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東京都千代田区永田町、首相官邸。
地下5階にある特別情報分析室の重厚な扉が閉ざされ、電子ロックが掛かる乾いた音が響いた。
円卓を囲むのは、副島内閣総理大臣をはじめとする国家の中枢メンバー。
そして、その中心に立つのは、いつものように疲労の色を隠せない内閣官房参事官、日下部である。
彼は手元のコンソールを操作し、慣れた手つきでスイッチを入れた。
「『位相干渉装置(Jammer)』起動」
ブゥン……。
空間が歪むような重低音と共に、テラ・ノヴァ由来のジャミング波が展開される。
これでこの部屋は、物理的にも情報的にも世界から切り離された、完全なる密室となった。
CIAの盗聴器も、中国のレーザーマイクも、そして(皮肉なことに)日本自身が運用している『広域監視システム』でさえも、この部屋の中を覗くことはできない。
「ジャミング、正常に作動中。
……では、定例報告ではありませんが、緊急の技術報告を行います」
日下部は深く息を吐き出し、スクリーンに一枚の映像を投影した。
それは、先日、医療刑務所の特別室で撮影された映像だ。
死刑囚402番の折れた腕が、のた打ち回るような激痛と共に、わずか3分で完治する一部始終。
何度見ても背筋が寒くなる光景だ。
だが、今日の閣僚たちの反応は、恐怖よりも興奮が勝っていた。
「……これが例の『自作ナノマシン』か」
防衛大臣が身を乗り出し、食い入るように画面を見つめた。
「凄まじいな。
オリジナルの『医療用キット』に比べれば時間はかかっているし、患者も痛がってはいるが……。
それでも現代医療の常識からすれば魔法だ。
全治三ヶ月の複雑骨折が、カップラーメンを作る間に治るのだからな」
「ええ。
ですが、大臣。重要なのは『治った』という事実だけではありません」
日下部は眼鏡の位置を直し、言葉に力を込めた。
「重要なのは、これが『ブラックボックス』ではないということです。
賢者だか神だか分からない存在からの贈り物でもない。
工藤創一氏が設計図を引き、材料を投入し、彼自身の管理下にある機械で製造した『工業製品』だという点です」
その言葉が、会議室に重く響いた。
これまでは、「医療用キット」は神からの授かり物だった。
だが、これは違う。
設計図があり、製造ラインがあり、コスト計算ができる。
つまり――「技術」なのだ。
「魔法が、魔法でなくなる時です」
日下部は静かに宣言した。
「人類はついに、ナノマシンという『神の御業』を、自らの手で再現する入り口に立ちました。
もちろん、まだ工藤氏という特異点を介してではありますが……。
これは産業革命にも匹敵する、歴史的な転換点です」
「うおおおお……!」
経済産業大臣が、抑えきれない歓喜の声を上げた。
「凄いじゃないか……!
再現可能な技術! 量産可能な奇跡!
これなら輸出もできる、産業化もできる!
『メイド・イン・ジャパン』のナノマシンが、世界を席巻する日が来るのか!」
「名称は『バンドエイドMK1(仮)』とのことですが、性能は折り紙付きです。
外傷治療に特化しており、病気や若返りといった副作用(リスク)がない分、扱いやすい。
さらに工藤氏によれば、次期バージョンの『MK2』では、ナノマシンによる神経ブロック機能――つまり『痛覚遮断機能』を追加する予定だそうです」
「痛くないのか!」
防衛大臣が膝を打つ。
「素晴らしい!
戦場での応急処置に最適だ。
モルヒネも要らず、止血と接合と鎮痛を同時に行う。
これを全自衛官の個人携行救急セット(IFAK)に入れれば、生存率は劇的に向上するぞ!
ぜひ実戦投入したい!」
閣僚たちの鼻息は荒い。
不老不死という劇薬は扱いが難しかったが、この「超高性能な傷薬」なら現実的なラインで国益に直結する。
だが、そこで官房長官が冷静な視点を投げかけた。
「……待て。
喜ぶのは早計だ。
工藤氏が設計したと言ったな?
そして、それを製造する機械……『ナノ工作機械(Nano Fabricator)』だったか?
