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その建物は完全に廃墟(はいきょ)と化していた。

ガラス窓はバリバリに砕け、外壁にある亀裂には隙間を見付けられぬほど蔦(つた)が這っている。

人が住まなくなって数十年は過ぎた様に見えた。

一昔前、昭和中期の集合住宅の跡だろうか?


特徴的なのは、建物中心付近に空爆でも受けた様な痕跡(こんせき)が残っている事だ。

外壁のクラックも、大地震が無慈悲に齎(もたら)した地割れの如き様相を呈している。


その建物の裏、その場所にその石はずっとあった。

誰の興味を惹く事も無く、いく年月、ただの路傍(ろぼう)の石榑(いしくれ)の如く、それはそこに在り続けていたのである。



とある新月の夜。

月の明かりが差すことない闇から這い出るように、その石の周りに黒く濃密な瘴気(しょうき)が妖しく蠢き(うごめき)つつ、やがて、石に纏(まと)わりつく様に渦を成し始める。

瘴気は徐々にその大きさを増し続け、同時にその濃度も時を経るごとに、密度を増して行き伴ってその色すらもどす暗さを増していく。


瘴気の奔流(ほんりゅう)が臨界に達したかに見えたその刹那(せつな)、


ドックン!


周囲の空気を震わすような、邪悪な気配が鳴動と共に溢れ出した。

一転、周囲に拡散したはずの瘴気が急激に石の周りに集まり形を成し始める。


全ての瘴気が集積しきると、そこにはあの石を中心に、二足歩行の黒い人型のモノが立ち尽くしていたのであった。

人型、であって決して人では無いその存在は、戸惑う様に自身の両手を見つめ続けていた。

かつて純白の毛皮に包まれ、光輝いていたはずの両の手を見つめ、その変容ぶりに大きな溜息を吐く。

毛皮は黒々とした悍(おぞ)ましい斑模様(まだらもよう)に変わり、往時の姿はそこには垣間見る事すらも出来なかった。


そして忌々(いまいま)しく、くぐもった地の底から漏れ聞こえてくる様な声音をもってその言葉は誰に言うでもなく発せられた。


「永き時を…… 経た……」


思索は一瞬。

僅(わず)かに顔を上げ、徐(おもむろ)に手を前方に突き出すと共に気を込める。

先程、自分の体を構成した黒い瘴気を一層濃密に両の掌に集め、右手におどろおどろしいデスサイズ、左手に薄汚れたずだ袋を顕現(けんげん)させると、再び呟いた。


「さて、役目を果たすとしよう」


言い終えるとその存在は闇の中に歩を進め、やがて溶けるように姿を消した。



時は二十四年前に遡る。

その存在はそこにあった。

砂場で遊ぶ子供達の声、ベランダで洗濯物を干しながらそれを優しげに見守る母親。

主婦達は、どこのスーパーで何が安かったなどと話し込んでいる。


それは彼女達の目の前を悠然と歩いていた。

人間達の能力では、その存在を直接目にする事はできない。

もし彼らが、存在の容姿を見る事ができたら、その美しさに息を呑んだことだろう。


顔こそ人と違い、側頭部からは勇壮(ゆうそう)な雄山羊のそれを思わせる双角(そうかく)の巻き角が生えていた。

体は純白の毛並みに包まれており、背中には一対の白鳥を連想させる大きな翼を有してもいる。

右手には具現化させた、いかにも希少そうな光り輝く神剣を持ち、左手にはその姿には凡そ似つかわしくない、薄汚れたずだ袋を大事そうに持っていた。

纏う(まとう)気配は光そのものを表した様に気高く、月輪(がちりん)の如き(ごとき)後光がその背後で瞬く様に明滅していた。


高位の霊体としてこの世界の原初の頃より存在した彼は今、一つの使命を帯びてこの街へやって来ていた。


目的の場所はここからそう遠くない台地を登った場所であったのだが、その途上、偶然通りかかったこの低所得者層向けの団地に、強烈な好奇を感じ足を踏み入れたのだった。


彼は、彼の興味を惹いてやまぬものへと向け真っ直ぐに歩を進めるのだった。

ふいに、彼は辺りを見回し、一瞬足を止め、鼻をひくつかせた。


――――なにやら不思議な香りが漂っているな…… 多数の人間が生活しているのだ、そのようなこともあろう



もうすぐ三十歳になる男性は初出勤の支度(したく)をしていた。

高校を中途退学した後、数年間の自室暮らしの後、一念発起(いちねんほっき)した彼は遂にある決意を持った。


「そうだ、仕事行こう」


それから応募面接の日々の中、断られ続けた彼は自らを更に追い込むかのような行動に出た。


「一人暮らしをさせて下さい」


――――まだ僕には甘えがあったに違い無い。 不退転、背水の陣。 最早後戻りは出来ない。 本気の本気で必死に必死だ!


