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コメント
2件
最高!マジで神!想像してた数千倍くらい最高!!!!!
ルナ様からのリクエスト!
書き直し可
事の始まりは、首領・森鴎外の気まぐれとも取れる密命だった。 中也に下されたのは、北欧の組織との取引を円滑に進めるための潜入任務。期間は一週間。そして、その随行員として選ばれたのは、武闘派の中では珍しく社交界に精通した、黒服の女性構成員だった。彼女は組織内でも「氷の薔薇」と称されるほどの美貌を持ち、中也との立ち姿は、傍目には実に見栄えのする「男女」に見えたことだろう。
太宰はその詳細を知らされていなかった。 ただ、中也が自分に何も告げず、見知らぬ女を連れてヨコハマを離れた。その事実だけが、冷たく彼の手元に残された。
「……中也のやつ、本当に馬鹿だね。あんな露骨なハニートラップに引っかかるなんて」
任務初日、太宰は執務室で独り言ちた。 声はいつも通り軽薄で、口元には薄ら寒い笑みを浮かべていた。中也がいなければ仕事は捗るし、耳障りな怒鳴り声に悩まされることもない。そう自分に言い聞かせ、彼は山積みの書類に目を通そうとした。
だが、二日目、三日目と時が経つにつれ、その「余裕」は剥がれ落ちていく。 中也の携帯に何度連絡を入れても、繋がらない。潜入任務なのだから当然だと理解している頭とは裏腹に、胸の奥が焼けるように熱い。
(あの女と、今頃どこにいる?) (潜入なら、同じ部屋に泊まっているのか?) (中也は酒に酔って、あんな女にまで『相棒』のような顔を見せているんじゃないか?)
一度芽生えた猜疑心は、暗黒物質のように膨れ上がり、太宰の思考を侵食した。 食事は喉を通らず、入水の計画を立てる気力すら湧かない。ただ、中也が座っていたソファを見つめ、彼が愛用していた煙草の残香を追いかけるだけの廃人と化していた。
五日目。 太宰は中也の私室に忍び込んだ。 鍵を開けるのは造作もないことだった。主のいない部屋は冷え切っており、重力使いの熱量はどこにもない。太宰はふらふらとした足取りでクローゼットを開け、予備として置いてあった中也の外套を引っ張り出した。
「……最悪だ。中也の匂いがする」
その外套を抱きしめ、太宰はベッドの隅で丸くなった。 普段なら「蛞蝓の匂いが移る」と嫌悪するはずのその香りが、今は唯一の酸素だった。 彼がいない世界は、これほどまでに色がなかったか。 彼がいない自分は、これほどまでに欠陥品だったか。
「嫌いだ。……大嫌いだ、中也」
自分を置いていったこと。 自分以外の「誰か」と笑っているかもしれないこと。 そして何より、たった一週間でここまで壊れてしまった自分自身。 すべてが許せなくて、太宰は外套の襟元を強く噛み締めた。
七日目。 任務を終えた中原中也が、ようやく組織の本部に姿を現した。 隣には、任務を完遂して晴れやかな表情の女性構成員。中也は彼女に対し、「助かったぜ。手前の機転のおかげで、首領にいい報告ができそうだ」と、労いの言葉をかけていた。
その光景を、廊下の陰から太宰は見ていた。 一週間、まともに睡眠も食事も摂っていない身体は、幽霊のように青白い。
「あ、太宰。手前、そんなところで何して……」
中也が太宰に気づき、声をかけようとした瞬間だった。 太宰は脱兎のごとく駆け出し、中也の胸に猛烈な勢いで衝突した。
「うおっ!? ぶつかってくんじゃねえ……おい、太宰?」
怒鳴ろうとした中也の言葉が、喉の奥で止まった。 胸元に顔を埋めた太宰の身体が、小刻みに、しかし激しく震えていたからだ。
「……おい、どうした。怪我でもしたのか? 敵襲か?」
中也が慌てて太宰の肩を掴み、引き剥がそうとする。 しかし、太宰はその力を振り切り、中也のシャツを指が白くなるほど強く掴んで離さない。
「……行くな」
絞り出すような声だった。
「……行かないで。あんな女と、二度と行かないで……。中也は、私の犬でしょう……?」
「太宰……?」
