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イズミから一切目をそらさずに、不破はマグカップをリオナに差し出した。
それを見て、リオナ――いや、悪い女が笑顔でいった。
「それなら、さっそく成瀬さんに淹れてもらいましょうか。その方が、不破先生の目も覚めるでしょうから」
「いつも小言の多い、キミにしては名案だ」
「不破先生は、いつも、いつも、ひとこと多いんですよ。嫌われますよ」
「問題ない。この大学で好かれようとは思っていな……いや、今日からはちがうな」
そういって不破は、端正な顔にある綺麗な二重を細めた。
「成瀬さん、キミに会えて本当に嬉しいよ。ぜひ僕に、キミと朝のコーヒーを飲む時間を与えてくれないだろうか。そうだ、このチンケな大学にもカフェテラスがあるから、そこに行こう」
「えっ、不破先生、イズミに淹れてもらうんじゃないですか? それにカフェテラスって……あんなところ不必要だって言ってたくせに。そもそも、仕事が山ほど溜まっているんですから、さっさと目を醒まして仕事をしてください」
「五十嵐さん、少し黙っていてくれないか。キミの声、耳障りなんだ。それから、目障り。あとはすべて僕が説明するから、キミこそさっさと出ていってくれないか。僕は、いま10年ぶりに心が高鳴っているんだ。少しは空気を読んでくれ」
「はああっ?!」
日本で指折りの空気を読まない男からそういわれた悪い女は、
「アンタにだけは、いわれたくない!」
ついに立場を忘れていい返した。
ふたりのやりとりを見ていたイズミは、これで確信を得た。
ああ、まちがいない。
この口調、この態度、不破理人だ。
同級生だったこの男は、10年経った今も、何ひとつ変わっていない。
つまりは、相変わらずのサイテー男だということ。
こんなところには、もういたくない。
「カフェテラスには行きません。わたしはこれで失礼いたします」
回れ右をしかけたイズミの手を「待って」と不破が掴み、それを「触らないで」と強い口調で振りほどく。
「ごめん」
少し傷ついたような顔をした不破が、すぐに1歩退いた。
これも、むかしと同じ。
この表情に、何度も騙されかけた。
ピリピリとした緊張感が張りつめる。
その空気を変えようとしたのか。
不破からカップを奪い取るようにしたリオナが、
「はい、これね!」
それを強引に押し付けてきた。
「えーと。ひとまず、落ち着こうか。カフェテラスに行かないなら、廊下を出てすぐ右手側に給湯室があるから、イズミはそこでコーヒーを淹れてきてくれる? 不破先生はブラックね」
ここで、コーヒーを淹れてこい、といえる親友――いや、いまは2ランクはダウンした「知り合い」程度の悪い女は、かなりハートが強い。もしくは鈍感。
ギロリと睨んだイズミから、スーッと視線を逸らす悪女・リオナは付け加えた。
「あっ、いま渡したカップは、不破先生の論文がアジア学術会にて『最優秀論文賞』を受賞したのを記念して、総長が記念式典で授与した記念品のひとつですから、そのままどこかに置いて帰られると、成瀬さんのご自宅までカップの行方を尋ねに職員がうかがうことになりますので、なるべく早くこちらの研究室に、コーヒー入りのカップといっしょに戻ってきてくださいね」
これはもう、喧嘩を売られているとしか思えない。
その喧嘩は、もちろん買いだけど。
「そうですか。コーヒーひとつ淹れるのに給湯室まで行かなければならないんですね。それは、かなり面倒です。職場環境に不満がでましたので、再度、契約を見直しても良いですか? 前向きに採用辞退の方向で」
「……えーと、それでは、こちらの研究室に、ただちにポットとインスタントコーヒーを用意しますね。環境改善に全力でつとめますので、契約の見直しについてはのちほど~」
そういって逃げようとするリオナの行く手に素早く回り込む。
ここで逃げられると思うなよ。
「五十嵐さん。今日で最後になるかもしれませんが、給湯室の使い方をご説明願います。マグカップの行方も気になることでしょうから。ああ、もし来られないようであれば、この場でカップを落としそうです」
この攻防、先に折れたのは、通せんぼをされたリオナだった。
「……わかりました。それじゃあ、いっしょに行くけど、ここを出た瞬間に、グーで殴ったりはしないでよね」
「うふふふふふふふふ。じゃあ、パーで2発ほど」
「ちょっと、マジで怖いんだけど」
「いいから、さっさと顔かして」
右手にカップ、左手でリオナの肘を掴んで、研究室から連れ出そうとしたところで、窓を背にして立つ不破から声がかかった。
「成瀬さん、明日までに最高級のコーヒーマシーンを研究室に用意するよ。キミが給湯室に行く必要がないように」
「……不破先生が必要なら、ご勝手にどうぞ。わたしがそれを使うことはないと思いますけどね」
「それでも、いいよ。僕にとっては、それがキミと再会できた記念になるから」
この男は、どうしてここまで執着してくるのだろうか。
理由はいくつか思い当たるけれど、それだってもう10年前の話になる。
いい加減、あきらめてもいいころだし、忘れてもいい過去だ。
実際イズミは、今朝、再会するまで、不破のことはキレイさっぱり忘れていた。
やっぱり天才は、凡人とは時間の経過速度がちがうのだろうか。
面倒なストーカー気質は、今も当時のままらしい。執念深いし、執着しすぎ。
背筋にうすら寒いものを感じながら、イズミは返事をすることなく研究室をでた。
廊下を出てすぐの右手側には、たしかに給湯室があった。
リオナを奥に押し込んで、その狭い入口をふさぐ形で仁王立ちした。
「わたしに、何かいうことは?」
「……それ、まんま悪役のセリフなんだけど」
少し間を置いてから、イズミはいい直した。
「最後に、何かいい残すことは?」