語彙(ごい)力は些(いささ)か残念であったものの、市役所に勤める父の尽力(じんりょく)が功を奏し、この集合住宅の入居権を獲得し以来八年間に及んで、社会保障制度と共に孤独な就職戦線を戦い続けた男にとって、待ちに待った日がやって来たのだ。


彼はふと、ここまでの苦難の日々を振り返る。


独居当初、無料の就職情報誌を掻き集めては、良さげな募集の内容を確り(しっかり)と吟味(ぎんみ)を重ね、自身の能力や個性も併せ数週間もの熟考を経て応募し、締め切りましたと丁寧に断られ続けた日々。


気持ちを切り替え、ハロワという名の冒険者ギルドに自ら足を運び、あまり綺麗では無い受付嬢に首を捻りつつも、受諾出来る依頼は無いかと尋ねたりしたのだが、残念ながら僕にあった依頼が見つかることはなかった。

いつも。

冒険者ランクが不足していたんだと思う事にした日は枕が涙で濡れた。


徐々に自信を無くし、逃げるようにMMORPGにのめり込み、無為に時間を費やした六年もの昼夜逆転生活。

ならばいっその事、とばかりにパチプロを目指したものの原資が足らず、やむを得ず実家を訪ね、妹の預金を拝借している所を父に目撃され、泣きながらぶん殴ってきた親父の拳によって砕けた頬骨をさすり続け復讐を誓い続けたあの夜。


ちきしょう。


思えば辛い日々の連続であった。

途中で全てを投げ出したとしても決して不思議ではなかったと、胸を張って言える。


しかし…… 僕は漸(ようや)く辿り着いたのだ。

物語の始まりへ、と。


一日一時間半だけのアルバイトだが、何ヶ月もの間、あちこち面接を受け続け漸(ようや)く決まった仕事だった。

時給七百六十円、一日千百四十円、週三日働き月一万三千六百八十円だ。

それでも彼にとっては栄光の未来へのスタート地点だった。


新品の靴下を履き、いつも以上に念入りに歯を磨き、髭をあたり、髪も丁寧に櫛でとかした。

彼は鏡に写る自分の姿に向かって言った。


「さあ、冒険の始まりだ!」(ニヤリ)


