テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「緊急搬送の必要な患者さんはいますか? 二人までならこのヘリで今からでも運べます」
「二人、一刻を争う患者がいます」
院長が冷静な声で応じた。
「十歳と五歳の女の子で、開放骨折の手術後、もう一人は肺炎で」
隊長はヘリから担架を運び出している二人の隊員を指差しながら言った。
「そこの二人を患者さんの所まで案内して下さい。あとの方は緊急用医薬品の運び出しを手伝っていただけますか」
医師、看護師たちは次々に段ボール箱を受け取り、病院内に運び始めた。が、亮介はまだ呆然とその場に座り込んでいた。誰も亮介を咎めようとはしなかった。
いつでも離陸できるよう、ヘリのローターが再び回転の速度を増した。エンジンとローターの放つ音にかき消され、亮介の声は周りの誰にも聞こえなかった。ローターが巻き起こす風が亮介の白衣と乱れた髪を絶え間なくはためかせた。
子供の様に手放しで涙を流し、口を大きく開けて何かを叫び続け、座り込んだ地面の土を両手の拳で何度も何度も殴りつけながら、亮介はヘリが飛び去るまで、その動作を繰り返していた。
大きく開いた口から洩れ出ていたはずのその言葉は、助けられなかった、愛する人の名前だったのだろうか? それとも、この理不尽な状況を引き越した誰かへの怨嗟の叫びだったのだろうか。あるいは別の何かだったのだろうか?
それは亮介を見ていた誰にも聞こえなかったし分からなかった。それは亮介自身にも、おそらく後で尋ねられても答えられない質問だったのかもしれない。
その後、三十キロ圏外に市役所が開いた仮設の診療所で、亮介は狂ったように仕事に没頭した。一日も休まず、ほぼ二十四時間体制で、最低限の睡眠時間以外はひと時も休む事なく働き続け、そして八月の終わりに過労で倒れ、出身大学に替わりの医師の派遣を要請した。
亮介が南宗田市を去ると告げた時、院長も児玉も山倉も宮田も、誰もそれを責めはしなかった。むしろ笑顔で送り出してくれた。それがかえって亮介にはつらかった。
顔見知りの病院スタッフに見送られて診療所を去り、登山用のリュックを背負って仮設路線バスの停留所へ向かう道で、見覚えのある女性が街路樹の木陰でキャスター付きの大きなトランクによりかかって立っているのに気づいた。
飾り気のない半袖のTシャツと着古したジーンズ。女性には不似合いな無骨なスニーカー。今どき珍しい小麦色に日焼けした肌。長い髪を無造作に首の後ろで括っている。亮介はすぐ近くまで来て確信し、声をかけた。
「先輩ですか?」
「よう。久しぶりだね」
相変わらず男のようなしゃべり方をする三十代前半のその女性は、かつて亮介が三日で逃げ出した紛争地域で、亮介の指導にあたったあの女医だった。
「どうしてここに?」
女医は意地悪そうな笑いを浮かべて答えた。
「どうしてここに、とはずいぶんなご挨拶だね。あんたの替わりに来た相手にさ」
「僕の後任の医師って、先輩だったんですか?」
「ああ、そうさ。ついでに……」
その女医はトランクの取っ手からぶら下がっている小さな手提げ袋から一枚の封筒を取り出した。
「あんたに頼まれた物を届けに来てやったんだ」
そう言って差し出された封筒に亮介が手を伸ばすと、女医はさっと肘を曲げ自分の肩近くに手を引いた。
「渡す前に確かめる事がある。あんた、何しに行きたいんだ? まさか死に場所が欲しいってんじゃないだろうね?」
亮介はまっすぐに彼女の目を見つめ返しながら首を横に振った。
「違います。知りたいんです」
「何を知りたい?」
「僕の取った行動が医師として正しかったのか、医師としては正しくても人間として正しかったのか。それが分からないうちは、僕は自分で自分を許せない。その答を知るためには、もっとこの世の地獄の極限状況を経験しないといけないんです。僕は……」
亮介は言葉を切って、しばし考えた。だが、どうしても正確に表現する言葉を見つける事が出来ず、結局ありふれた表現を口にした。
「一人前の医者になりたいんです」