テラーノベル
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朝から、喉の調子がおかしかった。
正確に言えば、朝からではない。
もう何日も前から、ずっと。
おんりーは洗面台の前で、鏡に映る自分をじっと見つめていた。
顔色は、悪くない。
目の下に少しだけ隈ができているけれど、いつもと大きく変わるわけでもない。
これなら、気づかれない。
そう思って、口元を拭った。
「……よし」
小さく呟いて、洗面所を出る。
机の引き出しには、誰にも見せられない秘密がしまってあった。
青い勿忘草。
一輪、二輪。
最初は数えるほどだったのに、今ではもう、いくつあるのか分からなくなっている。
捨てればいい。
そう思ったことは、何度もあった。
けれど、捨てられなかった。
自分の気持ちを形にしたような花を、簡単に捨てることなんてできなかった。
たとえ、それが自分を苦しめるものだとしても。
「……おらふくん」
名前を呼んだだけで、胸の奥が温かくなる。
そして、同時に喉が疼いた。
「っ……」
おんりーは慌てて口元を押さえた。
もう、名前を思い浮かべるだけでもだめなのか。
自分の身体なのに、自分の気持ちを制御できない。
「……ほんと、最悪」
誰にも聞こえない声で呟いた。
***
「おんりー! おはよー!」
通話を繋いだ途端、明るい声が響いた。
「おはよ、おらふくん」
「今日、何するー?」
「なんかやりたいゲームある?」
「んー、みんなでできるやつがええなあ!」
「じゃあ、あとで探そっか」
「やったー!」
おらふくんの声は、今日も明るかった。
いつもどおりで、何も変わらない。
そのことに安心する自分がいる。
変わらないでほしい。
今までどおり、笑っていてほしい。
自分の知らないところで悲しんだり、苦しんだりしてほしくない。
できることなら、その笑顔をずっと見ていたい。
――できることなら。
「おんりー?」
「……ん?」
「今、また黙ってたやろ!」
「いや、考えごと」
「またー?」
「またってなに」
「最近ほんま多いで!」
おらふくんが、少し拗ねたように言った。
「僕と話してるときくらい、ちゃんと集中してやー!」
「してるよ」
「ほんま?」
「ほんま」
「じゃあ、今僕が何考えてたか当ててみて!」
「……知らんよ」
「えー! なんでやねん!」
笑い声が重なる。
その瞬間、おんりーは思った。
この時間が、ずっと続けばいい。
何も変わらず。
何も知られず。
ただ、隣にいられたら。
それだけでいい。
……それだけで、よかったはずなのに。
「っ、げほ……!」
突然、喉の奥が強く疼いた。
「えっ、おんりー!?」
咳が止まらない。
おんりーはマイクをミュートにしようとした。
けれど、焦って指がうまく動かない。
「っ、げほ、げほ……!」
掌に、青い花びらが落ちた。
一枚。
それから、もう一枚。
「……っ」
なんとかミュートを押す。
画面の向こうで、おらふくんが何かを言っている。
聞こえない。
今は、それどころじゃなかった。
おんりーは口元を押さえたまま、机の引き出しを開けようとした。
花を隠さなければ。
見られたら、終わりだ。
何が終わるのか、自分でも分からなかった。
でも、知られるのだけは嫌だった。
好きだと知られることが。
この花が、誰を想って咲いたものなのか知られることが。
「……っ、は……」
ようやく咳が落ち着いた。
おんりーは花びらをティッシュに包み、引き出しの奥へ押し込んだ。
そのときだった。
「あれ? おんりー?」
ミュートが解除されていた。
「……っ!?」
「今、なんか音したけど……大丈夫?」
心臓が跳ねた。
「……大丈夫」
「ほんまに?」
「うん。ちょっとむせただけ」
「……そっか」
おらふくんは、すぐには何も言わなかった。
その沈黙が、妙に気になった。
「……なに?」
「いや……」
おらふくんの声が、少しだけ小さくなる。
「おんりー、最近ずっと咳してるから」
「……」
「ほんまに、無理してない?」
優しい声だった。
いつもの、何気ない気遣い。
それだけなのに。
「……してないよ」
おんりーは、笑って答えた。
「大丈夫だから」
