一瞬、幻覚でも見ているのかと思った。
見上げれば、首が痛いほどに高い吹き抜けの天井。
アーチを描くそこには、何十本ものろうそくの立てられた巨大なシャンデリアが、いくつも連なって吊るされている。
広々としたホールを思わせる室内には、片側の壁には床まで届くほどの丈高い窓が並び、その反対側の壁には一面に張りめぐらせた鏡があった。
鏡の壁は、シャンデリアの照明を映し込んでまばゆいほどに光り輝いている。
「ここは、どこ……?」
わたしは、そんな場違いなほどの空間にひとりぽつんと放り出されて、磨き抜かれた白い大理石の床に座り込んでいた。
赤いチェック柄の制服のスカートが、所在なげに床に 裾 すそを広げている。
さっきまで普通に高校の校舎にいたはずなのに、ここはいったい、どこなのだろう?
放課後、学校の屋上で友だちと話していたら突然周囲が青く輝いて――あまりにもまぶしくてとっさに目を閉じてしまって、そして気づいてみたらいきなりこんな見知らぬ場所にいたのである。
そうか、これは夢。夢なのだろうか。
もしかしたら日々の受験勉強で疲れていて、白昼夢でも見ているのかもしれない。
自分はきっと、放課後友だちと話してからいつもどおり予備校へ行って、そこで授業中に居眠りでもして今は夢を見ているのだ。
夢なら、こんなへんなことになっていても安心だ。
とはいえ、いつまでも寝ていたら先生に怒られてしまうから、早く起きないと――。
「聖女様! 聖女様が現れたぞ!
召喚の儀式は成功だ!」
その場にいた誰かが高らかに声を上げた途端、わたしをぐるりと取り囲むように立っていた大勢の人びとが、わああっと一斉に歓声を上げた。
それと同時にさざなみのように広がっていく拍手喝采に、わたしはびっくりして思わず立ち上がり、きょろきょろと周囲を見渡す。
そこには、金糸や銀糸を縫い込んだシャツやドレスといった、いかにも貴族風の服装をした人びとが、みんな一様にわたしを見つめて感極まった様子で涙を浮かべていた。
みんな、わたしがここに来たことを喜んでいるのだ。
これは、いったい、どういう夢なのだろう……?
「レイン様っ……レインワルド殿下!おめでとうございます!聖女様はこちらにおられますので、どうぞお顔をごらんになってください!」
わたしの近くにいた、上品に髭を蓄えた貴族の紳士が後ろを振り向くと、人だかりの奥のほうでレインワルド殿下――レインと呼ばれた人と思われる濃紺の髪が揺れた。
その人がわたしに向かって歩き出した途端、人垣が一気に割れて、わたしへの一本の道を作る。
その道の奥から、まるで夜空を思わせる深い紺色の髪に、青の宝石のような切れ長の瞳をした男の人が近づいてきた。
彼の姿を見るなり、わたしは思わず、うわ、と息を呑む。
(……なんて、なんて綺麗な男の人なんだろう……!)
レインと呼ばれた彼は、無駄な筋肉のないすらりとした長身で、体に沿うように作られた青と白を基調にした上着に身を包み、濃い灰色のズボンを履いていた。
首もとには、いくつかの青い宝石が縫いつけられた白いタイをつけている。
年齢は、高校生よりちょっと上の、大学生くらいだろうか。
外見もはっとするほどにかっこいいけれど、服装もまた上品で、彼の周りだけよりいっそう輝いているように見えた。
静かな足取りで近づいてきた彼は、わたしの目の前までやって来ると、形のいい薄い唇を持ち上げて嬉しそうに笑んでみせた。
(わ、笑った……!)
不意打ちで、少年のような素直な笑顔を向けられて、わたしは心臓がどきりと跳ねてしまう。
落ちつけ。これは夢、夢の中の出来事なんだから。
わたしが必死に自分の心を落ちつかせている中、レインはそんなことなどつゆ知らずの様子で、こちらをしげしげと見つめた。
そうして、よく通る響きのある声で口を開く。
「――貴女が、俺たちの国の聖女殿か」
聖女……殿?
そういえば、さっきもみんなが聖女の召喚がどうのこうのと言っていた。
もしかして、その『聖女』というのはわたしのことなんだろうか。
戸惑って見上げるわたしの視線の先、レインはこちらを見下ろしてふっと不敵に笑うと、突然膝を折ってわたしの足もとにひざまずいた。
それとともに、わたしを取り囲んでいた大勢の貴族の方々もまた一斉にわたしに頭を垂れる。
なに、なに、なにが起きたんだろう。
なんでみんな、わたしに頭を下げているの。
どぎまぎしていると、レインが頭を上げて、男性らしい大きな手でわたしの手をすくうように取った。
「聖女殿、俺の声を聞いてこの世界に来てくださったこと、感謝する。どうか、貴女の力でこの国を救ってほしい」
「え……?」
――この国を、救う?
