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ここまでの至近距離で、虎を見たのは初めてだ。ウエポンだからだろうか、触れたら暖かいのに、獣臭くない。灯向と同じ、太陽のような、いい匂いがする。
「トラちゃんって言うの?守ってくれてありがとう。」
虎は低く、でも優しい声で、短く唸った。病院の方に戻っていく様子は無い。一緒にいてくれるようだった。
凪は、病院の入口近くの物陰に隠れていた。受付に残った灯向は。先へ進んだ紺と光は。無事だろうか、その事で頭がいっぱいだ。
凪の出身である西賦王国は、この大陸で一番の“問題児国家”である。
貿易が盛んで人口が多く、誰もが初めは賑やかな印象を持つ。しかし蓋を開けてみれば、国王が権力を振りかざして国民を、そしてその国民が周辺の国を苦しめている、かなり問題のある国だ。
西賦王国の初代の王は、「王の為の国、王のための国民」を掲げた。当然ながら国民はそれを嫌い、“西賦の王には悪魔が憑いている”と囁かれるように。国民はその悪魔から、他国に逃げる……国からの無断の脱走ももちろん違法であるが。そのため、西賦と陸続きになっている国の国境付近では、家も富も持たないホームレスがごまんといた。
(私の家族も始めは、縷籟に逃げたっけ。)
西賦は縷籟から見て西に位置する。縷籟の西側の国境には、今でも一定数の西賦人が暮らしていることだろう。
西賦人と縷籟人は、顔や言語が似ているので、一見見分けるのが困難である。しかし実は、食事や何かの作業などをしているところを見れば、西賦人と縷籟人を一瞬で見分けることが出来る。その時、人は、彼らの“利き手”を見る。
縷籟人は殆どが右利き、西賦人は殆どが左利き。なぜそうされているかははっきりしていないが、恐らく古くからの文化の違いによるものだろう。当然、凪も左利きである。凪にとっては、この左手が憎かった。
(西賦人は西賦人であるというだけで、他国から虐げられる。どうして?私は、私の家族は、何もしていない。)
そういう面でもやはり、縷籟と西賦は、似ているのかも知れない。
寂しさに負けそうで、虎を眺めることで必死に退屈を紛らわしていると、病院の中から足音が聞こえた。
「ナギ!」
灯向が、物陰にひょこっと顔を出す。この体で抱えきれないほどの安堵が心の中から、涙と一緒に溢れてきた。自分はなぜ、今日知り合ったばかりの縷籟人のために泣いているのだろう?わからない。驚いている灯向の顔を見ると、余計に涙が止まらなかった。
「えっ、ちょっと、ナギ?」
最初の方こそあたふたしたが、次第に冷静になったのか、灯向はしゃがみ込んで泣いている凪の隣に座った。
「心配かけてごめん。ほら、この通り、おれはめっちゃ無事だから。」
「……今までのみんなみたいに、死んじゃうかと思った。良かった、無事で。」
「うん。おれは今から、コンたちに合流しに行く。もちろんナギを連れていくつもりはないけど。」
灯向がそう言った途端、虎が、灯向の腕を噛んだ。
「えっ、いった!」
何すんのトラちゃん!……そう言おうと虎を見ると、虎は凪の腰に頬ずりをしていた。灯向は困惑する凪から虎を引っぺがして、頭を撫でる。
「ナギを連れていきたいの?」
虎は頷くように、低く唸った。
「……私も行きたい。自分の身は自分で守れるから、お願い。」
灯向が揺らいでいる今がチャンスだと、凪は畳み掛けた。
「じゃあわかった、みんなで行こう。」
2人に説得されて参ったのか。灯向は苦笑してから振り返る。
「ナギ、自分の身は自分で守るって、そんなに気を張らなくていいよ。許可出しちゃった以上、おれたちが守るから。」
灯向と喋っていると、妙な胸騒ぎがする。不快ではない、どこか照れくさくて、頭が熱くなるような。
「じゃあ、守ってもらおうかな。」
そんな訳がない。こんな気持ち、知らない。照れ隠しをするように、凪は深呼吸をしてから、灯向について行った。
「ミツル!」
声とともに、パァン、と、大きな銃声が鳴った。
突き飛ばされて、尻餅をついた。床から部屋に舞う埃が肺に重い。ポタポタと液体が地面に散る音がして、訳のわからないまま床を見ると、赤黒い血液が小さな円を作っている。
「いてっ……。チッ。」
光の前には、紺が、右肩を赤くして立っていた。
「犬、殺せ!ミツルは立て!」
紺は光の腕を引いて、廊下の1番奥の部屋に入った。勢いよくドアを閉めると、辺りを見回す。
