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「……先輩」
感じたのは肌をなでる風、そして草の匂い。
目を開けようとしてためらう。
……この声は海月だ。
バスの事故で下半身を失った彼女の姿が目に焼きついている。
そして真っ赤なペンキをぶちまけたようなバスの中。
「先輩、マジで起きてください」
張りのある声に覚悟を決めて目を開く。
まず見えたのは青空、その青を背景に覗き込む海月の顔がある。
「え?」
巻木は草原に横たわっていた。
海月を見るとしっかりと足がある。
「ここは天国か?」
「わからないっす」
「じゃあ地獄?」
「だからわからないっす」
海月に強引に体を起こされる。
草原と森のグリーン、スカイブルーに浮かぶ真っ白な雲。
少なくとも地獄じゃない。現世で積んだ徳が認められた。
「事故ったよな。雨でスリップして谷底に。いや落石か?」
背中に冷たい汗が流れ、吐き気に襲われる。
この感覚は生きている証拠だ。
「先輩、さっきのセリフ取り消していいですか?」
海月の言葉に首をかしげる。
「私をクッションにしたんだろってやつ。あれは嘘、軽いジョークっす」
「確かに最期の言葉は慎重に選ぶべきだったな」
「先輩は僕を助けてくれたんですよね。わかってますって」
「助けようとしたのは確かだけど、俺にここまでの力はないぞ」
高原に行く予定だったが、こんな乱暴に放り出されるとは旅の栞に記載されていなかった。
「死後の世界って本当にあるんだな」
「先輩、現実逃避しないでくださいよ」
「いや、受け止めてる。俺は全員の死を目の前で見たからな。クラスメイト全員のだ」
そう、はっきりとクラスメイト全員の死を目撃した。
「そうやって理屈で考えるより、まず動きましょうよ。ほら綺麗な花が咲いてますよ」
海月が摘んだ花から甘い香りが漂った。
手足も自由に動き、感覚がある。
「こういうときは自分の目で見たものだけを受け入れることが大切ですよ。『我思う故に我あり』ってやつです。デカルトですよ、偉大な哲学者さんのお言葉」
海月がグリーンの芝生の上でくるくると回転している。
「もしかしたらワープしたんじゃないですか? ほら核爆発に巻き込まれて時空が歪んだっていう物語があるじゃないですか」
「ただのバスの事故にそんなポテンシャルエネルギーがあるか?」
だが、この状態を見るにワープしたという説がしっくりときてしまう。
巻木はズボンのポケットを探るがスマホはない。
「海月、スマホは?」
「ないっす。ポケットに入れてたのに財布もない」
「おかしいよな。服やお前のアクセサリーとかはあるのに」
海月の頭にはサイコロの髪飾りがついている。
「たとえば」
海月が指を立てた。
「これが自分だと思うものだけ転移したとか。ほら、哲学的には服と皮膚の違いはないっていいますし。つまり、この服を含めて僕は自分だと認識していた。それとも先輩は僕が裸で登場することを望んでました?」
海月が胸を隠す仕草をする。
「再会するまで男だと思ってたんだぞ。……いや、でもそれが逆に興奮するかも」
「キモいな、こいつ」
先ほどまで哲学を語っていたのに暴言はシンプルだ。
「話を整理すると僕らは死にました。そして何らかのエネルギーが発生して別の世界に。過去か未来かそれとも別の次元なのか。とにかく僕と先輩は跳んだ」
「別の世界とかはないだろ? 現実的に考えると、空気の濃度とかバランスがちょっと変わるだけでも人間って死ぬんだぞ」
「この状況で現実的って言葉は意味をなしません」
確かに一理ある。
「まずこうなった理由を探すべきでしょう」
「理由を探す前にクラスメイトを探さないと」
海月が「そっか」と初めて気づいた顔をする。
まだ名前すら知らないクラスメイトたちに気が回らなかったようだ。
だが周囲を見回しても人影はない。
見えるのは広がるグリーンの草原と森と山の稜線。
「日本じゃないし海外でもないっすね」
「なんでわかる?」
「空を」
空を見上げ、ここが地球でないことを知った。
衛星が二つ見えた。
一見すると月のようにも見えるが、それは自分の知る月じゃなかった。
「まず安全な場所を探そう。クラスメイト探しはその後だ」
巻木は現実を受け入れた。
あらためて見ると見通しが悪い。草原は深緑の森に囲まれ、むやみに動けば位置を失う。
気候の状況もわからないし、この星が自転しているのならば夜が来る。
「あそこ」
森の中できらりと光ったのは建造物だ。
ここから塔のようなものが確認できる。
「行きましょう。他の人たちも来てるならあそこを目指すしかありません」
巻木と海月は並んで草原を歩きだす。
「これがゲームだったら誰かが説明してくれるんですけどね」
「女神様とか?」
不思議と恐怖はなかった。
一度死んだからだろうか?
