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なんか太宰の笑いが止まらなくなっちゃったシリアス。にょたです。
中也がその異変の正体を知ったのは、太宰が異能攻撃を受けてから数日が経過した頃だった。
ポートマフィアの最年少幹部、太宰治。女性として生まれ、その明晰すぎる頭脳と硝子細工のような危うい美貌で裏社会を泳いできた彼女は、今、人生で最も残酷な「檻」に閉じ込められている。
「……あは、あはははは! はは、ははははははっ!!」
太宰の自室に踏み込んだ中也の鼓膜を、狂ったような高笑いが突き刺した。 ベッドの上に横退した彼女は、自分の意思では指先一つ動かすことができない。先天的にもろかった彼女の精神構造に、敵の異能が致命的なバグを植え付けたのだ。感情の出力回路が「笑い」という一点にのみ固定され、言語機能も運動機能も、すべてがその奔流に飲み込まれてしまった。
「おい、太宰。……また始まったのか」
中也は低く声をかけ、サイドテーブルに置かれた盆を手に取った。そこには彼女に流し込むための薄い粥と、気休め程度の鎮静剤がある。 中也の姿を認めた太宰の瞳が、僅かに色を変えた。 彼女の脳は、確かに「中也だ」と認識している。助けてほしい、情けない、こんな姿を見たくない——そんな何百もの言葉が彼女の内で渦巻いているはずなのに、その薄い唇から零れ落ちるのは、無慈悲なほどに明るい哄笑だけだ。
「あっ、ははは! ひ、ひひっ、あははははは!!」
顔を真っ赤にし、酸欠で喘ぎながら、太宰は笑い続ける。 面白がっているのではない。楽しいのではない。 これは、彼女の神経が焼き切れた結果として生じている、純然たる「エラー音」だ。 中也は、その原因が彼女自身の「拒絶」にあることを知っていた。あまりにも深すぎる絶望に触れた彼女の心が、これ以上傷つかないように「すべてを笑い飛ばす」という極端な防衛本能を選んでしまったのだ。
「……喋らなくていい。分かってるから、無理に声を出すな」
中也は慣れた手つきで、太宰の細い首筋を支え、上半身を起こした。 太宰の目は、必死に中也に何かを訴えかけている。 目尻からはとめどなく涙が溢れ、頬を濡らしている。泣いているのだ。心は間違いなく、ボロボロになって泣き叫んでいる。それなのに、口角は吊り上がり、喉は愉快そうに震え、世界で一番楽しそうな声を奏でている。
「……くす、ふふ……っ」
中也が背中をさすり続けると、太宰は必死に理性をかき集め、高笑いを抑えようとした。 彼女は本来、器用な女だった。 この状態に陥った初期の頃は、まだ「演じ分け」ができていた。中也に甘えたいときは、愛らしい「くすくす」という笑い声を。敵を威圧するときは、冷酷な「ニヤニヤ」とした笑みを。首領の前では、感情を押し殺した淑やかな「微笑」を。 だが、今の彼女にその制御は残っていない。 情緒が不安定になればなるほど、制御装置は壊れ、すべての感情は最大火力の「狂笑」へと変換されてしまう。
「あはは……っ、は、ははっ! ははははははは!!」
視界が涙で滲む。 中也のシャツの袖を掴みたいのに、腕は重い鉛のように動かない。 自分は、人間ですらなくなった。ただ笑い声を出し続けるだけの、壊れた蓄音機だ。 そう思うほど、悲しみは深まり、反比例するように笑い声のボリュームは増していく。
「死……っ、あはは! し、ね……っ、ふふ、あはは法ははは!!」
「死にたい」と言おうとしているのを、中也は痛いほど分かっていた。 彼女の絶望が深ければ深いほど、この部屋には陽気な地獄が満ちる。彼女の魂が死を望むほど、その肉体は生を謳歌するかのように華やかに笑い声をあげる。その乖離が、太宰をさらに追い詰めていく。
「……笑うな。笑ってんのか泣いてんのか、紛らわしいんだよ、てめえは」
中也は乱暴な口調とは裏腹に、極めて優しく、彼女の目元を拭った。 太宰は、中也の胸に顔を埋めようとした。首の筋肉を僅かに動かすだけの動作に、全身の神経を使い果たす。ようやく中也のコートの感触が頬に触れると、彼女の嗚咽はピークに達した。
「あああああははははは! ひ、ひぃっ、あはははははははは!!」
激しく身体を震わせ、過呼吸気味に笑い転げる太宰。 彼女の目からは、大粒の涙が溢れ、中也の胸元をぐっしょりと濡らしていく。 顔は笑っている。声も笑っている。 けれど、その魂は、誰にも届かない暗い海の底で、ボロボロになって助けを求めているのだ。中也はその「見えない涙」を拾い上げるように、彼女の頭を抱き込んだ。
「……よし、よし。全部出せ。笑い飛ばしてやれよ、こんなクソみたいな世界」
中也は太宰の細い身体を、折れんばかりに強く抱きしめた。 彼女の腕は動かない。だから、中也が代わりに彼女を繋ぎ止めるしかない。 もし中也がいなければ、彼女は自分の笑い声の重圧に耐えきれず、自らの精神を内側から食い破っていただろう。 太宰は中也の体温を感じながら、必死に「愛してる」と、あるいは「置いていかないで」と伝えようとした。 けれど、唇から漏れたのは、ひときわ大きく、狂気に満ちた、断末魔のような笑い声だった。
「ひはははははははははは!!」
それは、世界で一番悲しい、そして一番純粋な愛の告白だった。 中也はそれを受け止め、彼女が笑い疲れるまで、その背を叩き続けた。
ようやく太宰が、昏睡に近い眠りに落ちたのは、それから数時間後のことだった。 眠っている間だけは、彼女の顔からあの忌々しい笑みが消える。力なく開いた唇からは、規則正しい寝息だけが漏れている。 中也は、彼女の額に張り付いた髪を指で退けた。 手足は動かず、言葉も奪われ、ただ笑うことしか許されない女。 マフィアの幹部としては「廃人」同然だが、中也にとっては、自分だけが理解できる繊細な「中身」を持った、唯一無二のパートナーだった。
「……明日も、また笑うんだろうな、てめえは」
中也は短く吐き捨て、彼女の隣に横たわった。 彼女が起きたとき、最初に目にする絶望が自分であるように。 そして、その絶望を「笑い声」に変えて吐き出す彼女を、また何度でも抱きしめるために。
太宰の指先が、無意識のうちにぴくりと動いた。 それは中也の手を求めているようにも、あるいは、消えてしまいたいと願っているようにも見えた。 外では、冷たい雨が降り始めていた。 その雨音すら、彼女の耳には冷笑のように響くのかもしれない。 けれど、中也の腕の中にある限り、彼女の「笑い」は、ただ一人の男に向けられた、残酷で愛おしい「叫び」であり続けるのだ。
いつかこの呪いが解ける日が来るのか、あるいはこのまま二人で笑いながら地獄へ落ちるのか。 中也は答えを出さないまま、彼女の細い肩に手を回し、目を閉じた。 彼女の笑い声が聞こえない静寂だけが、今の彼らに与えられた唯一の安らぎだった。
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