久しぶりに早起きをしたため、出勤時間まではまだ一時間以上余裕があったが、気持ちがはやり浮き足立っていた彼は、バタバタと慌しくバッグを取りに行った。


その時、


「おっと!」


足をガスファンヒーターのホースに引っ掛けてしまった。


シュ――――――――――――……


衝撃でズレたホースの隙間からガスが漏れ始めた。

が、彼に気が付く様子は無い。

いそいそとバッグの準備をすませるとベランダに出て口笛を吹きつつ洗濯物を干し始めるのだった。




引越して来て間もない親子がいた。

母親と二人の子供達、部屋にはまだ開封されていない段ボール箱がいくつか残っていた。

小さなちゃぶ台と、折りたたんだ布団が三組、家具類はほぼ皆無だ。

子供達はまだがらんとした目新しい部屋の中をぐるぐると走り回っている。


「こら~! あんた達! バタバタ暴れちゃだめよ! 走るんならオンモでっ!」


――――もう…… 下の階の人から怒られちゃうじゃない


小言を言いながらも彼女の表情はどこか晴れやかなものがあった。

永遠に決着しないのでは無いかと思われた泥沼の離婚調停がやっと終わり、最愛の子供たちと再スタートを切るべくここに越して来たのだ。


今は別れた夫の事に思いを馳せる。

元々は優しい夫だった。

交際中も結婚した当初もそれは変わらなかった。

斜陽は突然。

バブル崩壊に端を発した平成不況の暗い影は、夫婦の暮らしにも明確に忍び寄って来た。


夫の会社では、残業代金の未払いのみならず、家計の密かな支えでもあった残業自体や休日出勤も如実に無くなり、肝心の月給自体も遅配が目立つようになっていた。

若い二人の貯蓄は見る見る切り崩されていった。


このままではジリ貧だと考えた私は近所のレンタルショップでのパート勤務を決めた。

婚前から専業主婦を望んでいた夫には悪いと思いつつも、二人の未来の為にはと考えての行動だった。

怒られるかとも考えたが、意外にも夫は快諾しただけでなく、


「苦労を掛ける……」


と珍しく私に頭を下げたものだった。

それから私達は時代の波に飲み込まれぬよう、互いに支え合うように死に物狂いで働いた。


第一子を授かった後も、私は臨月までパートを続け、出産後には、入れ替わるように夫がコンビニの夜間勤務を副業とした。

決して裕福とは言え無い生活ではあったが、世間全体が暗く悲しいニュースに溢れる中、ささやかながらも安定を享受していた。


そんな暮らしに転機が訪れたのは昨年初頭、今から一年半ほど前だった。


ある日を境に急に無口になった夫は、一日中陰鬱(いんうつ)な顔で過ごし始めた。

心配し原因を問う私に対して、返事も返さず、ただ冷たい視線をジロリと向けてくるだけだった。


夫は一体どうしてしまったのだろう。

不安に駆られたが、あの冷たい目を前にするとそれ以上重ねて聞く気にもなれなかった。


夫の変化はそれで終わりではなかった。


これまでは殆ど(ほとんど)口にしなかったアルコールを、毎晩大量に呑むようになり、酔いが深まるにつれて普段の無口さの反動とでもいうのか、乱暴な口調で私の料理や家事のやり方などを悪し様に否定するようになって行った。


毎晩のように繰り返される夫からの罵倒(ばとう)。

直接暴力を振るわれる事は無かったものの、私の精神は日を重ねる毎(ごと)にガリガリと音を立てて削られて行った。


それでも、離婚など決して考えられる訳も無い。

なにしろ、その時には私の宝物、命といっても良い存在、愛する息子が二人になっていたのだから。

この子達を悲しませたく無い。


それに…… こんな時代なんだから、夫にもストレスが溜まっているんだろうと思っていた。

生来、優しいあの夫の事だから、どこかで折り合いを付けてきっと元の彼に戻ってくれる。

そう、信じていた、いや、信じていたかった。

あの言葉を聞かされるまでは。


それは日曜の昼下がり、呑んだくれている夫の脇で、健気にも『パパの絵』を共作していた息子達の耳の前で発せられた。


「おい! このガキ共をあっちに行かせろ! 全く、どこのどいつのタネで作りゃあこんなアホガキが生まれるんだかっ!」


耳を疑った。

ショックだった。

自分の全てを否定されたようで、惨めだったし、同時に自身の非力さを認識した。


それよりも……


――――この男と一緒に子供達を生活させていてはいけない! 危険だ!


