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金曜日の夜は餃子を食べると決めている。生協で美味しいのがあるのだ。焼くだけなので簡単。――が。


美冬が来た痕跡が残っていた。わたしには彼女が来る曜日すら知らされていないが――ダイニングテーブルのうえにメモが残されていた。


『全部の部屋の掃除機かけ、床の水拭き、風呂洗い、以下の料理の作り置きをさせて頂きました。

・筑前煮

・きゅうりの浅漬け

・ナゲット

・ひじきの煮物

・切り干し大根』


それからスーパーのレシートも置かれていた。……やれやれ。よりによって料理が全部わたし好みのチョイスだ。カタカナの読める円が、ナゲットだー、と喜んでいた。


美冬の料理は、相変わらず美味しかった。おもちゃや夫の漫画が積み上げられ雑然としたこの部屋。掃除機をかけるのも一苦労だろうに……文句も言わずあの女はやり遂げたのだ。あの女は。


ビールを飲んでくさくさとした気分を晴らしたかったのだが、料理の美味しさと、夫と美冬に募る憤懣と――一言では言い表せられない気分に襲われる。酒は飲んでも飲まれるな。酒は楽しく飲むスタンスだが――こころのなかでわたしが問いかける。――いいの? これで……。

夫が美冬といつ会っているかは公言はしていないが、おそらく水曜日だろう。たまに、日曜に出かけることもあるのだが――いまどきメッセージアプリを一切やらない夫。平日、ノー残業デーの日も遅く帰ったり、サッカーのない土日に出掛けるようになったから――おかしいとは思っていたのだ。彼は、友達と会ってくる、と嘘をついていたのだが。


――やっぱり、駄目だ。


と、わたしの本能が結論を下した。今日は、料理をしていない。台所に入って手を洗って、料理絡みで言えば冷凍ご飯を二人ぶん温めたくらいだ。正直、こんなに美味しい料理を作って貰い、助かってはいる。だが――夫の浮気相手に頼るのは『違う』と思うのだ。夫に言ったところで――あのひとは自分で決めたことは正しいと思うひとなのだ。言ったところで『いや便利で助かってんだから使えよ。おれの金なんだから』というのが本音だろう。ならば――わたしのすることは。


* * *


「それは――紘一さんのご意志ですか」


そこを突かれると弱いのだが。「いえ。わたしの独断です」

「ご契約をされたのは乙女紘一さんですから、解約するのならば乙女紘一さんご本人に来ていただかないと――」


「そこをなんとか。お願いします……」


「今日は円ちゃんは」


「……夫に見て貰っています」美冬効果なのか、或いはあんな夫でも娘は可愛いものなのか、張り切って公園に行くとか言っていた。


土曜日の午前10時。わたしは昨晩夫の携帯で美冬の連絡先を盗み見し、自分の携帯に登録した。夫は――あのひとはいまどきメッセージアプリを一切やらないひとで。わたしとはショートメールでやり取りをしている。どうやら美冬も同じキャリアで、ショートメールでやり取りをする痕跡が見られた。


熱っぽいメッセージ。不貞の証拠となるようなものがないものか見てはみたが――そもそも夫は超のつく連絡不精の男。『水曜、19時でいい?』『いいです』みたいな――簡素なやり取りしか残っていなかった。残念というかいやはや。それでも、会っていた証拠にはなるので全部携帯のカメラで撮ったが。

そして、夫には友達と会うと嘘をついて美冬を呼び出した。場所は、騒がしいファミレスのボックス席にした。ここなら、多少きわどい話をしたとて誰も見向きしやしない。わたしの申し出に、目の前に座る美冬は困惑顔だ。「……どうしても、というのでしたら」


はっ、とわたしは息を飲んだ。相変わらず――憎たらしいくらいに、美冬は妖艶に笑い、


「月に何回か、円ちゃんに会わせてくれませんか……?」


「どうして、円を……」この女の意図が分からない。なにをしたいのか? 「――あなた。円と会って、なにをするつもり? あの子を抱き込んで、あわよくば自分のものにしたい……そういう寸法?」


