放課後麻雀タイム
年末が迫り、寒さが一層身に染みるようになったある日。2学期も終わりに近づき、学期末テストも終わって、学校中がそわそわした師走の雰囲気に包まれていた。先生達も通知表の作成や大掃除の準備に追われ、桜が丘高校の生徒たちも年末年始の行事や冬休みを心待ちにしていた。
その日の放課後の校舎は夕焼けに照らされ、窓から差し込む光が長い影を作り出していた。期末テストが終わった解放感と、琴吹紬が淹れてくれた紅茶の香りに包まれながら、軽音部の五人のメンバー達は、いつものように校舎の軽音部室でお茶の時間を楽しんでいた。
平沢唯は、田井中律に狙われないよう先に苺を食べてしまい寂しいデコレーションとなったショートケーキを大口を開けて頬張りモゴモゴ喋った。
「期末テストも終わったし、やっと練習できるね。テスト勉強で、ずーっとギー太に触れなかったから、寂しかったよー。」
いつにも増して行儀の悪い唯を、紬が面倒見の良いメイドのように緩く窘める。
「ケーキは、ゆっくり食べたほうが美味しいですよ。」
律が、小さなフォークで食べかけのショートケーキをつつきながら余計な茶々を入れた。
「んなこと言ってもウチは兄弟が多いから、油断ならないんだよなー。チマチマ食ってたら、一寸目を離した瞬間に皿ごと搔っさらわれていくんだぜ。」
幼いころ幼稚園の給食で出たプリンを同じ手口で奪われた秋山澪が三白眼で突っ込みを入れる。
「それは、律がやってたから弟が真似したんだろ。」
律が胸を張って反論する。
「それは姉の特権だ!」
「それはお前の横暴だ!」
律の鼻先にフォークを突きつけた澪の胸中に過去の食い物の恨みが蘇る。
その時、部室の扉が開き、脇に書類を抱えた山中さわ子先生が、せわしく入ってきた。
唯は山中先生を見つけると、ケーキのクリームをほっぺに着けたまま、嬉しそうにブンブンとフォークを握った手を振った。
「サワちゃん先生!こっちこっち。」
山中先生は、立って席を譲ろうとする梓を押しとどめて、済まなそうな顔をした。
「ごめんね。今日は忙しくて、一緒にお茶出来ないの。」
律は、ふんぞり返ったまま紅茶を口元に運ぶ。
「先生は大変だよなー。こんな時にゆっくりお茶も飲めないなんて、」
山中先生は、片手でお願いポーズを取って言った。
「こんな時だからね。だから皆にお願いがあるの。」
律は一気に紅茶を飲み干し宣った。
「却下。」
すかさず澪は律の頭上に空手チョップを叩き込んだ。
「お前は、どれだけ偉いんだ。」
先ほどから隣で二人のコントを楽しんでいた梓が堪えきれず小さく噴き出した。
なんとか笑いを堪えた梓は、山中先生に要件をただした。
「お願いって何ですか?」
山中先生は、今日中に成績表をつけなきゃいけないのよ、と言って抱えている書類の束を少し持ち上げた。
「音楽室の隣の倉庫を片づけて欲しいの。私が暇をみてやるつもりだったんだけど、忙しくて。今度、デパ地下のスイーツ持ってくるから。ね。」
山中先生は、魅惑的なウィンクで依頼内容を締めくくった。
スイーツと聞いて、今まで黙って話を聞いていた唯の目が輝いた。
「はいはいはい。やりまーす。」
飛び上るように席を立ち、元気よく挙手する唯に山中先生は、満足げに頷いた。
若干一名を除き、他の部員からも好意的な反応だったので、下校時間までには見に来るからと告げて、軽音部長の律に音楽室と倉庫の鍵を預けると、ひらひらと手を振って部室を出ていった。
律は渡された鍵を摘んで睨みつけ、溜息を吐いて仕方なさげに部室の隣の音楽室と倉庫の鍵を開けた。
隣の部屋とはいえ、開かずの間と化していた倉庫だったので、彼女らも入るのは初めてだった。
倉庫独特の埃っぽく淀んだ空気が鼻腔を刺激する。
「こんな所にお化け屋敷があるとはなあ~」と律は、幽霊のように両手の平を下げて澪を脅かし、空手チョップの恨みを晴らした。
怖がり屋の澪は、小さく悲鳴を上げて後ずさり、梓の背中にしがみ付いて震えた。
梓は、「電気をつければ大丈夫ですよ。」と倉庫の入り口横の照明のスイッチを入れて天井灯を点けた。
倉庫ではあったが、音楽教師が事務室としても使っていたらしく、蛍光灯が増設されていて部屋は明るかった。
小さな窓からの光しかない不気味な薄暗さから解放された倉庫の中には、正方形の机と乱雑に置かれた音楽用の資材や、三段式の金属棚に古い段ボール箱などが積み重なっていた。