「誰もいない……やっぱね。」
「ここって、目的地……今回の犯人がいた場所じゃ……。」
「待ち伏せられてたみたい。やばいね、これは。ヒナタ……ヒナタ、どうしよう。血痕残ってるからここ入ったことはバレバレだし、とりあえず俺が戦うけど、ミツル……ミツルを、守りながら。」
本当に焦っているのか、紺は思ったことを全て口から垂れ流しながら、ドアを凝視していた。
「動物系のウエポンって、死なないのか?」
「うん、死なない。あいつらが好きだから食べさせてやってるだけで、食べる必要も寝る必要もない、臓器もないし血も流れてない。穴があくだけ。穴あいても喚び戻して再召喚すれば治る。」
「グロ。」
「あーもう、肩痛いんだけど。撃たれどころ良かったから後遺症は残らないだろうけどさ、銃は反則でしょ、ふざけんなよ。」
「焦ると口が達者になるんだな、落ち着け。」
「ごめん、悪い癖なんだ。とりあえずミツルだけは死んでも守るから。」
その時、大きな音を立てて、ドアが開いた。紺がチッ、と舌打ちをして、肩を抑えながら構える。
大柄な男だった。灯向の2倍はあるであろう身長に、木の幹のような胴体。大きくてごつい手のせいで、握った拳銃がとても小さく見える。
男は怯える紺と光を見ると、楽しそうに笑って、拳銃を捨てた。
「犬はどこに行ったんだ?」
「さっきのワンちゃんなら、俺に噛み付くこともなく急にどこかに走っていったよ。」
「……縷籟の言葉が喋れるのか、お前。」
それを聞いた男は、当たり前だろ、とさらに笑う。
「ルフエで犯罪しようと思ったら、ルフエ語は必須だからな。」
「それが警察にばれ、俺たちがここまではるばる来させられたって訳ね。今投降したら痛い目は見ない。手を挙げて、投降しろ。」
もちろん全てでまかせである。今の紺に、男に痛い目を見せることができる手段などない。肩に傷を負った状態で、あの巨体をのすことは難しいだろう。
男もそれをわかっていた。
「飼い犬のワンちゃんは優秀だったな。銃も刃物も恐れず、勇敢に立ち向かってきた。そのワンちゃんがいないお前に、何が出来る?」
「俺にはミツルがいる。楽しい楽しい尾行中、お前は1度でも、ミツルが力を使っているところを見た?」
「えっ。」
これは暗に「ウエポンを使え」と言われているのか、それとも敵を脅すためのでまかせなのか、光にはわからなかった。
しかし、彼には言ったはずだ。ウエポンを使えと言われたところで、それに従うことはできない、と。
光に纏わりついて離れない、“あの男”の亡霊。そいつが、ウエポンを出してはいけないと、光の体を常に抑えているような気がして……。
(おれはトラウマのせいで、自分のウエポンを、自分の意思で出せない。)
自分が怖い。過去を忘れたい。ウエポンを出せないのは、その為の保身なのかも知れない。
男は紺たちのリアクションを楽しむかのように、ゆっくり1歩ずつ近付いてきた。紺はまた舌打ちをして、構える。
「隙を見て逃げて、ヒナタを呼んできてほしい、ミツル。それまでは俺が耐えるから。」
「……ああ、わかった。」
口では頷くが、足が動く気がしない。このまま置いていけば、紺は、死んでしまうような気がする。もしここで紺が死んでしまったら、一緒にいた自分は……凪に、灯向に、特待生のみんなに、紺の両親に……どんな顔をすればいいのだろうか。
「俺が信用できない?ミツル。」
「信用してない訳じゃ……。」
「俺は信用してない。もし俺が死んだら、ヒナタに、好きって伝えてほしい。」
「………」
光は黙った。紺とはまだ出会って数ヶ月しか経っていない。縷籟警軍である限り、彼らとの別れがいつ来るかわからないことなんて、最初から理解していたのに。
いつもだ。自分はいつもこうだ。
男が紺に飛びかかった。紺は力を振り絞って対抗するが、肩に怪我を負っているからか、動きが良くない。
「ミツル!……ミツル?」
光は動かなかった。ただ真顔で1点を見つめたまま、固まっている。
微動だにしない光に気を取られ他所を向いた瞬間、男の肘が紺の鳩尾に入った。短い嗚咽と共に倒れ込んだ紺の胸の当たりを上から踏みつけて、男は余裕そうに笑みを浮かべる。
「おい……逃げろ、ミツル!」
掠れる声を振り絞って、紺が光に叫んだ。すると光の首がゆっくりと、真顔のまま紺の方に向いた。まるで人形のようなその動きと表情に、男だけでなく、彼と仲のいい紺までもが一瞬怯む。