その後の事は余り具体的には覚えていない。


とにかく、二人の息子を連れて着の身着のまま実家へと戻った彼女は、迎えた家族に最近の自分の生活を語り、家族は驚愕の表情で彼女に応えた。


それからの月日は優しい家族の力を借りつつ、何とかここまで辿り着いたのだった。

最愛の息子達と三人幸せになって行こう、彼女は心から晴れやかな笑顔を浮かべた。


上の子は人懐っこい笑顔が可愛い爽やかな美少年、下の子は年に似合わぬ憂いを湛えた切れ長の目をしたクールボーイ。

二人ともそれぞれの本当の父親に似たイケメンに育つ事だろう。


彼女はもう一度噛締めるように呟いた。


「あのヤドロクが気付いていたのには本当に驚かされたが、まあ緊急避難はギリセーフって所だな」


残ったダンボール箱を開封しながら胸を撫で下ろしていると、いつのまにか走り回るのをやめた子供達が彼女の近くに寄って口を開いた。


「おかーさーん! なんかくさーい!」


もう一人が答えた。


「ふふふっ、おならだ! おなら!」


「え~? おかあさんじゃないわよ? もう! あ、でも本当ね、何の臭いかしら?」


クスクスと子供達はひとしきり笑いを交わし、その後、母親の言い付け通り表に向かって走って行った。

ゆったりとした時間が流れていった。




マスカラを丁寧に塗りながら妙齢(自称)のその女性は、まさか自分の人生において本当に白馬の王子様が現れるなんて、と考えたところで、


「ふふっ」


と笑った。


――――ちょっと古臭い言い回しかしらね


今日は婚活パーティーで出会った人とランチに行く予定だ。

今まで何回、何十回と参加してきた婚活パーティーだったが、男性と連絡先を交換して食事の約束までしたのは今回が初めてのことだった。


半ばあきらめかけていた頃の出来事だったため、五十代にもなって浮かれてるなんてと自制しつつも顔は自然とほころんでいた。


「それにしても、これほど効果覿面だとはねぇ~」


少し派手目のルージュをひきながら彼女は思わず口ずさんだ。

今回舞い降りてきた幸運には、彼女なりに思い当たる事が有ったのだ。


それは、 アピールシート。

別称プロフィール。


身長体重血液型に現行職業、女性なら趣味や特技所有する資格など。

男性陣には年収欄やスポーツ欄などなど。

自分を売り込むためのスキルシートだと言っても良いだろう。

あくまでも自己申告が基本の為、人によっては盛大なてんこ盛りをして異性の関心を買おうとする向きもあるようだ。


しかし、彼女はこのシートについて、一切の盛り行為を意図的に避けてきた。

見栄を張って自分を大きく見せた所で、そんな虚栄(きょえい)は長くは続かない。

ましてや、婚活パーティーはその名の通り結婚相手を探す事を目的にしている。

一夜のアバンチュールの相手ならいざ知らず、長く添い遂げる相手にその手の嘘は障害にしかならないだろう。

そう考えた彼女は至極正直に身の丈の自分自身を書き込み続けたのだった。

今までは。


そう、実の所今回のアピールシートでは彼女史上初めて、盛った、のだった。


とはいえ、元来臆病な性格の彼女に大胆な嘘など吐(つ)ける訳もなく、あくまでも嘘にならない程度の改変だった。

趣味欄の『食費抑制の為の節約料理作り』を『洋菓子作り』に、特技欄の『服飾代軽減の為の古着リフォーム』を『洋裁』に、それぞれ置き換えたに過ぎない。

アピールシート一つ取ってもこの調子なのだから、パーティーが始まっても大胆に売り込むなんて出来るわけもない。


いつもと同じ様に、積極的に語らい始める他参加者の姿を少し離れて只見つめていた。


その時、


「失礼、少しお話しをさせて頂いてもよろしいでしょうか?」


男性に声を掛けられた。

こんな風に話し掛けられる事自体稀(まれ)だったので俄(にわ)かに緊張しながら言葉を返す。


「え、ええ、もちろん」


答えながら彼の手にある紙束に目をやると、そこには私のアピールシートのページが開かれていた。


「洋菓子を作られるのがご趣味なのですね」


「え、ええ、あの、趣味レベルですけど」


「すばらしい! 因(ちな)みにどのようなお菓子を?」


「っ! ……ぽ、ポルトガルのお菓子を少々っ」


私は胸の内で言い訳をする。


――――う、嘘は言ってないわよね。 かるめ焼きしかできないけど、あれって確かポルトガル語が関係してたし


声を掛けてきた男性はというと、ほうっ、と感心したように頷いている。

更に質問を続けてきた。


「特技は洋裁、ですか、こちらも大変女性らしくて素敵ですね! あ、失礼セクハラの意図はありませんので!」


慌てて顔の前でブンブン手のひらを振りまくる彼の姿に私の緊張も急激に解けて行く。

だから、柄にもなく軽口を言ってしまったのかも知れない。


「ふふふ、御気使いなく、この歳ですもの、もうおじさんだかおばさんだか自分でも……」


「っ! そんな事を口にしてはいけない! 幾つであろうと人生は尊重されるべきです、彼我(ひが)ともに評価は慎むべきです」


真っ直ぐな言葉。

口を噤んだ私は彼の目を真っ直ぐに見つめるしか出来なかった。

そんな私を置き去りに、彼は続けて聞いた。


「改めてお聞きしてもよろしいでしょうか? 洋裁とはどのような物でしょうか?」


改めて問われた!

ここは大事なところだ。

おばちゃんでもわかったぞ!