レインは力強く言いきると、わたしの手をぎゅっと握った。
強い輝きを秘めた彼の目はとても真剣で、これは夢なんかで片づけていい状況ではないのではないかと、わたしの頭の奥で警笛が鳴る。
思いだそう。
どうして、どうしてこんなことになったんだっけ。
たしかわたしは、放課後、小さい頃からずっと仲の良かった幼なじみの友だちと喧嘩をしてしまって、それで――。
必死に思いだそうとするわたしの頭の中に、あのときの光景が、よみがえった……。
――あの日……。
「おーい海春! まだ教室に残ってるか?」
ふいに教室の扉が開けられて、帰り 支度 じたくをしていたわたし――青葉海春は、教科書を整えていた手を止めた。
戸口のところに、同じクラスの男友だち――佐久間五希が、少し緊張した面持ちでわたしを見つめている。 わたしは五希に笑いかけながらうなづいた。
「うん。これから利緒と一緒に帰るとこ。利緒、さっき先生に呼ばれて職員室に行っちゃったから、終わるまで待ってようと思って」
「そう、か……。なら、まだ時間あるよな」
五希は口の中で呟くように言うと、なぜかわたしから顏をそらしながら歩み寄ってくる。
なんだろう、なにかわたしに用事だろうか。
わたしは首をかしげながら、なんとなく席を立ち上がって彼と向き合った。
もう教室にいるのはわたしたちだけで、グラウンドからの運動部のかけ声だけが遠くに聞こえている。
さきほど名前の出た友だち――利緒こと白峰利緒は、幼稚園の頃からのわたしの友人で、小学校、中学校、そして高校二年生になった今でもずっと一緒にいる大親友だ。
受験に備えて同じ予備校にも通っていて、わたしは空き時間をみては彼女に勉強を教わる毎日を送っていた。
というのも、平均よりちょっといいかなくらいの成績しかないわたしと違って、利緒は学年でトップを争うくらいとても優秀な女の子なのだ。
そんな彼女は、わたしにとって自慢の親友であり、引け目を感じる存在でもあった。
(……わたしも、利緒みたいに優秀だったら……)
利緒みたいに勉強も運動もできたら、どれだけよかっただろう。
とくにわたしの母親は厳しいくらい教育熱心で、利緒と同じ国公立の大学を受けなさいとしきりにわたしに言うのだ。
利緒と同じレベルの大学になんて、受かるわけないのに。
どんなに頑張ったって、わたしが彼女に追いつけるはずがないのに。
だって、わたしは小さい頃からずっと、なんでもできる利緒の背中を追うことしかできなかったのだから。
「海春、あのさ……」
物思いにふけっていたわたしは、五希の声ではっと我に返る。
彼――佐久間 五希は高校に入ってからの友だちで、スポーツ万能で背も高く、顔もかっこいいので、女子からとても人気のある男の子だった。
どうしてそんな人気者の五希とごくごく平凡なわたしが友だちなのかというと、わたしは、わりと人と話すことが好きで初対面の人にも臆さずに話しかけることができたので、人より少し友だちができやすかったのだ。
そのおかげで五希とも自然と親しくなって、彼とわたしは、たまに学校帰りに一緒に遊んで帰るくらい仲の良い友だちだった。
逆に利緒は、どちらかというと人見知りの性格だったので、わたしが唯一彼女より軍配が上がるのは、人づきあいが得意なこと、それだけだったのだ。
――そしてわたしは、利緒の好きな人が五希だということを知っていた。
知っていて、彼と親しげに帰るようなことをしていたのだ。
利緒へのつまらない嫉妬心から、なにかひとつでも彼女にわたしのことを 羨んでほしくて、五希と親しくしていたのかもしれない。
(……わたしは、そんな自分のことが)
そんなことをして利緒と張り合おうとしてしまう情けない自分のことが、どうしようもなく、いやだった。
「……海春、俺、ずっとおまえに言おうと思ってたんだけど」
「……え、な、なに?」
照れたように口ごもる五希に、どこか胸騒ぎを感じる。
なぜだろう。わたしは、その次の言葉を聞いてはいけないと思った。
それを聞いてしまったら、利緒との関係が取り返しのつかないことになってしまう気がしたから――。
「俺、おまえのことが、ずっと前から……――好きなんだ」
がらり、と教室の扉が開かれた。
そこには利緒が――表情を強張らせた利緒が、わたしと五希を見つめていた。
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すごい!(•‿•)
わお