それとも死は単なる引き金であり、もともとこの世界に来る運命だったのか。
森を抜けると石造りの建物の輪郭が見えた。
視界が開け、カラフルな花畑に囲まれる教会が目に映った。
まるで映画のワンシーンのようで目を奪われる。
教会の前にひとりの女性が立っていた。
シスター装束の彼女は微笑み、言った。
「異世界にようこそ」
*
森の中の小さな街。
そして巻木の予想は当たり、クラスメイトも生きていた。
この教会を目指して次々に集まってくる。
「とりあえず人数を確認して。聞きたいこととかはあとで!」
声を張り上げているのは美鈴だ。
林間教室のイベント委員だったが、こんな大役になるとは思ってなかっただろう。
「なあ、これってお前の仕業だろ」
巻木に巨漢の男子が近づいてくる。
「えっと、誰です?」
隣の海月がきょとんとしている。
「石垣悠馬。あだ名はガッキー。いかついけど悪いやつじゃない。昔は暴力的だったけど」
「その話はいい」
石垣は一年ほど前に理不尽な教師を制裁したことがある。
この学校はクラス替えがないので、その場には巻木もいた。
自分とは違い直接的な行動を取るタイプだ。
「お前、企画係の説明の時に『どっきり』があるとか言ってたろ。このことか?」
「ガッキーは俺を神様だと思ってるのか?」
「思ってねえが、その『どっきり』とやらは何をやる予定だった?」
巻木は口をつぐんでしまう。
そんな様子を見た周囲のクラスメイトが疑念の視線を向けてくる。
「本当に先輩の仕業なんです?」
海月まで疑っているので、巻木は深いため息をついた。
この状況ではとても些細なことだ、言ってもいいだろう。
「俺の企画はこっそりと付き合ってる二人をサプライズで晒しもの、いや祝うつもりだった。棚橋とマリンちゃん」
寄り添う二人は皆の視線を受けて距離を取った。
周囲の反応は薄い。
バレていないと思っているのは本人たちのみで、教室でも二人だけのサインを交換するなど、はっきり言って面倒だった。なのでこのイベントで公にする予定だった。
「どうだ、驚いたか?」
「ああ、お前の企画力にな」
石垣が目に見えて失望している。
この不可解な状況の説明が欲しかったのだろう。
期待に応えてやれずすまない、これは自分の力不足だ。
「そんなことより人数を!」
「二十一人よ」
カラフルなアクセサリーで彩られる愛沢ナナに視線が集まる。
「ありふれたセリフだけど……」
彼女の声は囁きでさえもよく通る。
「落ち着いて」
愛沢ナナはこんな状況でも微笑んでみせた。
声と表情だけでクラスを立て直した。
だが巻木は目を逸らしてしまう。
その顔がトマトのように潰れたシーンが目に焼きついている。
彼女の笑顔が苦手になった理由がまた一つ積み重なった。
「もう一度説明してあげてよマッキー」
そんな感情をよそにナナが視線を向ける。
「到着したのは俺たちが一番先で、教会のシスターがいた」
そして街にはそのシスターひとりしかいなかった。
教会を中心にした小さなこの街は、無人の廃墟となっている。
「あの人は全員が集まったら知らせてくれと」
今は教会に入り扉を閉ざしている。
「彼女が言うにはここは異世界だと。事故で……」
巻木は死という言葉をのみ込んだ。
「事故のショックで別次元に跳ばされたと」
正確には「あなたたちは全員死にました。そしてこの世界に転送されたのです」だった。
巻木の説明に動揺が広がるが、ナナがそれを制し続きを促す。