一世一代の場面ってやつだな。


一度短く息を吸い込んで私は答えた。


「古き物を愛おしく思って居ります! ……はい!」


彼は間を置かず言った。


「クラシカルっいや! フォーマルビューティーと言った所でありますか、いやはやなんとも……」


その後も、彼女と紳士との会話は弾み続け、パーティの告白タイムを待たずに連絡先の交換を果たしたのだった。


それから一週間、互いに連絡を取り合い、会話の中で彼の事情も彼女の知る所となる。

てっきり日本人だと思った彼女の予想とは違い、彼はさる北欧の大貴族の現当主であると言う。

準国策事業の世界展開の為に来日し、複合企業体の立ち上げ準備を終え、余剰時間にあのパーティに参加したと彼は続けた。


「本物の王子様だったんだ、まさか?」


彼女は人生の急転に、胸の鼓動を抑えられなかった。

この日舞い込んだ新たな事態に彼女の予想は確信へと変わる。


彼曰く、とんだ失態、をしてしまったらしく、ちょっとした計算ミスで保証金が不足してしまったと彼女は告げられた。

不足金額は二千万円だと彼は言った。


彼女の脳裏にある単語が浮かんだ。

その単語は、『運命』だった。


地元の信用金庫で働き続けた彼女の手元には丁度二千万の現金があった。

この現金を、彼女は躊躇(ちゅうちょ)せずに彼に渡すと告げた。

彼は驚いた風な声を上げたが、その後大変嬉しそうだった。


今日は彼と待ち合わせて直接二千万円を渡しその後でランチの予定なのだ。

彼が保証金を払い終わったら一緒に本国に行こうと言ってくれた。

幸せになる事は嬉しい事だが、長年勤めてきた仕事には少しだけ未練を感じてしまう。


特に私を心から信用してくれて、急逝(きゅうせい)した旦那さんの生命保険金を預けてくれた未亡人の女性。

きっとあの人は、自分の口座に私が現金を預金済みだと信じている筈だ。

その割りには、最近通帳の確認を再三に渡って求めてきていたが……


連絡が取れなくなったら信金に確認を入れるかも知れないな?

まあ、その頃は私は北欧だからね。

気にする事は無いわ。


あ、いけない出かける時間だわ。

彼を待たせちゃいけないわ。


最後の仕上げに姿見に全身を映し、後姿もチェックした。

特技の洋裁により、ウェストのゴムは大きめにリフォーム済みだ。


――――最近少し下腹が出てきたわ……


と思いつつ、すぅっと息を吸い込み凹ませてみる。


「ん? なにかしら? 臭うわね」


と彼女はリビングのゴミ箱を確認しに行った。




――――ああ、三日ぶりの食事か……


一人暮らしの高齢者男性は、はやる気持ちを抑えつつ食事の支度に取り掛かっていた。

知人に貰ったちびろくラ○メンの一つを取り出し、さらにそれを半分に割りマグカップへと入れた。

ふぅ、と溜息をつく。

あと何年こんな生活が続くのか? 続けられるのか?


「世の中、いや政治がおかしいんだろうな、やっぱり……」


思わず愚痴が口をついて出る。

同時に彼は自分自身の生涯に思いを馳せた。


思えば俺の人生はついていなかった。

物心ついた時には、世論は対米国の決戦へと国威発揚(こくいはつよう)を高らかに謳っていた。

配給と戦時統制化の少年時代はとても辛かったと記憶しているが、本当の苦しさはその後にやって来た。


戦争末期、空襲によって家を失い、家族と行き別れ、瓦礫に埋まった大阪で孤児として暮らした。

同じ境遇の子供達で身を寄せ合って眠り、ごみをあさったり、タニシや昆虫を捕まえて糊口(ここう)を凌(しの)いだ。


敗戦を告げる玉音放送は河原で跪(ひざまず)きながら耳にした。

何故か酷く悲しかったが、戦争が終わると安堵した覚えもある。

戦後の混乱は筆舌に尽くしがたく、MP(ミリタリーポリス)の浮浪児狩りから逃げ続け心底恐怖を感じたものだ。


そんな暮らしは数年の間続き、俺が十六歳になった時、偶然知り合った人の仕事を手伝う事になった。

これが最後のチャンスだと思った俺は、周りの誰よりも一所懸命に働いた。

特に誰もやりたがらない汚れ仕事なんかは、積極的に取り組み信用を築こうとし続けた。

上手く行っている間は周りから誉めそやされたものだ。


しかし、俺が頑張った結果が失敗に終わり、周辺から批判の声が上がると、俺は責任を押し付けられた。

復興が急速に進む中でも、悪評を一手に背負わされた俺に、組織での居場所は無かった。

そこからは凋落(ちょうらく)の一途を辿った。

世は戦後の復旧から高度成長期へと、好景気を享受していたが俺がその恩恵を受ける事はなかった。


望んだ物ではなかったが、働く場所が見つけられた事は不幸中の幸いであっただろうか?

俺は過去の苦い記憶を振り払うかのように、一心不乱に働き続けた。

そんな姿勢が雇い主に届いたのだろうか、俺はある大きな仕事を任される事になった。


もしかしたら、今度こそ上手く行くのか?