やがて光は、男たちの方へ、ゆっくりと歩を進めた。1歩1歩を引きずるような、大層気味の悪い歩きだ。男の顔が困惑から、獲物がのこのこと自ら寄ってきたことへの悦びに変わった瞬間を、光は見逃さなかった。
その時、光の背後に、大きな“何か”が現れた。ドアの向こうから差し込む日光を鋭く反射する、黒くて傷だらけの表面。人のような形をしている、頭部にあたる部分には、聖母のように優しく微笑む女性の顔が彫られている。
男は目を見張った。それが謎の物体が急に現れたことに対する驚きであるのか、はたまた物体そのものへの驚きであるのかはわからない。光の背後に置かれた“それ”は、その場の空気を重くする程に禍々しかった。
(ウエポンかな?喚ベないって話じゃ。)
こちらへくる前の教室で、光は、紺と灯向に「ウエポンを自分では喚べない」と耳打ちした。……いや、よく思い出してみると、光は「喚べない」ではなく「制御できない」と言ったかも知れない。そうだ、その時、制御が出来ないというのは躾がされていない動物か何かなのか、と思った事が記憶に新しい。
制御ができない。今の光は、あの背後の物体を、制御できていない。喜ぶべきかそうでは無いのかわからないが、少なくとも、光の動きがゆっくりなお陰で時間を稼げている事は確かだ。灯向と虎がいれば、あの男をどうにかできる。灯向がこの部屋に辿り着いてくれるのを待つしか、今の紺にはできることがない。
光が触ることもなく、やがてその黒い物体は、胴体を観音開きにして、その内部をあらわにした。中には鋭い針がびっしりと並んでいる。その無数の棘からは、まだ固まっていない血液が滴り落ちていた。
怯んだままの男に、光はやっと口を開く。
「コンから足をどけろ。」
声はいつもの光のはずなのに、その言葉には、どこか生物が本能から恐れるような、抗えない恐怖を感じた。踏まれていた胸がふっと軽くなって、紺は思わず咳き込む。
(……やばい。肩が痛い。)
紺は先程、「撃たれどころが良かったから後遺症は残らない」と言ったが、あれは光に余計な負担をかけないための真っ赤な嘘である。銃弾は紺の体を貫通していない。この銃弾が原因で死ぬことはないだろうが、右肩の関節が使い物にならなくなる覚悟は、もうとっくにできていた。
いや、今はそんなことを気にしている場合ではない……紺は光のほうを向く。
(ミツル、殺すつもり?)
光の背後にある物体を、紺は見たことがある。その昔マモ公国で使われていた、拷問器具だ。縷籟の言葉では、それを「鉄の処女」と呼ぶ。
光は目を真っ暗にしたまま、まだ男に近づいてるいく。縷籟警軍学校の特待生は、基本的には犯人の確保までを担い、殺害はしない。まだ経験が少ないからだ。最高学年である4年生ならば例外が認められることがあるが、光には、まだ早い。
しかしここで「殺すな、ミツル。」などと声を出したら、男の恐怖心が解け、せっかく稼いだ時間が無駄になってしまうかも知れない。第一、今の光はおぞましく、声などかけられる状況ではない。
光は男の目の前まで来た……かと思ったら、男の横を通り過ぎてから、振り向いた。そのまま両手を男の背中に当てる。
(器具の中に押す気か。あんなに威勢の良かった男が、怯えたまま動けないのはどうして?違う、そんな事はどうでもいい、止めないと……。)
紺が力を振り絞って立とうとした、その瞬間。
「トラちゃん、噛みなさい。」
聞き馴染みのある声と共に、大きな虎が、部屋の中に入ってきた。そのまま、驚く男の足を噛んで転倒させる。
「コン、ミツル。2人とも無事?」
「……ヒナタ……、ヒナタ!」
安堵のせいか、とてつもない脱力感が、紺の体全体を襲った。
「うん、無事……。いや、無事ではないかも、肩に銃弾があるんだ。」
「はぁ?」
叫んだのは、灯向ではなく凪だった。凪はそのまま紺に駆け寄ると、右の肩を見て、唖然とする。
「……何、これ。」
「ナギ。そんな顔しないでよ、俺、生きてるし。」
「見たらわかるよ。……本当に、心臓に悪い。」
「うん。ごめん。」
灯向はそんな2人を横目に、救急車とヴィアタン警察を呼んでいた。
「俺は、これから、どうなるんだ?」
虎に足を噛まれ、横たわることしかできなくなった犯人が、無気力そうに呟く。
「お前は今から、ヴィアタン警察に連行されて、縷籟警軍の本部のほうに引き渡されて、殺される。」
「ヒナタって呼ばれてたか、お前があの“小さな虎”か。お前の虎は、噂通りの良い噛みをした。」