部屋が明るくなり元気を取り戻した澪は、さっさとやるぞと、やる気のない律の背中を小突いて急かし、幽霊のお返しをした。
乱雑に積み重なった道具類を音楽室に運び出し、清掃用具を手にした5人だったが、掃除を始めて間もなく、早々に退屈した律が倉庫の奥で面白い物はないかと積み上げられている段ボール箱の中を探し始めた。
律が、ごそごそと物を漁っていると、突如として感嘆の声をあげた。少し埃をかぶった習字箱のようなものを手にした彼女は、まるで宝物でも見つけたかのように、戦利品を掲げた。
「みんな、いいもん見つけたぞ!」
小箱を高々と掲げる律に、4人は一斉に注目した。
箒で床を掃いていた澪が、真面目に掃除しろ!と声を張り上げ、能天気な律を咎めるが、そんな都合の悪い話は彼女の耳に届かなかった。
「何それ、律ちゃん?」
何にでも興味津々の唯が問いかけると、律は得意げに、にやりと笑い「麻雀セットだよ!みんなでやろうぜ。」と提案した。
近くにいた梓がビニール製の箱を見ると、確かにフタに麻雀牌セットと金文字で印刷してある。
律が麻雀を知っていることに驚いた梓は、思わず「律先輩、麻雀知ってるんですか?」と尋ねると「ポンジャンみたいなもんだろ。昔、正月とかよく家に集まって遊んでたんだ。簡単だって!楽しいからやってみようぜ!」と律は自信満々に答える。
「何か違うと思いますけど・・・」と梓は首をひねるが、彼女の疑問も律には、どこ吹く風であった。
「面白そうね。やってみましょう」と、ハタキを持った紬が両手を合わせて緩々と微笑む。唯も「なんだか分からないけど、楽しそう!」と雑巾を放り投げて目を輝かせる。
「兎に角やってみようぜ。」と無責任に言い放つ律に、「またサボろうとして・・・」と額を抑え、溜息をつく澪だが、いつものように人の言うことを一切聞かない律と、賛同する周囲の空気に押されてしまった。
澪は、麻雀セットに気も漫ろな律や唯を急かして山中先生に頼まれた仕事を片づけると、部室に麻雀牌セットを運び込み、小さな教室机を2台向かい合わせて、箱を開けた。箱の中には奇麗に並んだ麻雀牌が入った4つの箱と丸い模様の入った細長い棒とサイコロが入っている。
紬が興味深げに、律が箱から牌を取り出しているのを見ていたが、ふと箱の蓋の裏を指さした。
「ここに何か書いてるみたい。」
澪が目を細めて、どうにか読み取ろうとする。
「Ⅾ□□□□ Ⅾ□□□Ⅼ? 汚い字なうえに擦れていて読めないな。」
「持ち主の名前でしょうか?」と梓が、読み取れる文字の並びから推理した。
紬も真剣な顔つきで意見を述べる。
「それにしては変な綴りね。」
「流石、ムギちゃん、英語得意だもんね。」と唯が賞賛したが、紬は「そんなことないわ。」と胸の前に両手を開いて恥ずかしそうに謙遜した。
その時、探偵のように腕を組んで右手の上に顎を乗せ推理するフリをしていた律が突然、右手の拳を左手の平にポンと当てて叫んだ。
「よーし!分かった!これは呪いの言葉だ。呪いの麻雀牌だ。」
澪は律の後ろ頭を平手で叩いた。
「人が何にでも怖がると思うな。」
「人の頭をポンポン叩くな。」律は後頭部を摩りながら抗議した。
「人に叩かれるようなことをするな。」澪は、突っ込み所満載な律に言葉でも制裁を加えた。
皆で箱から出した牌を机の上に並べてみるものの、牌は滑り落ちるし、動かすと机と共鳴してガラガラと騒がしかった。そこで梓は何か思い当たったのか清掃が終わったばかりの倉庫の奥へと向かった。
暫くして、梓が「いいものがありましたよ」と言いながら倉庫の奥から出してきたのは、麻雀マットだった。ちょうど良い机もあったからと皆で倉庫から机を部室に運びこんだ。
梓は「何故こんなものが学校にあるんだろう。」と呟いた。
倉庫から出してきた四角い机の上にマットを敷いてみると、まるであつらえたようにぴったりの大きさだった。梓は、以前誰かが倉庫で麻雀をやっていたのだと気が付いた。
音楽室なら防音が効いていて、部屋を使う時間も判っている。しかも倉庫の中には滅多に人が入ってこない。まるで完全犯罪の舞台だと思った。
つづく
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