俺は言われるままに精一杯仕事に取り組んだ。

俺は自分の仕事を完璧にやり遂げたが、その結果は雇い主の目論見(もくろみ)とはかけ離れたものだった。


俺はまた責任を負わされ職を失う事となってしまった。

一度狂った歯車は容易には噛み合う事は無い。


打ちのめされた気持ちのまま、少年時代と同じく只食べる為に生きた。

仕事の内容どころか、人に話す事すら憚(はばか)られるような事でも、生きる為に何でもやってきた。

それでも、暮らしは一向に楽にはならず、日々の生活も貧しいままであった。

当然、友人や恋人を持つ暇など無かったし、ましてや結婚など、望むべくも無かった。


孤独な生活のまま還暦を迎えようとした頃、そんな俺にも慕ってくれる後輩との出会いがあった。

周囲と上手く溶け込め無かったその後輩は、何故か俺にだけは心を開き、色々な悩みを相談して来た。

転機というほど劇的な事ではなかったが、やはり俺にとっては特別な事であった。

こんな何も持たない男を頼ってくれる事が、とにかく嬉しくて仕方が無かった。


後輩には好き合って一緒になった嫁さんがいたが、事情があり会う事が出来ないでいた。

嫁さんの生活の心配や、会えない寂しさを、何度も何度も俺に訴えた。


やがて、俺は拠点を移し職も変える事になった。

後輩には会えなくなったが、新しい環境で、僅か(わずか)ばかり自分の時間を取る事が出来るようになった。

新たな住処(すみか)からほど近い場所に、後輩の嫁さんが暮らす家があった。

気まぐれから訪ねてみると、嫁さんも又、後輩の事を心配していたし、彼と同様酷く寂しがっていた。

俺が後輩の状況を話すと嬉しそうに聞いていたが、ひとしきり話し終えると又淋しそうにしていた。

帰り際、彼女は後輩に会えたようで楽しい時間だったと俺に言った。


それから、俺は時間が出来る度に後輩の嫁さんに会いに行き、少しでも彼女を慰めようとした。

そうする事が、こんな俺を慕ってくれた後輩に対する、せめてもの礼になるかと思ったのだ。

手前味噌かもしれないが、後輩の嫁さんの淋しさも少しは紛れたのではないかと感じていた。


後輩の家を訪れ始めてから二年近くが過ぎた頃、嫁さんからもうすぐ後輩が帰って来ると聞いた。

彼女はこれまでの俺の訪問に恐縮していたのか、これ以上の迷惑は掛けられないと思っているようだった。

後輩が帰って来てまで俺に負担を掛けられないといった内容を口にしたが、俺は笑顔でそれを否定した。

彼が帰って来たら今まで以上に訪問すると伝え、加えて二人の面倒は俺が見るとまで宣言した。

後輩の嫁さんは俺の言葉に感動したようで、声を抑えながらも涙を流していた。


うれしいなぁ~…… 心からそう思えた……


そして、待ちに待った……

後輩の帰ってくる日っ!


俺の目の前に立ったあいつは…… ダンビラを握っていた……

のみならず、あいつは言った。


「てめぇっっ! こ、殺してやるぅっっっ!」


……

…………

………………

――――――――?

意味が分からなかった……

何を言っているんだこいつは?

この感動の再会の場には凡そ(およそ)似つかわしく無い声を張り上げて……

狂ってしまったのか?


弟、そうだ年の離れた弟だと思っていた…… 勝手に……

でも今のあいつは俺に確かな殺意を持って走ってきている……


俺の中でスイッチがガチャリと重苦しい音を立ててはまる。

いつものように。


舐めるな! 戦争も知らないガキがっ!

殺しにくるなら、殺してやる!


そして、俺は仮釈放中に十八回目の殺人を犯した。


こんなつもりは無かった。

だが、正気を取り戻した俺の足元には、半分に切断された、あの可愛い後輩と…… 無謀にもドスを握り、俺に突っ込んできた後輩嫁の無残な亡骸が無造作に転がっていた。


意味が分からなかった。

俺が守りたいと初めて思った二人……

その為に自分を後ろに置いて尽くしてきた夫婦……

何故? こんな結果に何の意味が?


その時、初めて俺は世の中の不条理を憎んだ。


俺が何をしたと言うんだ!


俺は只、求められるままに人を殺め続け、捨てられて尚、次の組織でも只々殺人者の立場に徹してきた。

不遇の立場に腐る事無く、ある日出会ったガキの話も仕方なしに聞いてやったりもした。

訪ねたガキの女房が淋しそうだったから、五日と空けず抱きに行ってやった。

褒められこそすれ、殺される謂れ(いわれ)なんざ一ミリたりとも覚えがねぇっ!


