指定された喫茶店に出向くと、藤澤さんからあらかじめ見せてもらっていた写真の女はもう先に来ていた。
「すみません、お待たせしちゃって」
女は小さく笑みを浮かべた。綺麗に切りそろえられたボブカットが揺れる。
「いいえ~、私も今来たとこなので」
女の名前は山中綾華と言った。藤澤さんと同じ教育学部の2年で、1年の初めに組んだバンドが自然消滅してからは、特別に組んでいないが個人的に練習はしているらしい。
「音楽はもちろん好きだけど、ドラムを叩くのが好きなの」
ひとことで言えば不思議な印象の女だった。あまり表情が変わらないのも、その印象を抱かせる原因の一つかもしれない。とりあえず自分が作ったデモを聴いてほしい、といってイヤホンを渡す。聴いている間も女の表情は変わらない。目を瞑って、じっと聴いている。緊張で手に汗が滲むのをごまかそうと水の入ったコップを手に取った時、女の肩がリズムに乗っているのか、少し揺れているのに気付いた。
「うん、いいね。演りたいな、これ」
イヤホンを外した山中さんは、にこりと笑ってみせる。
「本当ですか!ありがとうございます」
緊張がほどけて身体の力が一気に抜ける感覚があった。思わず息を吐くと、山中さんはおかしそうに笑う。
「涼くんから話が来たときは正直めんどうかなぁって思ってたんだけどね、学祭まで時間ないし。でもこれ聴いちゃったら断るなんてもったいなくて」
涼くん、という呼び方に、おや、と不思議に思う。同期からは涼ちゃん、藤澤、後輩からは藤澤さんと呼ばれていることが多い中で珍しいな、と思ったのだ。
「そういえば、藤澤さんとは仲が良いんですか」
「え、あー、うーん。そうかも」
「呼び方珍しいなって。やっぱ同じ学部だと接点も多いとかですか?」
やばい、なんか藤澤さんのことを探るような聞き方になってしまった。山中さんは僕の顔をまじまじと見た後、なぜかひとつ大きく頷き
「私、涼くんの元カノなんだよね」
その言葉に俺は動揺してコップを落としそうになる。
「えっ、あっ、えっ?」
馬鹿か俺は。普通にそうなんですかとか返したらよかったのに、言葉を選び損ねたせいで動揺がそのまま口から出てしまう。なんとなく、藤澤さんに恋人がいたことを想像したことはあっても、こうやって実態を伴って現れるとやたらに生々しいというか。ぎゅう、と胃の奥のほうが掴まれたようになるというか。まぁでも藤澤さん優しいし人当たりもいいからな、元カノの一人や二人……。
「まぁ嘘なんだけどね」
「は?えっ?はぁ?」
山中さんは口元を隠してくすくすと笑う。
「バイト先が一緒なの、居酒屋ね。それで話す機会も多いから。……大森君ておもしろいね」
完全に遊ばれている。笑うたびに揺れるボブカットのインナーにちらと鮮やかな赤がのぞくことに俺は今気づいた。
「もっくんて呼ぶね、これからよろしく。私のことも綾華でいいよ、敬語もなくていい。バンド一緒にやるんだし」
完全に彼女のペースに吞まれた俺は、こくりと頷くしかなかった。
今後のスケジュールなどを確認して、また改めて全員との顔合わせと練習スケジュールを調整しようと話し山中さんと別れる。帰路につこうと歩き出すとスマホが震える。若井からだ。
「どうだった?」
開口一番聞いてくるあたり、相当気を揉んでいたらしい。俺は苦笑しながら
「OKもらえたよ。ちょっとまだ掴めないけどいい人そうだし、音楽が好きでそれに対する熱量は間違いなさそう。過去のライブも見せてもらったけど、すごく楽しそうに力強く演る人。イメージにもぴったりだ」
おぉ、と嬉しそうに若井は息をつく。
「よかった、元貴がそこまで言うのも珍しい。間違いなさそうだね、安心した~」
高野さんからもデモの感想が来ており、参加の意向を表明してくれたこと、逆に送ってもらった演奏の映像を見てもかなりの実力者であることからベースは彼に任せたいということも話す。
「すごい、トントン拍子に決まってく」
興奮が抑えられないといわんばかりの彼に
「若井のおかげだよ、ありがとう」
と伝える。本当は直接会って言うべきなのだろうが、今伝えておかなければいけない気がした。
「俺、藤澤さんに頼むの、若井が嫌がると思ってたんだ」
あぁ、と若井が電話の向こうで苦笑した。
「俺が拗ねてたせいだろ……それは俺子供っぽかったなって、逆にごめん。ほんとにさ、嬉しかったんだよ。元貴がまた音楽のほう向いてくれたのが。でも俺の知らないとこでどんどん別の誰かと——藤澤さんと進んでっちゃうような気がして……置いて行かれたような気がして寂しかっただけなんだ。ずっと一緒だったのに、俺じゃだめで、ほかの人ならいいのかよって不満に思う気持ちもあった」
でも、と若井は続ける。
「あのデモ、作った時にあれを演奏するって思い浮かべたのは俺のいる情景だったんだろ」
そうだ。自然とそこには若井がいた。デモに入ったたくさんの音の中で、ギターの音は俺の中で確かに彼のそれだったのだ。
「……俺の中で自然ともうギターはお前しかいなかった」
若井が嬉しそうに笑う。
「元貴、お前がお前の音楽に俺をセットにしてくれていた。その事実で俺のガキみたいなつまらない嫉妬はどうでもよくなったんだ。ありがとう、俺をお前の音楽の一部にしてくれて」
ちょっとだけ鼻の奥がつんとして、俺は慌てて空を見た。
「ありがとう」
やっとのことでそう返す。さぁ~忙しくなるし、単位だけは落とさないように頑張ろうぜ!と言って若井は電話を切った。
あぁ、どうしようか。いま、とてもわくわくしている。どうでもいいと思っていた、早く終わればいいと思っていた大学生活がこんなに胸を騒がすものになるなんて、ひと月前の俺に言っても絶対に信じないだろう。
※※※
第21話、昨晩公開したはずが、電波が悪かったのか更新できておらず……!
本日(2月24日分)は予定通り今晩更新予定です、よろしくお願いいたします。
高氏とあやちゃんも登場してきました。短編などではあまり登場させる機会もないので、これはこれで楽しんでいただけたら嬉しいです。
コメント
4件
ふはあ!!あやちゃんのからかい方可愛すぎませんか??それと、若井との関係も仲良くなったみたいでもう私にやけちゃう!!
私、今このお話のおかげで、フェーズ1時代の動画にハマりつつあります🥹💛 また今晩楽しみにしてます✨