「でも美容師さんも休みないですよね? 定休日くらい? 営業時間長いし交代勤務ってわけじゃないですもんね?」
凪が鏡に映る米山を見ながら言った。米山はカラー剤を塗りながら「まあ、そうだね。アシスタントの時は遅くまで練習だし、ハサミ持ってからもずっと仕事だし。好きじゃなきゃできない仕事ではあるかな」と微笑んだ。
千紘も振り返れば泣きたいほど辛かった過去もあった。何でもそつなくこなせた千紘は技術の習得も早かった。
しかし、そのルックスの良さと勘の良さ、ハサミを持てるようになったら是非千紘にカットをお願いしたいと言う客の多さから、先輩に疎まれることは多かった。
だからいつも孤独との戦いだった。周りを認めさせるためには努力して結果を残す他なかった。がむしゃらに突っ走ってきた結果、今ここにいる。
遅くまで練習することも、休み返上で勉強することもそれが当然だと思って今までやってきた。この職種に関係のない人間は、それを大変だと思うのかと初めて知った気がした。
「専門職ってカッコイイですよね。でも俺は金にならない努力は無理だなぁ……」
無償で努力してきた人間に向かってさらっと言った凪。千紘は思わずふふっと笑った。素直で取り繕うことをしないところに好感が持てた。
「凪くん努力嫌い?」
「いや、金になる努力は好きです。金好きなんで」
「正直だなー。それなら美容師とか絶対無理だね」
「給料安いんですよね? ほんとに好きじゃなきゃできない仕事ですね」
「まあ、成田さんくらい指名取れるようになれば給料上がるだろうけどね。多分能力給ついてるし」
千紘は米山と凪がいる席の反対側で顔をしかめた。勝手に他人(ひと)の給料事情喋ってんじゃねぇよ、と軽く舌打ちをした。
「ああ、やっぱ成田さんって凄い人なんですね。有名なだけありますね」
凪に褒められて、千紘は少し誇らし気に口角を上げる。しかし、「まあ言っても俺、ここ紹介してもらうまで成田さんの存在知らなかったですけど」と笑って言うのを聞いてピクリと眉を上げた。
「え? そうなの? 顔は映してないけどカットだけの映像なら動画サイトでいくつもアップしてるし、万単位のフォロワーがいる有名人だよ?」
「俺、あんまり美容院こだわりなかったんでその動画も見せてもらって知ったんですよ」
「へぇ。この辺りで成田さん知らない子とかいたんだ。せっかく来てくれたのに俺が担当になっちゃって悪いなって思ってたんだけど」
「ああ、全然。カット上手いって聞いて気になってはいたけど別にどうしてもってわけじゃないし、俺米山さんのカット気に入ってるんで」
嬉しそうに凪が言った瞬間、千紘はピシッと顔を硬直させた。
ここ何年も千紘の予約はいっぱいで、投稿した動画を見て何ヶ月先でもいいから予約を取りたいという客ばかりだった。
それなのに凪はカットの動画を見たにもかかわらず、別に千紘でなくてもいいと言ったのだ。更に、コンテストで準優勝しか取ったことのない米山のカットで満足しているとも。
……嘘だろ。美容院こだわりないってなに。米山で満足ってなに。じゃあ、なんでこの店きたんだよ。俺指名する予定だったんだよね!? 俺にはもう興味ないってこと!?
そう自分に問いかければ、沸々と怒りさえ湧いてきた。
……にゃろう。俺のカットに興味ないなんて言うヤツ、コイツくらいだし。その辺の美容師と一緒にすんなよ……。絶対俺がカットしてやる。満足させてやる。俺のカットじゃなきゃ嫌だって言わせてやる。
千紘は1人で勝手に闘志に燃えた。
「嬉しいなぁ。俺のカット気に入ってくれるの」
「俺猫っ毛じゃないっすか。だから寝ちゃってあんま上手くセットできなかったんすよ」
「ああ、そうだね。気にしてると思ってた」
「あ、やっぱ触ってわかるもんなんですね」
「そりゃ、わかるよ。毎日セットするって言ってたからそれ考慮してカットしてるから」
「えー! すげぇ! 米山さんにカットしてもらってからセットすげぇ楽で。毎月切ってもらわきゃ無理だなって思って」
ずっと雑誌ばかり読んでいたはずの凪が弾んだ声で言った。1回触れたら俺の方がよくわかるのに。俺の方が似合う髪型見つけてあげられるのに。本来なら、そこにいたのは俺だったのに。俺ならもっと感動させてやれるのに。
千紘は思えば思うほど悔しくて堪らなかった。
チラリと見えた凪の顔。満面の笑みを正面に向けていた。否、鏡に映った米山に向けてだった。凪のそんな笑顔は初めて見た気がした。
宣材写真もツイッターに投稿された写真もどれもビシッと決まっていてカッコよくはあった。しかし、笑顔の写真は1枚もなくて、実際に会うまで笑顔は見ることのできない貴重な表情なのだと知った。
それをその他大勢に見せるわけでもなく、米山にだけ見せた。
その笑顔を見た瞬間、悔しさや憤りよりもただただ羨ましかった。
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