中也が無理やり太宰の顔を上げさせた。 そこにあったのは、冷徹なマフィアの顔でも、人を食ったような悪童の顔でもなかった。
大きな瞳から、止めどなく涙が溢れ、頬を濡らしていた。 鼻の頭を赤くし、唇を震わせ、まるで迷子になった子供のように、彼は泣きじゃくっていた。
「……置いていかないで。どこにも、行かないでよ……っ」
これほどまでに無防備で、これほどまでに剥き出しの太宰治を、中也は見たことがなかった。 「嫌い」だの「死ね」だのと罵り合い、互いの境界線を削り合うような関係。それが自分たちのすべてだと思っていた。 だが、目の前の少年が流す涙は、そんな虚勢をすべて洗い流していた。
「……手前、マジで泣いてんのかよ」
中也の毒気が、一瞬で消え去った。 隣にいた女性構成員が、気まずそうに、けれどどこか納得したような表情で一礼して去っていく。廊下には、泣きじゃくる太宰と、それを呆然と支える中也だけが残された。
「……悪かったよ。潜入だったから連絡できなかったんだ」
中也は溜息をつき、おずおずと太宰の背中に手を回した。 自分をあざ笑うはずの宿敵が、今は腕の中で子供のように泣いている。その重みが、あまりにも愛おしく、同時に痛い。
「……一週間も、いなかったくせに……。酷いよ……死んじゃえばよかったのに」
「ああ、死ななくてよかったぜ。手前にこんな顔されたんじゃ、地獄まで連れていかれそうだ」
中也は乱暴に、けれどどこまでも優しく、太宰の頭を自分の肩に預けた。 太宰の涙が中也のシャツを汚し、温かい体温が伝わってくる。
「……もう、どこにも行かない。分かったから、泣き止め。……ほら、鼻水出てるぞ」
「……うるさい、蛞蝓。……大好きだよ、中也……」
「……はぁ!? 今なんてっ、」
「言ってない。……大嫌いだ。消えてよ」
太宰は顔を上げた。涙でぐちゃぐちゃの顔のまま、いつものような不敵な、けれどどこか縋るような笑みを浮かべる。
中也は悟った。 この一週間、自分がいない間にこの男がどれほどの地獄を見たのか。そして、自分がこの男にとってどれほどの重りになっていたのかを。
「……二度と離さねえよ、クソ太宰」
中也は太宰の額に、自分の額をコツンと当てた。 太宰はまだしゃくり上げながらも、満足そうに目を細めた。
一週間の不在がもたらしたのは、組織の利益でも経験でもない。 「嫌い」という言葉の裏側に隠しきれなくなった、あまりにも巨大で、歪で、純粋な、独占欲という名の愛だった。
それからしばらくの間、太宰が中也の側を片時も離れず、中也が少しでも別の構成員と親しくしようものなら、その相手を社会的に抹殺しようと画策する日々が続くことになるのだが——それはまた別の、幸せな地獄の話である。
事の始まりは、首領・森鴎外の気まぐれとも取れる密命だった。 中也に下されたのは、北欧の組織との取引を円滑に進めるための潜入任務。期間は一週間。そして、その随行員として選ばれたのは、武闘派の中では珍しく社交界に精通した、黒服の女性構成員だった。彼女は組織内でも「氷の薔薇」と称されるほどの美貌を持ち、中也との立ち姿は、傍目には実に見栄えのする「男女」に見えたことだろう。
太宰はその詳細を知らされていなかった。 ただ、中也が自分に何も告げず、見知らぬ女を連れてヨコハマを離れた。その事実だけが、冷たく彼の手元に残された。
「……中也のやつ、本当に馬鹿だね。あんな露骨なハニートラップに引っかかるなんて」
任務初日、太宰は執務室で独り言ちた。 声はいつも通り軽薄で、口元には薄ら寒い笑みを浮かべていた。中也がいなければ仕事は捗るし、耳障りな怒鳴り声に悩まされることもない。そう自分に言い聞かせ、彼は山積みの書類に目を通そうとした。
だが、二日目、三日目と時が経つにつれ、その「余裕」は剥がれ落ちていく。 中也の携帯に何度連絡を入れても、繋がらない。潜入任務なのだから当然だと理解している頭とは裏腹に、胸の奥が焼けるように熱い。
(あの女と、今頃どこにいる?) (潜入なら、同じ部屋に泊まっているのか?) (中也は酒に酔って、あんな女にまで『相棒』のような顔を見せているんじゃないか?)
