俺だって、藤澤さんに頼めるものなら頼んでしまうのが一番理想的だと思っている。でも、どうしてもそうできない理由があった。それは若井のことだ。GW前の彼の様子のおかしさが、藤澤さんに関係するものだと気が付かないほど俺も鈍いほうではない。俺と若井の今までの絆を考えれば、旧知の友をとられたように感じるさみしさ以上のものがあるのは俺にも分かるのだ。俺を音楽の道に少しでも戻すきっかけが自分ではなく別の人間だったことが、彼の自尊心を傷付けもしたのだろう。しかし、確かに確実なきっかけは藤澤さんだったとはいえ、長きに渡ってその根底を守ってきてくれたのは若井だった。だからこそ、今回組むバンドできっかけたる藤澤さんにキーボードをお願いしてしまうことは、彼の自尊心を更に大いに傷付け、俺にとって彼が無意味であるかのように少しでも思わせてしまうかもしれないと危惧したのだ。
「学祭出るの?」
驚きと感心の入り混じった表情でこちらを見つめる藤澤さん。
「まぁ……そうしたいなと思ってんですけど、メンバーが集まらないからどうしよっかなぁって」
なんとなく言葉を濁してしまう。なんや急に弱気やなぁ、と先輩がバンバンと背中をたたく。周囲の卓も先ほどからのやり取りの盛り上がりようにこちらに注目しつつあったから、若井もこのやり取りは把握してるかもしれない。彼が今どんな表情をしているか、俺は顔をあげて確認することができなかった。
「藤澤、まだ学祭のサポ決めてないんやろ?可愛い後輩のために一肌脱いだら?」
「みっちー、勝手に話進めないの。大体僕3年生だし、今後のこと考えるながら長く続けれる子募ったほうがいいって」
藤澤さんがその先輩のことを「みっちー」と呼んだので思い出した。藤澤さんのバンドは4ピースだから、この人が残りの1人、ドラムのミチシタさんか。遅れてきたから自己紹介の時にいなかったんだよな。
「大森君もそう思うでしょ?」
藤澤さんに同意を求められて思わず返答に詰まってしまう。ここで頷けば、別のキーボーディストをできれば1年か2年の中から募ることになる。でも、俺は心のどこかで『この人のキーボードの音色が欲しい』と思ってしまっている。
その時だった。
「あのっ」
大きな声がしたほうを見ると、若井が立ち上がってこちらを見ていた。視線が集まったことで急に恥ずかしくなったのか、あ、お気になさらず、とかなんとかもごもご言いながらこちらへ近づいてくる。
「あの、全部は聞こえてなかったんですけど、藤澤さんがキーボードやってくれるかもって感じですか」
藤澤さんが戸惑ったようにこちらに視線をよこす。
「藤澤さんさえ大丈夫なら、俺はお願いしたいっす!元貴もそうだろ」
「えっ」
若井の思わぬ反応に、目を見開いて彼の顔を見る。彼は目を逸らすことなくしっかりと頷いて見せた。……まるですべてお見通しとでもいうかのように。それをみて、俺も迷いを捨て去る。
「藤澤さん」
改めて彼に向き直る。
「はい」
つられたように彼も緊張した面持ちで姿勢を正す。
「俺たちと一緒に学祭出てくれませんか。曲を聴いてもらってからでももちろんいいんですが……」
藤澤さんは優しい目をして俺と若井の両方の顔に視線を遣る。
「僕でよければ、もちろん」
若井が、ありがとうございます、と元気に礼を言う。俺もそれに続いた。
「まぁドラムとベース見つけなきゃそも出れないんすけどね」
えへっ、と若井がおちゃらけた風に笑ってみせる。
「みっちーは?まだ新規バンド組んでないでしょ」
藤澤さんがミチシタさんを仰ぎ見る。彼は申し訳なさそうに眉を下げながら、大きく胸の前でバッテンを作ってみせた。
「ごめんやけど、今年の学祭、夏インターン被ってん」
そうか、3年生ともなれば就活も忙しくなってくるに違いない。藤澤さんはいいのかな、と心配になったが、ミチシタさんの話を聞いても特に反応に変わりはない。教職志望と言っていたから、就活の状況などは一般と違うのかもしれない。
「そっか……もしよければだけど、僕の知り合いを紹介できるかも。今日はいないけどこのサークルに所属してて、君らの1個上なんだけど」
僕と若井は顔を見合わせてから勢いよく頷く。よし、希望が見えてきた!
そして、波に乗っているときというものは、本当に幸運が続くものである。
「話は聞かせてもらった!ベースがまだ埋まってないよな!」
突如、隣の卓から手をあげて乗り出してきた男。すらりと背が高くガタイもいいその男は、バンドマンというよりもスポーツマンといった風だ。
「俺ベースやってる高野って言います。いま誰ともバンド組んでないけど今年も学祭出たいなって思ってたとこだからどうかな」
今年も、ということは先輩らしい。すると藤澤さんが呆れたように
「高野さん、学祭出てる場合ですか」
藤澤さんが敬語ということは4年生?いや、だとしたらなぜこの会場にいるのだろうか。今日は新入生と新歓係の3年生しかいないはずだ。
「今年こそは必要単位を修得してみせる」
自信たっぷりに頷いてみせたあと、呆気に取られている俺と若井を見て高野さんは照れたように頭をかきながら
「うちの大学の留年制度が、3年生までは単位数に限らず進級できるのは知ってる?まぁつまり規定の単位数に足りてないと永遠に3年てわけで、俺はいま4回目の3年生をしてます……」
新歓係は楽しそうだから立候補してて、と話す。若井は開いた口が塞がらないというようにぽかんとしている。
「今年も、ってことは学祭ライブには何度か?」
「1回目の3年生まではもともと組んでたバンドで。去年と一昨年はサポだったけど出てるよ」
経験値としては十分問題なさそうだ。とりあえずデモを聴いてみたいと目を輝かせる彼にデータを渡す約束をし、連絡先を交換する。
平静を装ってはいたが、心臓は早鐘を打っていた。絶対に実現させる、と意気込んではいたが、心のどこかで難しいかもしれないと思っていたのも事実だ。それがいま、確実に実現へと一歩ずつ近づいている。
藤澤さんが「例のドラムの子、とりあえず話聞いてみたいから明日時間あるかって」とラインの画面を見せてくれる。俺は大きく頷いた。
※※※
学祭へ向けて着実に……
もっくんが涼ちゃんを改めてバンドに誘うシーン、ちょっと告白みたいだななんておもいながら書いていました(笑)
コメント
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青春😭 最高です!!
もしかして髙野とあやかちゃん出てくる・・⁉️凄い!楽しみ
2人で涼ちゃん誘うシーン私も好きです! 学園祭がどうなるのか楽しみです(˶' ᵕ ' ˶)