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そして、再び訪れた大舞台。
アリーナでの追加公演。
照明が落ちた会場に、ファンたちのペンライトが一斉に灯る。
赤、黄、ピンク──無数の光が波のようにうねり、ステージを包み込むように揺れていた。
その中央に、SHOOTはいた。
あの日、立てなかったステージ。
一度は「もう無理だ」と崩れ落ちた場所。
そこに今、自分の足で立っていること。
無数の視線を浴び、再びマイクを握ることができているという事実。
観客席からは、嗚咽まじりの歓声が響いた。
「おかえり」「待ってたよ」──言葉にならない想いが、空気を震わせていた。
けれど。
SHOOTの胸の奥では、何かが小さく軋む音を立てていた。
舞台の上の光は、あまりにも明るすぎた。
心の奥にしまい込んだはずの“痛み”が、白いスポットライトの下で、輪郭を取り戻し始めていた。
ダンスのフォーメーション。
一瞬、足が動かなかった。
歌い出しのタイミングで、声が引っかかった。
ほんのわずかな“間”。
それは、誰かには気づかれない程度のミスだったかもしれない。
だが、SHOOTの中では、その一瞬一瞬が氷のように冷たく、鋭く胸を刺していた。
(戻ってきたのに……)
(なんで、まだ怖いんだ……)
自分の身体が、自分のものではないような感覚。
動きたいのに、動かない。
歌いたいのに、声が出ない。
ファンの「頑張れ」が、どこか遠くの音に聞こえる。
ステージが終わる頃には、SHOOTの体温はほとんど奪われていた。
拍手の波の中、他のメンバーが手を振るその横で、彼はただ、笑顔を浮かべることに必死だった。
脚は震え、喉は焼けついているのに、それでも「大丈夫だよ」と嘘をついてしまう。
その夜。
宿泊先のホテル。高層階の静まり返った部屋。
窓の外には、夜の街が宝石のように瞬いていた。
車のテールライトが川のように流れ、ビルの明かりがガラス越しにぼんやりと揺れている。
カーテンは閉めきられておらず、都会の光がベッドの端を照らしていた。
SHOOTはその中に、ひとりでいた。
ステージ衣装のまま、まだシャワーも浴びず、ソファの隅に身体を預けていた。
目の前の天井は、どこまでも高くて、どこまでも無機質だった。
薄暗い照明の下、静寂だけが部屋を支配している。
誰もいない。
MORRIEもいない。
別の仕事で、別の都市にいた。
声をかけてくれるメンバーもいなかった。
いや──自分から、誰にも声をかけられないようにした。
“復帰”という言葉。
その二文字が、こんなにも重たく、息苦しいものだったなんて。
SHOOTは、ゆっくりと目を閉じた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……俺、間違ってたのかな」
それは、誰に聞かせるでもない、ひとりごとだった。
それでも、その声が空気を震わせると、何かがふっと心の中で崩れる音がした。
部屋の中には、時計の針の音と、微かな空調の音だけが残っていた。
明かりの下、SHOOTの影は、床の上に細く長く伸びていた。
その朝、東京の空はいつもより澄んでいた。
季節は春の終わり。街路樹の若葉が風にそよぎ、カーテンの隙間から射し込む光が、ホテルの部屋の白い天井に淡く揺れていた。
SHOOTはベッドの上に座ったまま、ただじっと両手を見つめていた。
指先が、少し震えている。
それに気づいても、もう驚かなかった。
ステージの後、体が勝手に強張るのはいつものことだった。
ただ、今朝は――違った。
張り詰めた糸の“震え”が、もう限界の“揺らぎ”に変わっている気がした。
深く息を吐くと、その吐息が、まるで部屋の空気を重くしていくようだった。
照明をつける気にもなれず、カーテンも閉めたまま。時計の針の音だけが、まるで誰かの足音のように、静かに時間を刻んでいく。
荷物をまとめる音は、ほとんど立たなかった。
何を持っていくかも、決まっていなかった。ただ、今この場所を離れないと、また“あの日”に戻ってしまう。ステージの上で壊れてしまう自分が、怖くてたまらなかった。
気づけば、スマートフォンの電源を落としていた。
怖かったのだ。
誰かに「大丈夫か」と訊かれて、それに「うん」とまた嘘をつく自分が。
東京駅。
雑踏の中、SHOOTは小さなカバンひとつで新幹線の改札を抜けた。
帽子を目深にかぶり、マスクをしたその顔は誰の目にも止まらない。周囲の人々はそれぞれの生活を忙しく駆け抜け、彼のことなど気にとめる者はいなかった。
その無関心が、今はありがたかった。
遠ざかる東京。ホームがゆっくりと後ろに滑っていく車窓に映ったのは、どこか他人事のような自分の姿だった。
列車に揺られて数時間。
小さな海辺の街にたどり着いたのは、夕暮れが空を染める頃だった。
駅を出て、真っ直ぐに続く海沿いの道を歩く。潮の匂いが風に乗って、どこか懐かしいような気持ちにさせた。
そしてふと立ち寄った、小さなカフェ。
白い壁に木の看板。窓際の席に座ると、眼前には穏やかな波と、夕日に照らされた水平線が広がっていた。
店内は静かで、クラシックギターの柔らかな音が低く流れていた。
SHOOTはホットミルクをひとつ頼み、両手でそのカップを包むように持った。
そのぬくもりが、なんとなく“生きている”という感覚を、まだここに繋ぎ止めてくれているようだった。
目の前の海が、まるで呼吸をするように静かに波を打っていた。
その光景を、彼は言葉もなく、ただ見つめ続けていた。
誰にも見られず、誰にも触れられず。
このまま時が止まればいいと、ふと思った。
その時、彼は静かに微笑んだという。
数日後。
公式サイトに、白い背景の短い文章がアップされた。
「SHOOTは、本日をもって、BUDDiiSを脱退いたします。」
理由は簡潔に「本人の強い希望」とだけ記されていた。
その文字はあまりにもあっさりとしていて、今まで彼が背負ってきたすべてが、ほんの数行で片付けられることに、言葉を失う者もいた。
SHOOTが去った後、楽屋には小さな“空白”が生まれた。
メンバーの誰もが、そのソファに自然と座らなくなった。
そこはSHOOTがよく座っていた場所。
イヤモニを外しながら、笑って水を飲んでいた姿。
タオルを首にかけて、FUMIYAの冗談に肩を揺らして笑っていた姿。
もう、その姿は戻ってこない。
照明の落ちたリハーサル室で、そのソファの前に立ち尽くしたFUMINORIは、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……ちゃんと、笑えてるといいな」
その声が、虚空に溶けていった。