「クラスメイト全員の安否が確認できてから詳しく話すとのことだ。跳ばされた場所はここから半径五百メートル以内だと断言していた」
「先生は?」と誰かが質問する。
「この異世界に跳ばされたのは生徒だけだって」
つまりバスの運転手も来ていない。
「そのシスターとやらを信じるのか? お前はその宗教の信者か?」
石垣が両手を広げて不満をアピールする。
「当然でしょ」
代わりにナナが平然と答える。
「何よりも重要なのはクラスメイトの安否じゃない? まずはそれから」
「じゃあ探しに行くべきだ。残り九人だろ」
バスで一緒にカードゲームをやっていた神田もここに到達していた。
「むやみに探さないほうがいい。森の中の半径五百メートルって思ったよりも広い」
二次遭難の恐れがある。
「でも、もたもたしてると日が暮れちゃう」
「俺は気づいたことがあるんだ」
巻木は誰かの意見を制す。
「俺とこいつ、いや……」
「香田海月です。本当は目的地についてから紹介される予定だったんですが」
海月の予定は大きくズレて、この異世界で挨拶することになった。
「俺と香田さんは同じ場所に跳ばされた。てことは法則があるのかもしれない」
巻木は美鈴に頼み、皆がおおよそどの辺に跳ばされたかを確認してもらっていた。
「たとえばバスの座席とか、意識を失った時刻とか……」
「死んだ時刻と位置が関係しているってことね」
きっぱりと死を言葉にしたのはクラス委員長の星静流。
「聞くところによるとマッキーが最後にバスで死んだ」
女子たちが現実のシーンをフラッシュバックさせ顔面蒼白となっている。
「私たちは現実で死んだのよ。それは受け入れて」
心臓が機械でできていると揶揄される星静流。それはこの世界でも変わらない。
「まあまあ、結局生きてるんだからオーケーよ」
愛沢ナナが女子たちを落ち着ける。
このクラスは星静流と愛沢ナナという二つの要素で均衡が保たれている。
「簡単な関数で大体の位置はわかるわ」
静流は地面に円を描き、クラスメイトの転送位置の確認、そして予想を書き込んでいく。
巻木はその図を見て目を見張った。
精密機械と呼ばれ、満点以外のテストは破り捨てる女子だった。
だが、このような状況でも演算ができるのか……。
そんな疑問をよそに静流が話を進める。
「悪いけど男子が捜索してほしい。ちゃんと目印をつけて進むとか、ルール作ってね。女子たちはそのフォローをして。怪我人もいるかもしれないから」
場が落ち着いてくる。やるべきことがあるとパニックは抑えられる。
捜索チームが編成されている横で、星静流の描いた図を確認する。
あのシスターは『死んだクラスメイトが全員跳ばされた』と言っていた。
……助けなければいけない。
もう一度死なせるわけにはいかない。
「先輩?」
海月が巻木の顔を覗き込んでいる。
「俺はひとりで探しに行く」
「単独行動は慎しんだほうがいいっすよ」
「大丈夫だ、何かあったら適当にごまかしておいてくれ」
巻木はそう言い残し森に入る。
「先輩、そっちの方角は誰もいないって……」
巻木はその言葉を無視して森を走る。
二度も死ぬ姿を見たくなかった。
森を走って走って駆け抜ける。異世界の未知なる森など関係ない。
彼女だけは助けなければ……。
どれくらい走ったかわからない。ただ方角はこちらのはずだ。
「あっ」
木の根に足を取られて転んでうめく。
深い森の中で乱れた自分の呼吸だけが聞こえる。
「高坂……」
天を仰いでその名前を呼ぶ。
「巻木君?」
自分を巻木君と呼ぶ人間はクラスでたったひとり。
