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携帯のアラームが鳴る。6:55。

このタイミングでの目覚ましで彼女が覚醒することは先ずない。が身を起こし、のそのそと携帯を枕元に持ってきて再び寝る……、のがお約束だ。

次に起こされるのが7:05。続いて、

「あさだー。あさだよー。起きて起きてー」

……このプリキュアの目覚ましで娘が起きることなども先ず、ない。絶対ない。……のだが。

ごくたまにこの子が目覚め、プリキュアの目覚ましの止めるボタンを押すことがあるので、一応はと、娘・美凪の枕元に置いてやる。

まだ夢の世界のなかにいる、そんな娘の肩を叩き、聡美は、

「おはよう。朝だよ、なぎちゃん」

「うー」眠いのだろう。そりゃそうだ。毎晩二十三時就寝だもの。この子は一歳を過ぎた頃から二十二時以降に眠るようになり、お陰で寝かしつけに手こずる日々だ。

続いて聡美は携帯を操作してやり、アプリを立ち上げる。見せるのはこないだの続き。

「あっひめちゃんだ」

ぱっ。と目を輝かせて見入る娘の姿……you tubeの恐ろしさよ……見せるだけで即座に目覚めるのだからある意味優秀な目覚ましである。

娘にスティックパンを手渡すと彼女は手早く化粧を済ませる。化粧に10分もかけられない。美容液の浸透を待つ関係上、先にスキンケアを済ませてからトイレに入り、歯磨きを済ませる聡美である。

現状、朝はギリギリで。これで美凪が小学校にあがり、お弁当作りなど加わったらどうなることか。考えるだけで恐ろしい。

が未来を不安視ばかりしていては前に進めない。目の前の課題をひとつひとつクリアしていく。子育ても仕事もそこは同じである。

テーブル上の体温計を素早く取り、いまだ動画に夢中の娘の検温を済ませる。二歳頃まではしょっちゅう熱を出し、保育園から呼び出されていた聡美であったが……特に三歳になった辺りから、風邪を引くのが年二回程度。ぐんと丈夫になったのを実感した。

水筒に水を入れ、連絡帳に記入をしていると瞬く間に出かける時間となる。ロールパンにかじりつき、聡美は、「なぎちゃんおトイレ」と呼び掛ける。……すぐ応じないこともしばし。下手をすれば動画に見入ったまま片手で器用に用を足すこともあり、……親として注意すべきか。しかしながら朝の貴重な時間に癇癪でタイムロスをするなどご勘弁。……

結果聡美は『言わない』を選択する。布団を畳み、娘がトイレから戻るのを待つ。この子の母親に対する競争心は相当なもので。一度聡美が先に着替えを終えたときなどは思い出したくないくらいである。

「ママー、いつもの時間?」

「そうだよ」

「やった」仮に時間に遅れていたとしてもそう答える。下手なことを言うとこの子のプライドを傷つけかねない。肌着を頭から被る娘の動きを見た上で聡美はタンスに手をかける。……何色にしようか。流行りのパープルにしようか。アイシャドウは無難なピンク系にしたけれど……、相性は悪くない。

スカートとパンツを一日交代にするのが聡美流だ。濃いいろのチュールスカートを合わせ、シックにまとめよう。

「ママー、はやくー」

玄関でスニーカーに足を入れる娘に急かされる。……まったく。ママが先に着替え終えれば不機嫌になるくせに。遅ければ遅いでぶぅたれる。……どうすればいいのかと。

タイツに足を通す聡美は、「あっ髪っ」急いで靴を脱いだ娘が洗面所に直行するのを見届ける。……五歳にして寝癖をきちんと直すあの子はいっぱしの女の子だ。機嫌を損ねるとどれほど恐ろしいことになるか身に染みて分かっているので、あくまでひとりの女の子として扱う。