それは誰でも使えるものなのか?」
鋭い指摘だ。
日下部は表情を引き締めた。
「そこが最大の問題点であり、ボトルネックです。
このナノマシンを作るには、テラ・ノヴァにある特殊な工作機械が必要です。
そして、その機械を動かすには、原子レベルでの精密なプログラミングと、素材の特性を完全に理解した設計図が必要です」
日下部は一枚の警告図を表示させた。
そこには、無数のナノマシンが暴走し、周囲の物質を食い荒らして増殖するシミュレーション映像――『グレイ・グー(灰色のアメーバ)』の悪夢が描かれている。
「危険性は極大です。
もし設計を一つ間違えれば、ナノマシンは『治療』ではなく『分解』を開始します。
あるいは制御を失って自己増殖を始めれば、周囲の有機物を全て食らい尽くすまで止まらない『捕食者』になりかねない。
……いわゆる、グレイ・グーのシナリオです」
会議室が水を打ったように静まり返る。
便利な道具の裏には、常に破滅的なリスクが潜んでいる。
「ですから、自由自在な設計はNGです。
素人が適当にパラメータをいじって作れるような代物ではありません。
現状において、この工作機械を安全に、かつ正確に使いこなせるのは……世界でただ一人。
工藤創一氏のみです」
「……やはり彼か」
総理が深く溜め息をついた。
「結局のところ、ブラックボックスの中身が『機械』から『人間』に移っただけではないか。
彼がいなければ何も作れない状況は、変わらん」
「はい。ですが、進歩ではあります。
少なくとも『未知の宇宙人頼み』から、『話の通じる日本人頼み』にはなりましたから」
日下部は苦笑した。
もっとも、その日本人が最近、常識の枠を飛び越えつつあるのが悩みの種だが。
「ところで、日下部くん」
内閣情報官が疑念を口にした。
「その工藤氏だが……。
最近、少々『優秀すぎる』のではないか?
元々は、ただのシステムエンジニアだったはずだ。
それが数学の未解決問題を一晩で解いたり、ナノマシンの設計図を引いたり……。
いくら現場で経験を積んだとはいえ、人間の学習能力の限界を超えているように思えるが?」
その問いに、日下部の心臓がドクリと跳ねた。
痛いところを突かれた。
『医療用キットMK2』による超天才化。
それを隠し通すための嘘を、彼は瞬時に組み立てなければならなかった。
「……あー、それにつきましては」
日下部は表情を崩さず、もっともらしい顔で答えた。
「本人に確認したところ、どうやらテラ・ノヴァのシステム――特に『研究(Research)』を進める過程で、知識のインストールが行われているようです」
「インストール?」
「ええ。
新しい技術を解禁するたびに、その概念や理論が脳内に直接ダウンロードされる仕組みのようでして。
ゲームで言うところの『スキル習得』に近い感覚だとか。
それに伴い、眠っていた潜在能力が開花した……ということのようです」
半分は真実(研究による知識習得)だが、核心部分(MK2による肉体改造)は隠した。
嘘をつくときは、真実を混ぜるのが鉄則だ。
「なるほど……。マトリックスのようなものか」
情報官は納得したように頷いた。
「まあ、彼がとんでもない存在であることは今更だ。
テラ・ノヴァに選ばれた時点で、常人ではないのだろう。
彼が味方である限り、その能力の源泉が何であれ、深く追及する必要はあるまい」
総理が助け舟を出してくれたおかげで、日下部は内心で冷や汗を拭った。
工藤創一が「人間を辞めている」という事実がバレれば、彼を危険視する声が高まり、プロジェクト自体が瓦解しかねない。
彼を「便利な天才」という枠に留めておくことが、今の最優先事項だ。
「さて、話を戻しましょう」
日下部は話題を外交へと転じた。
「この『自作ナノマシン』と『ナノ工作機械』……。
これを、どう使うかです」
「アメリカへの対応だな」
外務大臣が言った。
「彼らは依然として、日本の技術の裏側を探ろうと躍起になっています。
『スマートダスト』の件で一度は煙に巻きましたが、いずれボロが出る。
ここらでもう一つ大きな『餌』を与えて、彼らの目をテラ・ノヴァから逸らす必要があります」
「同感です。
そこで提案なのですが……。
この『ナノ工作機械』の存在を、アメリカに限定的に公開してはどうでしょう?」
日下部の提案に、会議室がざわついた。
「公開だと?
