫を滴らせながら、洸くんは俺の目の前にトコトコと歩み寄ってくると、床にちょこんと膝を抱えて座り込んだ。
「あらたせんせ、ドライヤーで乾かすやつやって?」
「……絶対自分でやった方が早くない?」
「 そうやけど。映画とかドラマでよくカップルがやってるから、一回誰かにやって欲しかったんよね」
「……洸くんラブストーリーとか観るんや、意外やった」
クスクス笑うと、恥ずかしそうに下からじっと見上げてくる。俺は笑いながらドライヤーのスイッチを入れた。
「ほら、いくで」
ソファに腰掛け、俺の膝の間に洸くんの頭を収めるようにして、タオルを当てて髪を揺らす。
その瞬間、ドライヤーの温風に乗って、ふわりと甘いシャンプーの匂いが漂った。
指先から伝わる、洸くんの髪の柔らかい感触。時折、俺の指が彼の耳や、温かい首筋にふっと触れてしまう。そのたびに、彼が完璧に大人になったことを確信してしまって、俺の心臓が妙なテンポでドクンと跳ねた。
「……なんか子供の頃思い出す」
洸くんが目を細めて、気持ちよさそうに呟く。
10年前と何も変わらない、甘えるような口調。だけど、俺の膝に触れている彼の背中はあの時よりも広くて、完璧に大人の男で。
「……やっぱり自分でやり。時間かかるわ」
逃げるようにその場から立ち上がり、スマホを見るフリをして彼の様子をチラリと伺う。
洸くんは少し唇を尖らせて拗ねてるアピールをした後、「ふぇい」となんとも気の抜けた可愛い返事をして、ソファに深く沈んで行った。
「あ……ご飯は食べたん?」
少しきつい言い方をしてしまったかと、少してから洸くんの機嫌を伺う。すると彼はテレビを観るのをやめて、俺のことをじっと見つめてきた。なんやろ、俺、なんかおかしなとこあるかな?
「……あらたせんせもシャワーどうぞ」
急ににっこり笑って背中を押され、そのままバスルームに閉じ込められる。
え、やっぱり加齢臭とか気になった!? いくら気をつけているとはいえ、年齢的には誤魔化しきれへんか?
いつもより念入りに身体を洗って、タオルで頭を拭きながら外に出ると、洸くんがさっきいたソファはもぬけの空だった。
「……洸くん? どこいったん?」
なんとなく寝室を覗くと、電気をつけた洸くんが、控えめに何かを探している。
「洸くん?」
「うわっ! びっくりした!」
本気でびっくりしている様子が可愛くて、思わず吹き出す。
「何かいるもんある?」
「ううん、あらたせんせに恋人の痕跡がないか探しててん」
そんな爽やかに言えることなん、それ? あ、やから、俺のことをバスルームに押し込んだんやな。
「残念ながら、期待には添えません」
「絶対嘘! あらたせんせが独り身なはずない」
「そう言い切られると、ほんまにおらんから切なくなってくるわ」
まだ濡れている髪を軽く拭いていると、洸くんがニヤニヤしながら近づいてきた。
「……やって、こんなに綺麗で色気もあるのに? 俺やったらほっとかへん」
「うっ……!」
グイッと俺に自分の顔を寄せてくる。うわ、焦った。一瞬、キスされるんかと思った。
「……へへっ、あらたせんせって意外とこういうのに弱いよね?」
悪戯に笑って、洸くんが寝室から出て行く。ほんま、意外とウブな俺の心をもて遊ぶのはやめてほしい。
「……あらたせんせっておとうの事好きやったん?」
「え?」
リビングに戻ると唐突に、適当なトーンで洸くんが聞いてきた。
「そうじゃないと、普通子持ちのおっさんになんか関わらんやろ?」
洸くんらしくない、少し冷たい言い方で笑いながら聞いてくる。どうしたんやろ、元宮さんとなんかあったんかな。
「まぁ、……きっかけは確かにそうやったかも知れんな」
「……もし、他の家庭の人が同じ状況やったら、あの時みたいに助けた?」
洸くんの目が真剣になって、俺を問いただす。
洸くんは元宮さんじゃない。だからこそ、本当の事を話せると思う。
「……いや、助けへんかった。でもな、元宮さんだけじゃなかったんよ。その延長線上に洸くんがいて、弦くんがいた。大好きな3人が並んでたから、助けたかったんやと思う」
当時のことを思い出すように、洸くんに伝える。周りから見れば偽善事業みたいなあんな事、今の俺なら絶対できひんかったと思う。若くて気持ちに真っ直ぐやったあの頃やったからこそ出来た事。
「……そっか。おとうだけじゃなかってんな? 大好きやったのは」
ふふっと、いつもの優しい笑顔で洸くんが笑う。良かった、俺の答えは間違ってなかってんな。
「……お腹へったな? なんか出前でもとる?」
「やったー!! 俺お肉がいい!!」
「……夜中にお肉か、若いな」
少し苦笑いしながら、俺はスマホに手を伸ばした。