「なぎちゃん、行くよー」

「はぁーい」今度は聡美が娘を呼ぶ番だ。

この部屋の鍵を預かるのは大家さんを除けば自分だけなので、慎重に鍵をかけ。そして聡美は走り出す。「待ってー、なぎちゃん」先をゆく娘に追い付くために。

思うに、保育園に子どもを預けるに際し大事なことは、『その保育園が生活の導線上にあるかどうか』。小さいうちは保育園から呼び出されることが多い。自宅やかかりつけの小児科があまりに保育園から離れていると、往復がきつい。電動自転車があればひとっとびではあるが、出勤前に駅から絶対離れたところにある駐輪場に停めるのが大変なのである。

幸いにして聡美の引っ越し先のすぐ近くに認可保育園があり、徒歩で三分。角を曲がってすぐそこ。ありがたい話である。

幼児クラスにあがってからは部屋が二階になった。娘が自分でてきぱき朝のお仕度を進める気配を感じつつ、聡美は布団にカバーをかける。園によっては色々と手作りをさせるところもあるようだが、聡美が実家の母に頼んだのがループつきタオル。ミニタオルなら宅に沢山あるので、フックに引っかけられるようループを縫いつける作業を母に依頼した。

三分程度でお支度は終了する。あとは園に子どもを引き渡す。……だけなのだが。

朝の八時まで園児の引き渡しは一階にてまとめて行っている。聡美からすると朝の七時に預けられる園があること自体が驚きであったが。幼児クラスがすべて二階にあるため、毎朝二人の保育士が幼児を二階に上がらせている。……見たところなかなかこれが大変で。終了までに十五分程度を要す。トイレ前で必ず子どもたちがずらっと並ぶ。先生がぐずる園児に声掛けをするのも日常茶飯事。確かに朝の七時に登園するためには六時台には起床しているわけで、二時間経てばトイレにも行きたくなる。至極当然のことである。……

彼らが一階におれば聡美たちは一階まで下りる必要があり。二階にあがっている途中であれば先生に声をかけ、沢山ボードを持って大変そうななか、さくら組の登園ボードを引っ張りだしてもらい記入する。朝の混んでいる時間ゆえ、行列待ちになることも多々。……皆、忙しい。

この際ボードの字が汚いかどうかなど構っていられない。引き渡しの先生が連絡帳に目を通すのを待ち……これが地味に長い……そして毎朝「元気です」とお伝えし娘と別れる。必ずぎゅうをして愛を伝える。

「フレー、フレー、マーマ。頑張れ頑張れおー!」

毎朝娘から元気を頂戴し仕事場へと向かう。

育児に孤軍奮闘する彼女を元気づけてくれる存在が実はもう一人。……

名前も知らない。知人と呼ぶにもすこし弱い。だが……

勇気を貰えるのだ。アンパンマン流に言えば愛と勇気といったところか。

保育園を出ると自宅マンションの前に戻り、駅へと一本道。

その姿を見るたび聡美は笑みがこぼれるのを抑えられない。

(いた、いた……)そのひとはいつも。

爽やかなワイシャツにチノパン姿で……。寒い時期はあかるい色のジャケットやコートを合わせる、その姿もさまになるのだ。息を弾ませた彼とはいつもこの通りで対顔する。そのひとは聡美にとって目安となる。遅れているのか、早いのか。

どうやら彼の職場がこの近くにあるらしく。平日は毎朝ほぼ同じ時間に見かける。休日は見たことがない。察するに、電車通勤をしているのだろう。

いつも。いつも早歩きで……走っていることもしばし。

なのに彼は立ち止まると必ず聡美に挨拶をする。「おはようございます」きれいな礼をする男だ。品性の高さが窺える。

「……おはようございます」聡美は髪を耳にかけ、「今日はちょっと出遅れちゃって。急いだほうがいいですよ」

すると男は、やや上気した顔で、「……何分程度ですかね」

「わたしの時計で三分です」

「そうですか」笑顔が憎たらしいくらいにスイートだ。顔がきれいな男は笑顔も大概美しい。「ありがとうございます。では、あなたもお仕事頑張って」

「……あなたも」

「ごきげんよう」

この世で、歯の浮いた台詞が似合うのはなにも美輪明宏に限られない。神は、とんでもない美男子を与えたもうた……と颯爽と身を翻す男の背中を見るたび彼女は思う。見惚れることもしばし。

