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SWAPSAKENの奇妙な領域。
その日のチェイスは、開始直後から何かがおかしかった。
キラーであるヌーブは、いつもの禍々しい長剣を手にしていた。
そして、その左肩には――もう一つ、とんでもない「異物」が乗っていた。
「なぁ、ヌーブ」
板グル地帯で対峙したシクサーが、困惑したように眉をひそめる。
「……お前の肩に乗ってるそれ、何?」
「え?」
ヌーブが自分の左肩を見る。
そこに鎮座していたのは、一匹の巨大な黒猫だった。
「タックだよ!」
「いや、名前は知ってる」
シクサーは頭を抱えた。
「なんでそんなデカくなってんだよ」
かつては片手に乗るほどの大きさだった愛猫、タック。
しかしSWAPSAKENの領域に入った影響なのか、現在のタックは中型犬ほどのサイズにまで巨大化していた。
全身を覆う黒毛は逆立ち、赤い瞳は爛々と輝いている。
そして何より――。
「……なんで俺より殺気出してんだよ」
シクサーが若干引いた。
巨大な猫は「フシューッ……!」と低く唸りながら、シクサーをじっと見つめている。
どう見ても、ただの猫ではない。
むしろ、今にもサバイバーを狩り始めそうな雰囲気である。
「領域に入ったら、タックも大きくなっちゃったんだ」
ヌーブは何故か嬉しそうに笑った。
「でも、ちょうどいいよ!」
「……何が?」
「僕とタックの合同攻撃!」
「嫌な予感しかしねぇ」
ヌーブは長剣を構えた。
そして、肩の上のタックへ視線を送る。
「いくよ、タック!」
「フシューッ!」
「僕が正面から追い詰めて、タックが背後から襲いかかる!」
「いや待て。お前、俺をどうするつもりだ」
「決まってるじゃないか!」
ヌーブは長剣を高々と掲げた。
「肉球の裁きを下すんだ!!」
「そのネーミングで大丈夫か!?」
タックが唸り声を上げる。
「フシャアアアアッ!!」
次の瞬間。
巨大な黒い身体が、ヌーブの肩から弾丸のように飛び出した。
「うわっ!?」
シクサーが身構える。
速い。
あまりにも速い。
あの巨体からは想像できないほどの速度で、タックが一直線に迫ってくる。
狙いは――シクサーの胸元。
「来るっ!」
誰もがそう思った。
しかし。
タックはシクサーに激突する寸前――。
キュッ!!
見事な急制動をかけた。
「……え?」
シクサーが目を丸くする。
巨大な黒猫は、そのままふわりと軌道を変え――。
ぽすん。
「……」
シクサーの膝の上に着地した。
「…………は?」
ヌーブも固まった。
シクサーも固まった。
タックだけが、何事もなかったかのようにシクサーの膝の上で丸くなる。
そして――。
すり。
「……」
すりすり。
「……おい」
タックがシクサーの胸元に頭を擦り付け始めた。
「ゴロゴロ……」
「…………」
「ゴロゴロゴロゴロ……」
先ほどまで全身から放っていた殺気は、跡形もなく消えていた。
赤い瞳は細くなり、逆立っていた毛もすっかり落ち着いている。
巨大な肉球が、シクサーの太ももをふに……ふに……と踏み始めた。
「……ふみふみ……」
「…………」
「ゴロゴロゴロゴロゴロ……」
板グル地帯に響き渡る、異様なほど重厚な甘え声。
まるで大型スピーカーから低音だけを流しているかのような、腹の底に響くゴロゴロ音だった。
シクサーはしばらく呆然としていた。
やがて――。
「……おい」
タックの頭を恐る恐る撫でる。
「ゴロゴロゴロ……」
さらに大きくなった。
「……なんだこいつ」
シクサーがもう一度撫でる。
「ゴロゴロゴロゴロゴロ……!」
タック、完全にご満悦。
ついにはシクサーのパーカーに顔を埋め、巨大な身体を預け始めた。
「…………」
シクサーは諦めたようにため息をつく。
「お前……俺のこと敵だと思ってないだろ」
「ゴロゴロ……」
「……そうかよ」
シクサーは困ったように笑いながら、タックの背中を撫で続ける。
その光景を――。
ヌーブは長剣を構えたまま、ただ呆然と見つめていた。
「…………タック?」
返事はない。
「タックー?」
「ゴロゴロゴロ……」
「ねぇ、タック!」
「ゴロゴロゴロゴロ……」
「そいつ敵だよ!?」
タックは一切反応しない。
「サバイバーなんだよ!?」
「ゴロゴロ……」
「僕たち今チェイスしてるんだよ!?」
「ゴロゴロゴロゴロ……」
完全無視。
むしろシクサーの膝にさらに身体を押しつけている。
「タックのばかぁぁぁぁ!!」
ヌーブの悲痛な叫びがマップ中に響き渡った。
キラーである。
しかも、手には禍々しい長剣。
本来なら、サバイバーを追い詰め、恐怖のどん底へ叩き落とす存在。
それなのに現在のヌーブは――。
愛猫が敵サバイバーの膝で甘えているせいで、攻撃することすらできない。
「……なぁ、ヌーブ」
シクサーがタックを撫でながら口を開く。
「ん……?」
「このマッチ、もう終わりでよくないか?」
「…………」
ヌーブは無言でタックを見る。
タックはシクサーの膝の上で幸せそうに丸まっている。
「……うぅ」
ヌーブの肩が震えた。
「タックの……」
そして――。
「タックの裏切り者ぉぉぉ……!」
ガランッ。
長剣が地面に落ちる。
ヌーブはその場にへなへなと崩れ落ちた。
「僕の最強コンビネーション攻撃が……」
シクサーは苦笑する。
「コンビネーションも何も、猫が勝手に俺の膝で寝てるだけだろ」
「……僕、キラーなのに……」
「知ってるよ」
「……怖いキラーなのに……」
「今は全然怖くねぇよ」
「……威厳が……」
「最初からあったか?」
「ひどい!!」
その横で、タックはシクサーの膝の上で丸くなったまま。
「ゴロゴロゴロゴロ……」
今日も元気に喉を鳴らしている。
こうして、SWAPSAKEN史上でも類を見ない――。
「巨大猫によるキラーの攻撃完全無効化事件」
は、幕を閉じた。
そしてシクサーは、その日のチェイス終了後までずっと、膝の上から動こうとしない巨大猫を抱えていた。
「……ヌーブ」
「なに?」
「これ、連れて帰っていいか?」
「だめ!! 僕のタックだよ!!」
「じゃあ早く迎えに来い」
「……」
ヌーブは立ち上がろうとした。
しかし――。
「……タック、かわいいなぁ」
「ゴロゴロ……」
「…………」
また座り込んだ。
「……もう少しだけ、そのままでいいよ」
「お前もかよ」
SWAPSAKENのチェイスは今日も、何ひとつ予定通りには進まなかった。
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