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徹底管理がはじまって数日。
「イズミ! 今日はダメだ。今夜中に、これは絶対に仕上げないと来週の納期が……」
「それなら、納期を遅らせましょう」
「そんなのダメだ。それをすれば、このあとの仕事も遅れてしまう。人も時間も限られているんだから」
「では、訊きますけども。人も時間も限られていると知りながら、この規模の仕事を請け負ったのはダレですか?」
「……僕です。だから、僕が責任をもって、今日と明日、徹夜でプログラムを組めばいい。そうだろ?」
「ちがいます。社長が責任を持つのは、プログラムではありません。会社とここで働く社員とその家族に責任を持たなければなりません。それから、すでに先方には、わたしの方から納期の延期を打診しています」
「ええっ! そんな勝手なことを!」
「勝手はそちらです。仕事を請け負う前には、必ず会議を通すようにと副社長から何度も言われていますよね。それを守らずに安請け合いしてきたはですか?」
「……僕です。でも!」
抵抗をみせるエドの前で、仁王立ちしたイズミが「帰りますよ」と問答無用でパソコンの主電源を落とす。
そのたびに、社長室からは「ギャアアアアアアアッァァ」という悲鳴が響くという日がつづいた。
しかし、そんな攻防が半年もつづくと、エドワードの生活に規則性が生まれ、体調も改善してきた。
倒れることが減った男の率いる会社は、徐々に職場環境が改善され、社員のモチベーションも上がっていく。
「ブラック企業から、ようやくグレーぐらいまでは改善したかな」
泉も手ごたえを感じていたその翌年だった。
満を持して発表したソーシャルオンラインゲームが空前の世界的ヒットとなり、Salus animiはゲーム業界で確固たる地位を築いたのだった。
そして、はやくも続編が期待されるなか――それは起きた。
『インスピレーションがわかない。ちょっと新しい世界を見てくる』
朝、イズミにふざけたメールを送ってきたエドワードは、すべてを社員に丸投げして失踪。
もぬけの殻となっていた自宅で、イズミは叫んだ。
「あの……無責任男が! なにが新しい世界だ! そんなに行けたければ、異世界にでも行っとけ!」
会社代表の失踪により、会社は一部社員を残して縮小され、続編の開発もストップ。
ほぼ休業状態となって半年。イズミは日本に一時帰国した。
エドワードが異世界から戻ったという連絡がないまま、帰国して1か月。
どうしようかな、オファーがあった会社に行こうかな。
現在、28歳。転職するなら、早い方がいい。
でも、もしエドが会社に戻ってきたら、またアメリカで仕事ができる。
そうなったときに、転職したばかりの会社をすぐに辞めるのは、どうなんだろうか。
色々考えて二の足を踏んでいたときに、高校時代の同級生に呼び出された居酒屋で、高賃金の仕事を斡旋されたのだ。
最初こそ、大学かあ……と堅苦しそうな雰囲気を感じて「う~ん」となったけれど、雇用条件は悪くない。むしろ良い。
それに、臨時というのがまた良かった。
正規ではなく非正規ならば、雇用期間が設定されているので辞めるときもあと腐れなく済みそうだ。
リオナの話の持って行き方もうまかった。
「むかしからイズミは、一見冷たそうなんだけど、結局は世話好きなところがバレちゃうよね。Salus animiの弁護士が、イズミに社長の管理を一任したのはファインプレーだったと思う。とくに、一筋縄じゃいかないタイプには、イズミの容赦の無さがもってこいだから」
褒められて落とされているうちに、「まあ、もう少し考えさせてと」一旦保留に。
これが、本当に良くなかった。
翌日から、「お願い!」リオナの猛プッシュがはじまり――1週間後。
イズミは東帝大学にいた。
そして、勤務初日に通された研究室で、担当する准教授と顔を合わせた瞬間、回れ右をしたくなった。
「不破です」
白衣が似合うスラリとした体躯、端正な顔立ち、サラリとした黒髪とハスキーな声。
高校時代の記憶が、一気に蘇る。
絶句するイズミのとなりで、
「本日より、不破先生の秘書をつとめてもらう成瀬さんです。留学経験があり、最近までアメリカでお仕事をされていたので、英文作成や英論文の翻訳などに対応できます。それから、彼女は役員秘書の経験もありますので、予定をすっぽかしがちな不破先生のスケジュール管理などの業務も担当してもらいます」
素知らぬ顔で紹介するリオナの足を、ヒールの先で思いっきり踏んでやりたくなった。
「先生もお気づきかと思いますが、成瀬さんは――」
なおも紹介をつづけるリオナを遮ったのは、10年ぶりの再会となる不破だった。
「青双学園高等学校国際科、成瀬泉さん。彼女は、五十嵐さん同様、僕の同級生だ。一日千秋、彼女のことを忘れた日はない」
暗記した文章を諳んじるように一息に言った不破は、少し長めの前髪を揺らし、その隙間から獲物を狙う猛禽類のような爛々とした視線を向けてきた。
「五十嵐さん、悪いけど濃い目のコーヒー淹れてきてくれないか。僕は早急に、目を醒ます必要がある。いや、もう醒めてはいるんだけど、それでも必要だ。なぜなら、ここに成瀬さんがいるから。僕は心を落ち着けて、これは夢ではないと信じたい」
最悪だ。
28年の人生のなかで、今日はベスト3に入る『最悪DAY』だ。
もう二度と会うつもりのなかった同級生。
一歩まちがえたら彼氏になるところだった男が、目の前で口角をあげている。
背筋が冷えていく。
10年ぶりの再会。
イズミを見つめる不破理人の目が言っている。
――もう、逃がさない、と。