その後、仮釈放中だった俺は収監され、残りの刑期+過剰防衛の刑期を満期終了し今日に至る。

心の底から思う。

本当に世の中、特に政治がオカシイぜっ! 思わず口をついて出る。


「一度、俺に総理をやらせてみろってんだ! 馬鹿野郎めっ!」


時代の無責任さに、為政者への昂る気持ちが溢れそうになるのを、ぐっと堪えて気持ちを切り替える。


「なるようにしかならないさ、今は食べられることに感謝しようではないか!」


声に出すと、少しは気持ちが軽くなるような気がした。


「ふんっふんっふんっ、ちっびちびちびっちびろく~ラ○メ~ン~!」


彼は気を取り直し、慣れた手つきでヤカンに水を入れ、コンロに点火することにした。


カチッ!


瞬間、


カッ! ド――――ンッ! ゴオォォォォォ!


激しい光が一瞬で男性を包み込んだ。


「あ」


と声を出す間も無かった。


一瞬遅れて肉体を粉々にする様な衝撃が通り過ぎ、ほぼ同時に空間ごと焼きつくす程の高熱の爆炎が全てを包んだ。

衝撃波と熱波は男性の部屋を中心にして、破壊の軌跡を団地全体に刻み込みやがて徐々に暴威の牙を収めていった。



そして、時を同じくして団地に足を踏み入れていた人ならざる存在、彼も又例外無く衝撃と熱に包まれた。


彼は、何が起きたのか全く理解できなかった。


その数秒前、彼は足元に転がっていた半透明でピンクの丸い、甘い匂いを発する物体に興味を示していた。

外で走り回る子供の口内から飛び出し、地面に落ちたキャンディーだった。

いつ落ちたのか、蟻が列を成し、たかり、なんとか巣に持ち帰ろうとしていた物だ。


肉体を具現化していた彼は、匂いを感じる事が出来たし、味もまた然り(しかり)だ。

彼自身、人間という存在に対する興味がとても強く、その生活から食べ物、感覚に至るまで、全てを知りたいと欲していた。


三秒ルールなど、霊的に動植物と存在そのものの次元を違える彼には、意味を成すはずも無く……

彼は躊躇なくそのキャンディーをつまみ上げ口に入れた、蟻ごとだ。


「うむ…… イチゴ味か、思ったより酸味が強いな…… なるほど! 甘い物を敢(あ)えて地面に落とし、蟻味を足す事で深みを増しているのか」


糖分と一緒に蟻酸を味わいつつ、人間の食への飽く無き探究心に微妙にずれた感想を口にした。

爆炎が襲ったのは、まさにその刹那。


彼の美しい純白の毛並みも、仲間達の誰もが羨んで止まぬ美しい双翼(そうよく)も、力を湛えた雄雄しくも勇ましい鋭い角も…… 可愛い飴ちゃんと健気な蟻達と共に、彼の肉体の一切合切が一瞬で爆発によって姿を消したのだった。


ヒュ―――― カツン! コロリっ


ただ一つ、彼の魂魄(こんぱく)とも言える石だけを残して。



良い面を見れば、彼ら、団地の住人の無念という想念が彼の復活を早めたことだ。

悪かったことは、偶然にもちびろくラ○メンを食べようとした高齢者男性の周りの住人達も皆亡くなってしまったことだ。


悲劇であった。

何の罪も無い、無辜(むこ)の人々の命を失った事は、人間社会全体の損失と言えよう。


皆、未来へ向けそれぞれ歩み出そうとしていた矢先の出来事であった。

これから人生の春たる幸福を見出した途端の、突然の終焉(しゅうえん)……


そうそれはまるで、上げてから落とされる、ブレーンバスターの如き衝撃を、彼や彼女らの魂に刻み込んだ事であろう。


だが…… しかし……


彼や彼女らにとって、実は、この爆発事故が無かったとしても、待ち受けていた運命は思い描いた通りの輝かしいものではなかったのだ。


ちびろくラ○メンを半分づつ、三日に一度の食事を楽しみにしていた高齢者男性から真実を語ろう。

彼は、最後の晩餐のちびろ○ラーメンの裏側に、致死性レベルの青カビがびっちり生えていたことに気が付いていなかった。

あのまま口にしていれば、四肢の麻痺と激しい嘔吐に見舞われ、翳む(かすむ)視界の中、自らの吐瀉物と汚物塗れ(まみれ)になって、三日三晩のたうち回った挙句(あげく)絶命し、数週間後に半分腐った状態で発見、通報される筈であった。



