テラーノベル
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美穂の遺体は病室の外の廊下の簡易ベッドに移された。亮介はなおも仕事に戻ろうとしたが、院長がそれを許さなかった。最後には「院長命令」という言葉まで使って、亮介に仮眠を取るように命じた。
亮介は廊下の端に置かれた美穂が、いや美穂の遺体が横たわっているベッドの横にマットレスを敷いてその上で毛布にくるまり、ほどなく深い眠りに落ちた。
目が覚めた時、辺りはまだ真っ暗だった。亮介が床から起き上がり、簡易ベッドの横に立った時、はらりと白い布がシーツの上に落ち、美穂の上半身がゆっくりと起き上った。なぜか不思議な感じはしなかった。
美穂は両手で亮介の右手を包み込むように握りながら優しい声で語りかけた。
「亮ちゃん、がんばったね。いいんだよ、気にしなくて。亮ちゃんはお医者さんだもんね。立派だったよ。だから……」
思わず亮介は目を閉じた。そして再び目を開けた時、そこに美穂の姿はなかった。忽然と消え失せていた。
「美穂!」
そう叫んだ亮介は、自分が床のマットレスの上で飛び起きた姿である事に気づいた。
「夢か……」
そうつぶやいて辺りを見回すと、やはりまだ真っ暗だった。立ち上がって美穂のベッドの横に立つと、顔に白い布をかけられた美穂の体は確かにそこにあった。
そして美穂の上半身が音もなく立ち上がり、顔から白い布がシーツにするりと落ちた。美穂は血走った目で亮介の顔を見つめ、両手で亮介の右腕をわしづかみにした。
「亮ちゃん、どうして?」
美穂は低い声でうなる様に問いかける。
「どうしてあたしを助けてくれないの? どうしてあたしを見捨てるの?」
美穂はそのまま顔を亮介の顔に近づけながら問いかけた。
「亮ちゃんは、あたしを愛してなかったの?」
絶叫を上げた亮介は、やはり床のマットレスの上で飛び起きた格好だった。今度はもう周りはすっかり明るくなっていた。
おそるおそる美穂のベッドの横に立つと、遺体はちゃんとそこにあり、顔の布をめくってみるとやつれ果ててはいたが、比較的穏やかな死に顔が見えた。
亮介は右の拳で自分の頭を叩きながら、自分に向かってつぶやいた。
「なんてザマだ、しっかりしろ。夢オチの二連発なんて、マンガじゃあるまいし」
そして美穂の遺体を見下ろしながら思わず口にした。
「美穂、君の本心は一体どっちだったのかな?」
寝ぼけた頭が少しずつはっきりしてくると、その音が段々近づいているのに亮介は気づいた。バリバリバリという振動する連続音。聞き覚えのあるリズム感。
亮介は近くの窓に走り寄り、カーテンを開けて外を見た。病院の広い裏庭の上で濃い緑色のヘリコプターが空中にホバーリングしていた。一人の制服姿の男が垂らしたロープをつたって地上に降りているところだった。
その男が地面の状態を確認しヘリの操縦席に向けて合図を送ると、そのヘリは降下を開始した。同時にヘリの外部スピーカーから力強い別の男の声が辺りに響いた。
「こちらは陸上自衛隊のレスキュー隊です。病院関係者の方は、いらっしゃいましたら、着陸完了を待って集まって下さい」
亮介は全身がぶるぶると震えた。左腕の腕時計に目をやった。そして、よろよろと老人の様な足取りで階段へ向かい、何度も転げ落ちそうになりながら一階へ降り、裏庭に通じる廊下を歩いた。
戸外へ出ると、既に医師、看護師たちのほとんどが小走りでヘリへ向かっている背中が見えた。亮介は突然両足に力が入り、意味不明の獣の咆哮のような叫び声を上げながら走り始めた。
そこには医師としての牧村亮介はいなかった。医師である前に、一人の人間として男として、亮介の頭の中には、ただ一つの事しかなかった。
院長が三十六時間のタイムリミットを切った時から、まだ十五時間ほどしか経っていない事を、亮介は何度も何度も腕時計を見つめて確かめた。
このタイミングで救援が来るのなら、その事が分かっていたら、美穂を黒にトリアージし直す必要はなかった。救命処置を中止する必要はなかった。その時の亮介には、それ以外の事は何も考えられなかった。
先を進んでいた医師、看護師たちが驚いて横にどく、その間を亮介は狂ったように駆け抜け、ヘリの脇に立つ大柄な自衛隊員の制服の胸を両手でつかんで喚いた。
「どうして、もっと、せめて半日、早く来てくれなかったんだ? そうしたら……」
そうしたら美穂は、僕の美穂は……その部分は言葉にならなかった。周りに集まった医師たちも口々に不満の声を漏らした。ひときわ大きな声で児玉が言った。
「そうだ! 遅いぞ、自衛隊。何やってんだ!」
むっとした表情でもう一人のまだ若い隊員が言い返した。
「お言葉ですが、我々にもここの情報は何も……」
「よせ」
亮介に胸ぐらをつかまれたまま、隊長らしい自衛隊員は同僚を制した。
「いや、しかし、隊長」
「これは命令だ! 黙っていろ!」
有無を言わせぬ鋭い口調で声を張り上げた隊長は、前つばのついた帽子を脱ぎその場にいる病院スタッフに向けて、今度は穏やかな口調で言った。
「みなさん、救援に来るのがたいへん遅くなりました事、まことに」
そこで隊長は腰を九十度前に折って頭を下げながら続けた。
「申し訳ありませんでした!」
隊長が体を前に倒した拍子に、亮介は全身から力が抜け、つかんでいた手を離し、地面に座り込んだ。隊長は数歩亮介から離れ、帽子を被りなおしてきびきびとした口調で尋ねた。
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