「今回また宣材写真を撮ることになりまして……。まさか、こんなに早く成田さんの予約が取れるなんて思ってなかったんで嬉しいです!」
凪が女風のセラピストだと知った日から2ヶ月後、千紘の予約を取れたと喜ぶ男が言った。凪と同じ店で働くセラピストだ。
名前は原木といった。客の人数が多過ぎるのと、次の予約まで時間が長く空くこともあり、客の名前を一々覚えていられない。
予約表の名前と顔を見てようやく一致する程度だった。しかし千紘は、凪を紹介しようとした男の名前だけはしっかりと覚えていた。
次にこの男が予約の電話をかけてきたら先延ばしせずに、すぐにでも予約を取らせてやろうと考えていたからだ。
それも凪について色々知りたかったから。今まで仕事に私情を挟むことなどなかった。千紘にとっての優先順位は私生活よりも仕事の方が上だったから。
それなのに、少しずつ千紘の生活が変わり始めていく。
「写真撮るなら早めの方がいいかなって思って。さすがに半年、1年先じゃ困るでしょ?」
千紘が営業スマイルで言えば、原木は感激したように目を輝かせた。
「ありがとうございます! 俺、No.入れるように頑張るんで!」
「あ、ホームページ見たよ。友達にもよかったらって勧めてみた」
「うぇ!? マジっすか!」
「うん。ここに来てるお客さん、原木くんの知り合い? 先輩? どの子かわかっちゃった」
「あ……。あの、仕事のことは……」
「わかってるよ。個人情報は漏洩しないから大丈夫。俺、口固いから」
千紘が原木の髪を触りながら言えば、彼は安堵の息を漏らした。
「すみません。皆全部は顔出ししてないし、俺もそうだけど正直家族とかに知られるとマズイんで……」
「まあ、そうだろうね。そこは男も女の子も同じだよね」
「そうなんですよ。だから、快さんのことも俺が言っちゃうのはちょっと……」
「うん。皆、家族や友達には隠してるんだね」
「友達は知ってるヤツもいますね。セラピストの中には友達を紹介して一緒に働いてる人達もいるんで」
「へぇ……。皆同世代?」
「まあ、そこまで離れてないですよ」
「原木くんと一緒に働いてる子は同じ歳なの?」
「いや、俺の1個上って言ってたんで今24ですかね?」
少しずつ情報を集める千紘に、原木は何の疑いもなくそう答えた。実年齢を聞けば、プロフィールの年齢よりも2つ下だった。そして千紘よりも1つ年下。
やっぱり俺より下だったか。そう思った千紘は、店のプロフィールなんてやっぱり偽物か、と真の情報収集の大切さを実感した。
「原木くん、店のプロフィールと歳違うよね? 26歳になってた」
千紘は少しずつ、少しずつ情報を集めるために原木に置き換えて質問をしていく。
「ああ。けっこう皆そうですよ。利用する人が年上ばっかりなんであんまり年齢若すぎると抵抗ある人多いんです」
「そういうこと」
「男性向けの風俗でもあるじゃないですか。実年齢より若く記載するの」
「うん」
「その反対で20代後半から30代前半くらいまでが受けるんで、そこで設定するんです」
「へぇ。そんな世界があるなんて知らなかったから興味深いなぁ」
「え!? ちょ、成田さんがセラピストとかやめてくださいよ!? 成田さんがやったらすぐNo.とれちゃうから!」
原木は本気で焦ったように目を大きくさせた。千紘はそんな様子にふふっと笑う。女性からモテるのは自覚している。
実際に「お金払うから抱いて!」と言われたことも何度もあった。だから、この世界に入ったら需要があることもわかっている。ただ、千紘の興味はそこではない。
「やらないよ~。俺、美容師好きだから」
「あ、ですよね……。でも成田さんだったら快さん抜けんのかなってちょっと興味ありますけどね」
「快くんって子はそんなに人気なんだ?」
「凄いですよ。予約入ってない時なんてなくて、店に電話してもいつ取れるかわかんないから直接DMで予約するしかないんですよ」
「それは凄いね」
「成田さんの予約みたいじゃないですか?」
