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第3話:共犯者の放課後
カラン、と乾いたカウベルの音が、静かな店内に響いた。
喫茶店『微睡(まどろみ)』。
昨日と同じ、時間が止まったような空間。
だが、今の凪にとって、この場所はもはや単なる喫茶店ではなかった。
「……また、来たのか」
凪は、カウンターの奥に座るメアリの背中を見つめながら、絞り出すように呟いた。
メアリは振り返りもせず、琥珀色の液体が満たされたカップを眺めている。
「凪様。……『こちら側』へ、ようこそ。まだ扉を半分くぐったばかりですがね」
不意に声をかけられ、凪の肩が跳ねた。
カウンターの中で銀のポットを磨いていたマスター、蓮見だ。
白髪を整え、隙のない三つ揃えのスーツを着こなした老紳士は、凪を見ても驚きもせず、ただ静かに微笑んだ。
その微笑みは温かい。
けれど、凪にはその瞳が、自分の寿命の終わりまで見通しているような、底知れない深淵に見えて仕方がなかった。
「座りなさい、凪。話の続きよ」
メアリが促す。凪は抗うこともできず、彼女の隣に腰を下ろした。
「あなたはもう、私の『眼(センサー)』になった。……私という死神を、正しい場所に運ぶための共犯者よ」
「共犯、者……」
凪の前に、蓮見が音もなくコーヒーを置いた。
「どうぞ、凪様。少し苦いかもしれませんが……現実を飲み込むにはちょうど良いお味ですよ」
蓮見の言葉が、凪の胃の奥を冷たく冷やす。
自分が選んだのか、選ばされたのか。
どちらにせよ、もう「あちら側」の平穏には戻れないことを、凪は悟らざるを得なかった。
◇
翌朝。
凪の「透明人間になりたい」という切実な願いは、登校直後に、もっとも残酷な形で打ち砕かれた。
「よぉ凪ぃ! お前、昨日の今日でメアリちゃんと付き合ってんのかよ! 抜け駆け禁止、ギルティ!」
教室中に響き渡る声の主は、優弥(ゆうや)だった。
明るい茶髪に、常に緩みっぱなしの口角。
凪の数少ない親友であり、救いようのないお調子者だ。
「ちょっ、声が大きいって! 違うから、そんなんじゃないから!」
「へへっ、照れんなよ! 俺の分も紹介してくれよ、マジで!」
優弥は凪の返答など待たず、迷いのない足取りでメアリの席へ突撃した。
「よっ、メアリちゃん! 放課後、俺とデートしない? 街の美味しい店、俺が全部教えてあげるよ!」
クラスメイトたちが固唾を呑んで見守る中、メアリはゆっくりと本から目を離した。
彼女の視線は優弥を通り越し、その後ろで青ざめている凪をじっと捉える。
「……凪に同行の意志があるなら。私の『護衛対象』は彼一人だから、あなたの誘いには何のメリットもないわ」
教室が静まり返った。
あまりに冷淡で、それでいて奇妙な断り方。
だが、優弥という男の楽観主義は、そんな壁さえも軽々と飛び越える。
「えっ、凪がいればOKってこと? 凪、マジ親友! お前は俺のキューピッドだ!」
「いや、話聞いてたか……?」
凪の困惑をよそに、放課後のファミレス行きが強引に決定してしまった。
◇
駅前のファミレス。ボックス席で、メアリはドリンクバーの機械を凝視していた。
「この装置……。左から三番目と、右端の液体を混合すれば、より効率的な栄養摂取が可能かしら」
「いや、メアリちゃん、それはただのメロンソーダとコーラとカルピスだよ。混ぜるとマジでヤバい色の液体になるから!」
優弥が笑いながら教えると、メアリは「……複雑な味ね。これが現代の若者の嗜好(トレンド)なの?」と、毒々しい紫色の液体を真剣な顔で啜っている。
「意外と……天然なんだな」
凪は少しだけ、肩の力が抜けるのを感じた。
大鎌を振り回し、影を狩る冷徹な少女。そんな彼女が、優弥の適当なアドバイスに真面目に耳を傾けている。
「なー、凪、何食う? 俺、このメガ盛りポテトにするわ!」
屈託なく笑う優弥。
凪はこの瞬間、強く思った。
たとえ自分が「影」という呪いに踏み込んだとしても、このバカバカしいほど明るい日常だけは、こいつだけは、壊したくない。
しかし、その決意をあざ笑うかのように。
◇
「あー食った食った! 次はカラオケだな、カラオケ!」
ファミレスを出た駅前。優弥が先陣を切って歩き、メアリがその後ろを付いていく。
賑やかな街の喧騒、色とりどりのネオン。
その雑踏の向かい側、街灯の届かないビルの隙間に、一人の男が立っていた。
着崩した灰色の背広。
酷くやつれ、頬がこけ、焦点の合わない瞳。
男は、吐き出した煙草の煙に巻かれながら、ただじっと、歩いていく3人の背中を見つめていた。
男の名は、九条。
彼は一歩も動かず、何も言わない。
ただ、獲物を定める獣のような静かな執念だけが、彼の周りの空気を腐らせていた。
メアリも、凪も、そして優弥も。
その視線の存在に気づくことは、ついになかった。
夜風に溶けた煙草の匂いだけが、不穏な余韻として残されていた。