「まさかそんな」と慌てて手を振るさまなんか――嫌な女だ。わたしは内心で毒づいた。「ただ……円ちゃんがあまりにも可愛くて。可愛くてたまらなくて……わたし正直、あれをさせて頂いたのは、円ちゃんが可愛くて……円ちゃんの喜ぶ顔が見たくて、それでなんです。ナゲットを、すごく……美味しそうに食べてくれましたし」


「あなたって仕事であれをやっているの?」とわたしは美冬に質問をした。「普段は……なんのお仕事をされているの?」

「カフェの経営と……まあわたしがするのはたまに店に行くのと、経営状態の把握、だけなんですが……それとあとはハウスキーパーの仕事をしています。平日が主ですね。小学校からのお子様の送り迎えなどもさせて頂いております」


「はあ。そうなんだ……」思ったよりもまともな人間だ。とこのときわたしは思った。不倫をするような女は狂っている――その思い込みを払拭するかのような仕事ぶりではないか。「……とするとなおのこと、うちで……。ていうかこないだ三日連続でうちにきたの……あれ、すごく大変だったんじゃないの? 申し訳なかったです……」


「あ。いえ。厚意でさせて頂いたので」


「――だとしても。円は、渡しません」

わたしは美冬を見据え、きっぱりと告げた。「契約の事情がどうだか分かりませんが、一個人でやっているのだったらどうとでも出来るでしょう。新しい顧客から依頼が入った、だから来れなくなった――あなたのほうから断ることは出来るでしょう? そもそも――紘一は、水曜日はノー残業デーである以外は、帰宅が遅いの。あなたとつき合い始めてから水曜日も遅くなったけどね――ワンオペ育児だし、平日あなたが来てもその痕跡なんか見向きもしないの。まあ飯が美味いことは喜んではいたけど――要は、平日あなたが来ようが来るまいがあのひとは不干渉なの。わたしの負担を減らすために二人で考えてくれたようだけど、わたしからすれば、よりにもよって、夫の浮気相手に助けられてる――その事実のほうが辛いわ。徹底的にわたしを痛めつけている。そのことが、どうして、分からないのかしら?


ひとつ聞くけど。あのひとのどこが、そんなにいいの?」


美冬は困った顔をした。困った顔も、腹立たしいくらいに可憐だ。「奥様を前に、そのようなこと……」


「知りたいの。いいから答えて」


「では。あの……」美冬はコーヒーカップに手を添えると、


「まっすぐなところです」


わたしのこころを打ち砕いた。


「紘一さんは、純情で、正義感が強くって……まっすぐ、ひたむきに愛を表現してくれる。そこに……惹かれたんです」


正妻を前にいけいけしゃあしゃあとよくも。頭に血がのぼるのを堪え、わたしは畳み掛ける。「……別れるつもりはないのね?」


「……奥様には大変悪いことをしているという自覚はあります。……けれど。


好きになったものは、どうにも出来ません。例えば……篤子さんは、円ちゃんを愛しているでしょう? 嫌いになんかなれない。そのはずです。あんなに無邪気で利発で可愛い子を……。わたしの、紘一さんに対する愛情は、それと同じ……というと、篤子さんに失礼かもしれませんが、無条件に愛おしいんです。……彼。わたしの前で、みっともない姿も曝け出してくれるから……。仕事の愚痴とか。苦しみとか」


――それは、わたしの知らない紘一だった。彼は、わたしの前では仕事の話なんか滅多にしない。『疲れたー』と言って休日は20時に寝たりするが、基本的に愚痴は言わない。吐けない――牢獄なのだろうか。家庭というものは、彼にとって。

その一言が引っかかり、わたしは正直に伝えた。「……うちでは、彼は、愚痴は吐かないわ。……あなたのことが、精神的な拠り所になっているのね」


「いえ」悪いと思ったのか、すぐさま美冬が否定した。「……奥様とお子様との良好な関係があってからこそのこれです。紘一さんにとって一番大切なのは家族です」


うちの事情を知りもしないでなにを勝手なことを。頃合いと思い、わたしは会話を打ち切ることにした。「……その気になれば、あなたのことをつるし上げることも可能だということを覚えておいて。顧客は主婦が多いでしょう? 敵に回すと――怖いわよ」


てっきり慄くとでも思ったのに。驚いたことに美冬はうっすら笑みを頬に乗せ、


「――承知致しました」


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