原木にそう言われて千紘はしぱしぱと目を瞬かせた。美容師の場合、指名がどんなに多くてもNo.として表記されることはない。
コンテストでグランプリを取り、取材を受ければ自然と指名は増えた。しかし、その期待を裏切らないためにもそれなりの努力が必要だった。
恐らくランキング入りしているセラピストもそうだろう。No.を謳うからにはそのレベルにあったものを提供しなくてはならない。
信者とも呼べる客がつくまでは努力に努力を重ねなければならない。
どんなに容姿がよくて最初は好奇心と興味本位で近寄ってきても、対応が悪ければすぐに離れていくことを千紘は知っている。
だから、凪を長く何度も指名する客もその容姿ばかりが目的ではないのだろうと千紘は思った。
「俺のはカットが売りだからね。きっとその快くんにもこれだけは他とは違うって売りがあるんだろうね」
「売り……。でも、快さんはすっごいイケメンで」
「イケメンは入口だよ。いくら顔がよくても顔の良い男なんてその辺にいくらでもいる。顔が最高に良くて予約が取りにくいよりも、そこそこの容姿で自分ばかりに目を向けてくれる人がいたら、女の子はそっちを選ぶ」
「確かに……。あ、だから成田さんはメンズ専用?」
「ふふ。違うよ。単純に俺は女の子が綺麗になるより男の子がカッコよくなる方が楽しいだけ」
イタズラにニッコリ笑う千紘に、原木はつられて笑った。
その数日後、米山指名で凪が訪れた。千紘は予約表を見ながら「大橋凪……」と小さく名前を呟いた。
毎回違う雰囲気のオーダーをする凪。今日は暗くしようかな、なんて言いながら暗い色を選んでいた。
明るい色を好んでいるのかと思ったが、聞いているとそうでもないらしい。自分に似合う髪型を模索中だという彼は、米山からパーマもストレートも色々試してみようかと提案されていた。
そんなやり取りを他所で聞いていると、やっぱり自分が入りたかったと思わずにはいられなかった。
用もないのに成田ブースから出ては、何かを取りに行く振りをして凪の会話を盗み聞きした。彼がほとんど雑誌に目を向けていると、欲しい情報も得られなくてモヤモヤする。
反対にその声が聞けた時には、その綺麗な顔によく似合う落ち着いた声で、心地良さを感じた。
あ……声、好きかも。
千紘は耳に響く低音にとくんと小さく胸が鳴るのを感じた。
「あ、成田さん。カラー剤なら俺が用意しますよ」
凪の様子を見るためにわざわざ用事を作って成田ブースから出てきたというのに、その仕事を取り上げようとするアシスタント。
アシスタント側からしてみれば、これくらいの仕事は自分達にやらせてくれと恐縮する。千紘は一瞬鋭い視線で彼を見た後、「じゃあ、よろしく」と作り笑顔を見せた。
殺気を感じたアシスタントは顔を青くさせ、次からはもっと早く声をかけなければとお門違いな思考を巡らせた。
「凪くん休みの日なにしてんの?」
米山の声に反応する。ピクリと耳を澄ませ、千紘は顔を上げた。
……凪くん? なに、馴れ馴れしく呼んでんの。大橋さん、でいいよね? 100歩譲って大橋くん。凪くんはダメだわ。
千紘は額に青筋を浮かべながら、楽しそうに笑顔で話す2人の姿を遠くからじーっと目を見開いて見続けた。
「大体寝てるか友達と飲みに行ってるか……まあ、あんまり休みらしい休みもないんですけど」
「ずっと働きずくめなんだ」
「そうですね。プライベートはあってないようなものかも」
苦笑する凪の横顔を見ながら千紘は目を瞬かせた。休みがほとんどないということは、予約を入れなければ会う機会はないということ。
担当美容師というポジションは既に取られた。いや、先に自分の指名客として出会っていたら、こんなに興味を持つこともなかったかもしれない。
自分の担当ではないからこんな不思議な距離感で凪を見ることができるのか、千紘にはよくわからない感情だった。
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