虎の子の技術を見せるのか?」
「全てではありません。
『日本はナノマシンを製造するための特殊な3Dプリンタを開発した』というストーリーを流すのです。
実物は見せられませんが、その機械で作った『バンドエイドMK1(およびMK2)』をサンプルとして提供する」
日下部は悪戯っぽく笑った。
「こう説明するのです。
『この機械は、とある日本の天才科学者が設計した一点物(ワンオフ)であり、量産はできない。
そして操作には特殊な才能が必要で、アメリカには扱えないかもしれないが……成果物なら分けてあげられる』と」
「……なるほど。
『魔法』ではなく、『超高度な工作機械』の産物だと思わせるわけか」
官房長官がニヤリとした。
「そうすれば、彼らの関心は『異世界へのゲート』ではなく、『その機械と天才科学者』に向く。
テラ・ノヴァの存在を隠すための、完璧な目隠し(ブラインド)になる」
「はい。
どうせ彼らは、『日本のどこかに秘密工場がある』と思い込んでいます。
その想像を補強してやるのです。
『やはり日本は、ハードウェアの製造技術でブレイクスルーを起こしていたのか!』と、納得してくれるでしょう」
「だが、現物を渡すリスクはあるぞ」
防衛大臣が懸念を示す。
「劣化版とはいえ、ナノマシンだ。
解析されて技術を盗まれる恐れはないか?」
「それについては、むしろ『実験』してもらった方が好都合です」
日下部は冷徹に計算していた。
「この『バンドエイド』は、まだ臨床データが圧倒的に不足しています。
死刑囚1人の腕が治っただけです。
副作用があるかもしれないし、長期的な予後も不明だ。
そんな未完成品を、自衛隊員や日本国民にばら撒くわけにはいきません」
「……つまり、アメリカに人体実験を代行させるのか?」
「人聞きが悪いですね。
『共同研究』ですよ」
日下部は肩をすくめた。
「アメリカ軍は世界中で戦っています。
負傷兵は無数にいる。
彼らに『実験用のサンプル』として提供すれば、喜んで使ってくれるでしょう。
『医療用キットほどの万能薬ではないが、外傷なら瞬時に治る』と言えば、彼らは飛びつきます」
「……毒見役か」
総理が呟いた。
「もし副作用が出ても、アメリカ兵なら政治的ダメージは少ない。
逆に効果が実証されれば、そのデータをもとに日本国内での承認を進めればいい。
……合理的だが、悪魔的だな」
「国益のためです。
それに、アメリカにとっても悪い話ではありません。
死ぬはずだった兵士が助かるのですから」
日下部は、一片の良心の呵責もなく言い切った。
工藤創一が無邪気に作ったおもちゃを、最大限に利用する。
それが大人の仕事だ。
「よし、方針は決まった」
副島総理が力強く宣言した。
「1.アメリカに対し『ナノ工作機械』の存在を示唆し、テラ・ノヴァへの関心を逸らす。
2.『バンドエイドMK2(痛覚遮断版)』を、日米の2ヶ国で『実験的』に運用開始する。
3.その臨床データを収集し、安全性が確認された段階で、自衛隊および国内医療への本格導入を検討する」
総理は環視した。
「これは日本が、世界の医療技術の覇権を握るための第一歩だ。
抜かりなく進めてくれ」
「はっ!」
全員が敬礼する。
会議室の空気が、陰謀の熱気から実行への決意へと変わる。
日下部は手元の資料を閉じながら、内心で安堵していた。
これでしばらくは、アメリカの干渉も、中国の工作もかわせる。
工藤創一の暴走が生み出した「劣化コピー」が、まさかこれほど便利な外交カードになるとは。
まさに怪我の功名だ。
「……さて。
工藤さんに伝えないといけませんね。
『もっと沢山作ってください。世界中が実験台になりたがっていますよ』と」
日下部は胃薬の袋をゴミ箱に捨てた。
今日は薬を飲まなくても、ぐっすり眠れそうだ。
◇
そしてテラ・ノヴァ。
工藤創一は、増設された組立機の前で、大量に生産されるインジェクターを箱詰めしていた。
「忙しいなぁ!
まさか、こんなに注文が来るとは!
鉄と銅が足りなくなるぞ!」
彼は嬉しい悲鳴を上げていた。
自分の作ったものが、世界中で役に立っている(実験されているとは知らずに)。
エンジニアとして、これ以上の喜びはない。
「よし、次は『MK3』の設計だ!
今度は『酸素補給機能』をつけて、もっと便利にしてやるぞ!」
イヴが冷ややかにツッコミを入れる。
『マスター。
その前に、日下部様から「胃薬の生産ライン」の構築を依頼されていますが』
「え? 胃薬?
なんで?」
『……地球側のストレス係数が、限界に近いようです』
世界は回る。
ナノマシンの輝きと、官僚の胃痛と、工場長の無邪気な野望を乗せて。
魔法が技術になり、技術が政治になる。
その混沌とした螺旋階段を、人類は一歩ずつ、しかし確実に登り始めていた。