「柴犬を見逃したのがお前の敗因だね。彼がここまで導いてくれた。……小さな虎、ってなに?」
「俺たち犯罪者がお前を指す時に使う言葉だよ。」
「小さな、は余計だからいらないって、死ぬ前にお仲間に言っておいてくれない?」
「大きい虎を仕留められる小さい虎は、どこにでもいるようなモンじゃないぞ。」
男の言葉に、灯向は笑った。
「お前は、自分を大きい虎だと勘違いしてる野うさぎだよ。」
「言うな、お前。まあ実際、噛み殺されることを待つことしかできなかったな。アイツの圧にやられてしまった。」
男は指をさした。その指の先には、いつの間にか気絶している光がいた。光の背後にあった大きな“鉄の処女”の姿は、跡形もなく消えている。
灯向が光に駆け寄り、抱え上げる。寝ているだけのようだ、灯向は紺に訊いた。
「ミツルに何があったの?」
「ウエポンを使ってたんだけど、動きがおかしくなってた。なにかに操られてるみたいに、ミツルが男を殺そうとしたところで、ヒナタが来てくれた。」
「ウエポンを出した?出せないんじゃ?」
「俺は知らないよ。」
やがて遠くから、救急車と警察車両の、サイレンの音が聞こえてきた。紺が立ち上がろうとするが、痛みのせいで上手く力が入らない。
「歩かない方がいいと思うよ。」
「ナギの言う通り。コンたちはここで待ってて、警察の人たちを案内してくるから。」
「ミツルは寝ててコンは起き上がれないのに、私を殺人犯と同じ部屋に置いていくつもり?」
灯向は首を横に振ると、男に近寄って、服の襟を掴んだ。そのまま男の体を引きずりだすものなので、さすがに気の毒に思ったのか、凪が苦笑いする。
「引きずらなくてもいいんじゃない?可哀想だよ。」
「歩けないんだから仕方ないよ。おれ、犯罪者を抱っこおんぶとかやだ。」
「途中で服のほうが先に破けそうだね。」
「そうなったら蹴りながら行くよ。本当は歯が折れるまで顔を踏みたい、だってこいつはコンを撃ったから。でも我慢してる、おれが耐えてるうちに警察に引き渡さないと。」
「そんな奴、ヒナタが踏むにも値しないよ。」
紺のその言葉にくすっと笑うと、灯向は何も言わない男を引きずって、部屋を後にした。
「……ヒナタ、好き。」
「えっ?本人に言いなよ。」
「いや、独り言。てっきり俺はここで死ぬかと思ったから。生きてて良かったな、って。ナギはヒナタのこと、好き?」
「……えっ!?」
冗談半分で訊いた紺は、凪のリアクションを見て、目を見開く。
「ナギ、ヒナタのこと好きなの?」
「友達としては……まあ、好きだよ。」
「嘘つけ。」
「嘘じゃないけど……あ、でも、みんなもう縷籟に帰っちゃうのは、寂しいな。」
凪は紺を見つめた。長いような短いような沈黙が流れてから、紺が口を開ける。
「また、すぐ来るよ。」
「うん、知ってる。またヒナタとミツルと一緒に、会いに来てね。」
「うん。約束。」
負傷した紺と気絶している光は、国が直接面倒を見ながら、別の道で縷籟に帰されることになった。自分たち以外に人1人いない他国行きの電車のホームで、凪は海を眺める。
やがて電車が来て、隣にいた灯向が立ち上がった。凪もそれに続くように立ち上がり、誰もいない電車の空席を、遠い目で見つめる。
「じゃあね」の言葉が、喉の奥に詰まって、出てこなかった。すると灯向が、凪の前に手を差し出す。
「またね、ナギ。」
凪はその手にタッチをして、灯向に手を振った。
「うん、また、会おうね。」
返事はせずに、灯向はこくんと頷いた。
この電車に乗ってしまいたい。灯向と一緒にいた時間はまるで夢のようだった、これからも変わらず続く孤独な毎日を、一瞬だけ忘れさせてくれた。泣き顔を見られた恥ずかしさも、守ってもらえた照れくささも、まだ凪の胸の中にへばりついている。また泣いてしまいそうだ、灯向のほうを向けない。
電車のドアが閉まって、凪は後ろに後ずさった。このドアがあれば、今なら、何でも言える気がして。気がつけば、凪の口は、勝手に開いていた。
「……ヒナタが将来、警軍をやめても、幸せになっても、私のこと、忘れないでね。」
きょとんとした灯向の顔が一瞬だけ見えたところで、電車は、音を立てて走り出した。昼下がりの太陽が、静かな海を、キラキラと輝かせている。
この日差しが、凪を照らし続けていてくれる限り。この海が、輝きを失わない限り。灯向は、紺は、光は、きっと自分のことを、忘れないでいてくれる、そんな気がした。
続く