そして自分の胸の穴を埋めてくれる唯一の存在。
出席番号五番、高坂カンナが立っていた。
ストレートのロングへーアーとブラウンの瞳は変わらない。
左目の下に小さな泣きぼくろ、それ以外に何もない白い肌。
間違いなく彼女だ……。
「よかった」
「どういうこと? 私って死んだような……」
高坂カンナはまだ状況がのみ込めてない。
「どうしたの?」
「もう一度やり直せるってさ」
これでクラスメイトが全員そろった。
*
香田海月は神の声を聞いていた。
『この世界に招かれたのは私の意思です』
教会の扉は開かれていた。
『私はこの少女の体を借りて言葉を伝えています。彼女には神託という能力を与えました』
教会の台座の上で喋っているのは火野真理亜、出席番号十二番。
星静流の指示どおりに捜索を進め、三十人のクラスメイトの安否の確認が取れた。
そして教会の扉が開かれ、いきなり神様とやらが話し始めた。
『あなたたちを呼んだのはこの世界の発展のため』
それは異様な光景だった。
真理亜の表情は人形のようで、視線は虚空を見つめている。
『世界が世界を作り広がっていく。それが宇宙の法則なのです。世界は無限にあり元いたあなたたちの世界もオリジナルではありません』
真理亜の背後には女神の石像。そして金貨の山。
天窓から差し込む光がきらきらと反射して眩しい。
何もかもが神秘的すぎて逆に冷静になってしまうほどに。
『あなたたちには力を授けます。男には力を、女にはこのような特別な能力を』
言っていることは馬鹿げているが、誰もが静かに神託を聞いている。
微笑んでいるのは女神像の横に立つシスターだけだ。
『私が作ったこの世界はあなたたちが発展させたのです。情報という魔法を動かし私の作った人形たちに心を与えました。できれば今後もこの世界で過ごしていただきたいのです』
……いやいや、だとしたら部屋のパソコンのハードディスクを破壊する猶予ぐらい与えてほしかった。
『元の世界に戻る場合は対価としてこの世界の宝石を一つ持っていくことを許しましょう。それは才能であり美であり権力を凝縮した石です。元の世界で富と名声を得ることができましょう……』
「なんか宗教っぽくない?」
「いや宗教そのものっすよ」
いつの間にか隣に巻木幸太郎が立っていた。
「先輩何してたんすか?」
巻木は単独で捜索し、数人のクラスメイトの救出に成功していた。
「ちょっとお花摘み?」
「うんこでこれを聞き逃すところだったっすよ」
海月と巻木はクラスメイトの最後尾でひそひそと言葉を交わす。
『選択は自由です。帰還もこの世界で暮らすことも。ただ再びリセットすることはできません』
リセット。
自分たちは一回死んでリセットしたのだ。
「先輩はこの話を信じます?」
「ああ。そして元の世界に戻るにはオーブが必要だ」
……ん、こいつは何を言っている?
『元の世界に戻ることを願うのならばオーブを集めなさい……』
真理亜の言葉に唖然として、巻木を見上げる。
「俺はこの世界を少しだけ知っている。でも少しだけだ」
巻木は女神を降臨させた真理亜を凝視している。
『この宇宙の世界同士は繋がり、情報を交換しながら成長していきます。進化には常に変異が必要なのです。あなたたちの世界もそうです。変異する要素があったからこそ進化しました。それをあなたたちの世界でこう呼びます』
台座の真理亜が両手を広げた。
『……ウィルス』
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