(いけない)

三分遅れと言ったばかりではないか。腕時計で時刻を確かめると彼女はまっすぐ駅へと駆け出した。


「告ればいいのに」

話を聞き終えると三津子は決まってそう言う。いやいや、と聡美は反論する。だってあのひと……、

「若々しい印象ですけど、たぶんあたしと同年代ですよ。したらそんな男がフリーなわけないじゃないですか」

別段、約束をしているわけではないが、オフィスにて隣り合うこの二人は必然、雑談をする。お一人様ランチも珍しくない職場だ。このドライな空気が聡美は気に入っている。

実は聡美は三津子に対し距離感を抱いていたのだが……、無事三津子が出産を終え、職場復帰し、あの糸部と結ばれてから親しみやすくなった。共通の子育てネタで語り合うようになったのだ。といってもお互い好きなことをするスタンスだ。スマホでゴシップネタをチェックしつつ聡美は、言われる前に自分から言ってやる。「既婚者で子持ちで毎朝他の女に『おはよう』なんて言ってるとしたら……どんだけ罪作りな男なのかって話ですよね。あたしが妻の立場だったら耐えられないです」

すると三津子はちらりと聡美を一瞥し、「だからバツイチなわけね?」

「ですです」この程度のジョークくらい受け流せないととてもじゃないけどシンママなんてやってられない。聡美は笑みを保ったまま、「自慢じゃないけど男を見る目には自信ありませんから、はい、ええ」

どうやら三津子の意図は『そこ』にはなかったらしい。ふむ、と顎を摘まむ仕草をすると、

「――その男下平さんに気があると思うんだけど」

彼女の欲しくて欲しくてたまらない台詞をくれる。顔をほころばせながら聡美は一応は「ええっ?」と型どおり驚いてみせる。勿論『振り』だ。

だがそんな聡美の挙動には気を払わず三津子は真剣な面持ちで、

「だってその男が下平さんと仲良くしたところでなんのメリットがあんのよ。犬の散歩友達じゃあるまいし」

「確かに……」と聡美。柴門ふみのエッセイで読んだ。ある女性に、同性の犬友達がおり、相手方に許容出来ないところがあり、されど散歩ルートを変えるわけにも行かず、距離の取り方に苦労をする、と。男性には分からぬ悩みであろう。

けども、聡美は反論を試みる。「でもあの彼が、底抜けのお人好しって可能性もありますよ。社会に存在する人間がみんないーひとって考えてるタイプの人間かも……」

「――下平さんが男だったらその男挨拶してると思う?」

ずばり。

営業活動をするときと同じ手法で斬り込む。その手法に、同性ながら惚れ惚れする。……している場合ではなく。

「男は、下半身で物を考えるって説」三津子は短い髪をかきあげ、「あれ、あたし的には『外れじゃない』って考えなんだ……。ただ、まあ」

ふうと息を吐き、スープを口に含むと、「どんだけ気の長い男なのその男。って話だよね……四年でしょう? そんなに長いあいだアクション起こさずヤリ目的。ってのが、あり得ないって話なんだよね……」そうなのである。

聡美の娘である美凪が保育園に入ったのが一歳間近の頃で……つまり例の男と顔を合わせるようになって四年が経つ。三津子の推察する通りで、既婚者で愛人を作る目的であればもっと早くに積極的な行動に出るはずである。……それか。

独身か。……いやいやあのレベルの男でそれはあり得ない。あの笑顔。穏やかなテノール……。実を言うと毎晩あの声をリプレイしてから眠りについている。こんなことは誰にも言えないけれど。それこそ墓場にまで持っていくべき秘密。

「解せないねえ……なにが目的なんだろなその男」

ディスプレイを睨みつけたまま三津子。疑問に思うのは聡美とて同じである。十代の女子じゃあるまいし、三十代女子は男から与えられる好意のたぐいには敏感だ。あの名前も知らぬ男の好意がゼロパーセントなどとは、先ず、考えられない。では。

『行動』に出ぬ理由は……?

聡美たちの抱く疑問が解消するのは間もなく。この時点で2018年10月の出来事であった。


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