一度芽生えた猜疑心は、暗黒物質のように膨れ上がり、太宰の思考を侵食した。 食事は喉を通らず、入水の計画を立てる気力すら湧かない。ただ、中也が座っていたソファを見つめ、彼が愛用していた煙草の残香を追いかけるだけの廃人と化していた。
五日目。 太宰は中也の私室に忍び込んだ。 鍵を開けるのは造作もないことだった。主のいない部屋は冷え切っており、重力使いの熱量はどこにもない。太宰はふらふらとした足取りでクローゼットを開け、予備として置いてあった中也の外套を引っ張り出した。
「……最悪だ。中也の匂いがする」
その外套を抱きしめ、太宰はベッドの隅で丸くなった。 普段なら「蛞蝓の匂いが移る」と嫌悪するはずのその香りが、今は唯一の酸素だった。 彼がいない世界は、これほどまでに色がなかったか。 彼がいない自分は、これほどまでに欠陥品だったか。
「嫌いだ。……大嫌いだ、中也」
自分を置いていったこと。 自分以外の「誰か」と笑っているかもしれないこと。 そして何より、たった一週間でここまで壊れてしまった自分自身。 すべてが許せなくて、太宰は外套の襟元を強く噛み締めた。
七日目。 任務を終えた中原中也が、ようやく組織の本部に姿を現した。 隣には、任務を完遂して晴れやかな表情の女性構成員。中也は彼女に対し、「助かったぜ。手前の機転のおかげで、首領にいい報告ができそうだ」と、労いの言葉をかけていた。
その光景を、廊下の陰から太宰は見ていた。 一週間、まともに睡眠も食事も摂っていない身体は、幽霊のように青白い。
「あ、太宰。手前、そんなところで何して……」
中也が太宰に気づき、声をかけようとした瞬間だった。 太宰は脱兎のごとく駆け出し、中也の胸に猛烈な勢いで衝突した。
「うおっ!? ぶつかってくんじゃねえ……おい、太宰?」
怒鳴ろうとした中也の言葉が、喉の奥で止まった。 胸元に顔を埋めた太宰の身体が、小刻みに、しかし激しく震えていたからだ。
「……おい、どうした。怪我でもしたのか? 敵襲か?」
中也が慌てて太宰の肩を掴み、引き剥がそうとする。 しかし、太宰はその力を振り切り、中也のシャツを指が白くなるほど強く掴んで離さない。
「……行くな」
絞り出すような声だった。
「……行かないで。あんな女と、二度と行かないで……。中也は、私の犬でしょう……?」
「太宰……?」
中也が無理やり太宰の顔を上げさせた。 そこにあったのは、冷徹なマフィアの顔でも、人を食ったような悪童の顔でもなかった。
大きな瞳から、止めどなく涙が溢れ、頬を濡らしていた。 鼻の頭を赤くし、唇を震わせ、まるで迷子になった子供のように、彼は泣きじゃくっていた。
「……置いていかないで。どこにも、行かないでよ……っ」
これほどまでに無防備で、これほどまでに剥き出しの太宰治を、中也は見たことがなかった。 「嫌い」だの「死ね」だのと罵り合い、互いの境界線を削り合うような関係。それが自分たちのすべてだと思っていた。 だが、目の前の少年が流す涙は、そんな虚勢をすべて洗い流していた。
「……手前、マジで泣いてんのかよ」
中也の毒気が、一瞬で消え去った。 隣にいた女性構成員が、気まずそうに、けれどどこか納得したような表情で一礼して去っていく。廊下には、泣きじゃくる太宰と、それを呆然と支える中也だけが残された。
「……悪かったよ。潜入だったから連絡できなかったんだ」
中也は溜息をつき、おずおずと太宰の背中に手を回した。 自分をあざ笑うはずの宿敵が、今は腕の中で子供のように泣いている。その重みが、あまりにも愛おしく、同時に痛い。
「……一週間も、いなかったくせに……。酷いよ……死んじゃえばよかったのに」
「ああ、死ななくてよかったぜ。手前にこんな顔されたんじゃ、地獄まで連れていかれそうだ」
中也は乱暴に、けれどどこまでも優しく、太宰の頭を自分の肩に預けた。 太宰の涙が中也のシャツを汚し、温かい体温が伝わってくる。
「……もう、どこにも行かない。分かったから、泣き止め。……ほら、鼻水出てるぞ」
「……うるさい、蛞蝓。……大好きだよ、中也……」
「……はぁ!? 今なんてっ、」
「言ってない。……大嫌いだ。消えてよ」
太宰は顔を上げた。涙でぐちゃぐちゃの顔のまま、いつものような不敵な、けれどどこか縋るような笑みを浮かべる。
中也は悟った。 この一週間、自分がいない間にこの男がどれほどの地獄を見たのか。そして、自分がこの男にとってどれほどの重りになっていたのかを。
「……二度と離さねえよ、クソ太宰」
中也は太宰の額に、自分の額をコツンと当てた。 太宰はまだしゃくり上げながらも、満足そうに目を細めた。
一週間の不在がもたらしたのは、組織の利益でも経験でもない。 「嫌い」という言葉の裏側に隠しきれなくなった、あまりにも巨大で、歪で、純粋な、独占欲という名の愛だった。
それからしばらくの間、太宰が中也の側を片時も離れず、中也が少しでも別の構成員と親しくしようものなら、その相手を社会的に抹殺しようと画策する日々が続くことになるのだが——それはまた別の、幸せな地獄の話である。
(´・ω・`)