妙齢(自称)の女性の事は言うまでも無いであろう。

賢明な読者の皆様であれば、もうお気づきであろうが、蛇足と知りつつ敢えて記しておこう。

詐欺、発覚、逮捕、有罪、週刊誌報道、自決……



父親は妻と二人の子供達の行方を血眼になって探していた。

離婚の原因は父親のDVだったのだが、完全に妻の逆恨みであった。

元妻の兄を装った父親は、近所の交番で母子の住所を聞き出すことに成功していた。

おまわりさんは、ちょろかった。


元妻達が引越した翌日には、父親は団地に辿り着き、砂場で遊ぶ二人の子供を刺し殺す。

その後、元妻を指先から切り刻み、死なない程度に止血し死ぬまで何日でも、何週間でも繰り返し責め続ける。

元妻が動かなくなったのを確認すると、父親は狂気の笑いを顔に貼り付けたまま、自殺をする筈であった。



もしかして、バイトからバイトリーダーに、その後店長、エリアマネージャー、そしてそして…… 最期は押しも押されぬ大手コンビニチェーン店の創始者か?

と、夢と希望と自分勝手な欲望に満ち溢れていた彼は、出勤出来ていたとしても、そこに居場所はなかった。


仕事先の連絡ミスにより、既に彼のポジションには同世代の別の男性が勤務し始めていたからだ。

そう、冒険は始まらなかった。

たぶん冒険者ランクが足りなかったのではなかろうか。

自暴自棄になった彼は、軽く精神をやってしまい、実家に帰り、父、母、妹、加えてポチとタマに至るまで、家族の全てを手に掛けてしまう。


後に彼は公判で語った。


「死にたかった、たくさん殺せば死刑になれると思った」(キリッ!)


と。



そんな運命が待ち構えていようとは、住人達は知る由もない。

このガス爆発が起きたことによって、本来あった運命よりも苦しまずに済んだという意味では運が良かったのだ。

とは言えど、それを知らずに逝ってしまった魂の無念は、生半可な物では無いのは間違い無い事であろう。


実は…… この運命の変遷というべき変化は偶然起きた訳ではない。

その原因となる明確なある『存在』が、この団地の裏山から程ない距離にある、廃村となった村の祠(ほこら)にあったのだが、それはまた別のお話。



住人達の、無念の怨念や勘違いや妄想や責任転嫁やご都合主義のエネルギーは、強力にして膨大だった。

石から復活を遂げた彼の容姿を、かつての姿からは想像もできないほど、おどろおどろしいモノへと変貌させていた。

爆発事故の後、もちろん慰霊祭等も行われたがその程度で祓(はら)えるような生易しい想念では無かったのだ。


例えて言うなら、飛び降り自殺する時、ただ落ちるのではなく、


「とうっ!」


と上方に飛び上がってから落ちた、端(はた)から見れば、なんて前向きな! と思い、もうちょっと頑張れたんじゃ? と感じたりする程の意外な死である。


並大抵の無念、残念では無かったであろう…… だからこそ…… 人ならざる彼は、以前とは違う姿で確実に復活した。

主に黒っぽくだ。

中学入学二年目っぽいとも言えるだろう。


ならば良し! 黒い感じも、いや黒いからこそ良いとも思えたのだった。

彼は、人のあらゆる面に興味を抱いていたのだから!



――――しかし…… これは一体どういうことなのだ?


彼は少々焦っていた。

なかなか透明になれないのだ。

以前は人の目に触れないようにすることなど造作も無かった。


――――不可視化できない? ……だとっ!


何度試しても上手くいかない。

気配で犬に吠えられたりする。


「はあぁ~」


大きく溜め息を吐いた。

諦めて、彼は人目につかぬよう、道をそれて、国道に沿った手付かずの山の中へと歩を進めるのだった。




「酷い目に合った……」


どれほど時間が過ぎただろうか?

歩き出した時は深夜だったはずだが、太陽は既に真上を少し過ぎていた。

彼の眼前には緑の絨毯が広がっていた。

日本有数の大茶園だ。


自慢の角に絡みついた蜘蛛の巣を拭いつつ、キョロキョロと周囲を見渡し、目的の建物を特定する。


――――ここか


彼の目の前の表札には“茶糖(サトウ)”と書かれている。


フ――――――っ


気合とも溜息とも違う、安堵の息を彼は口の両端から吐き出した。

周囲の空気が一瞬で凍(い)てつき、ダイヤモンドダストの輝きを撒き散らす。


左側の建物から極端に大きな力を感じる。

右側の建物には左のものと同様の大きな力が二つ、一般的なものよりは大きな気配がいくつか感じ取れた。


――――まずは数を稼ぐとしておこう


ひたひたと右の母屋に向かう彼の耳には、楽しそうにはしゃぐ子供達の声が聞こえてきた。

堕肉の果て ~令和に奏でる創造の序曲(プレリュード)~

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