その言葉を聞いて、おらふくんは小さく息を吐いた。
「……なら、ええけど」
それから、いつもの調子に戻って言った。
「でも、ほんまにしんどかったら言ってな!」
「うん」
「約束やで!」
「……うん。約束」
約束なんて、守れるか分からない。
けれど、今はそう答えるしかなかった。
***
その日の午後。
ゲームの収録が終わったあと、二人は通話を繋いだまま雑談をしていた。
「いやー、今日のあれ、めっちゃおもろかったな!」
「おらふくん、最後のところで落ちてたじゃん」
「え!? あれは事故やって!」
「いや、普通にミスでしょ」
「おんりーひどい!!」
おらふくんが笑う。
おんりーも笑った。
いつもどおりの、何気ない時間。
そのはずだった。
「……あ、そうや」
おらふくんが、ふと思い出したように言った。
「今度、遊びに行ってもええ?」
「……え?」
「いや、最近あんまり直接会えてへんやん? たまにはええかなーって!」
おんりーは、言葉を失った。
遊びに来る。
おらふくんが、自分の家に。
嬉しい。
ものすごく嬉しい。
でも。
「……いいけど」
「ほんま!? やったー!」
無邪気に喜ぶ声。
「じゃあ、いつがええ?」
「……いつでも」
「いつでもって、ほんまに? 急に行くで?」
「いや、それは連絡して」
「ははは! そらそうやな!」
おらふくんが笑う。
おんりーも笑った。
けれど、頭の中では別のことを考えていた。
引き出し。
花。
隠さなければ。
全部。
一輪も残さず。
「……おんりー?」
「ん?」
「なんか、また考えごと?」
「……いや」
おんりーは、少しだけ間を置いた。
「……部屋、片づけなきゃなって」
「えー! そんな散らかってんの?」
「……まあ、ちょっと」
「僕も手伝おか?」
「いや、いいよ!」
思わず、声が大きくなった。
通話の向こうが静かになる。
「……え?」
おんりーは、息を呑んだ。
「……あ、ごめん」
「いや、ええけど……」
おらふくんの声に、戸惑いが混じる。
「……なんか、見られたら困るもんでもあるん?」
「……っ」
心臓が、嫌な音を立てた。
「……ないよ」
すぐに答えた。
「……ただ、散らかってるから」
「……そっか」
おらふくんは、それ以上追及しなかった。
けれど。
その声は、いつもより少しだけ寂しそうだった。
「……じゃあ、片づけ終わったら呼んでな」
「……うん」
「楽しみにしてる!」
最後は、いつもの明るい声だった。
それが、余計に苦しかった。
***
数日後。
おんりーは、机の引き出しを開けていた。
中には、たくさんの青い花。
花びらが散らないように、ティッシュで丁寧に包んであるものもあれば、小さな箱にしまったものもある。
いつの間にか、こんなにも増えていた。
「……はあ」
息を吐く。
どうすればいいのだろう。
捨てる?
隠す?
それとも。
「……っ」
喉の奥が、また疼いた。
おんりーは口元を押さえた。
「……やめてよ」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
身体に?
花に?
それとも。
自分自身に?
「……もう、十分だろ……」
好きだという気持ちは、もう十分に分かっている。
毎日、毎日。
声を聞くたびに。
笑顔を見るたびに。
名前を呼ばれるたびに。
嫌というほど、思い知らされている。
なのに。
花は、止まらない。
「……っ、げほ……!」
青い勿忘草が、掌に落ちた。
今度は、二輪。
おんりーは、しばらくそれを見つめていた。
きれいだと思った。
悔しいくらいに。
こんなに苦しいのに。
こんなに隠したいのに。
それでも、花はきれいだった。
「……おらふくん」
小さく名前を呼ぶ。
「……好きだよ」
誰にも届かない言葉。
「……ほんとに、好き」
花びらが、指先に触れた。
「……だから、お願い」
声が震える。
「……気づかないで」
好きな人に、気づいてほしい。
好きな人に、知られたくない。
相反する気持ちが、胸の中でぐちゃぐちゃに絡まっていた。
「……お願いだから」
そのとき。
――ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
おんりーは、びくりと肩を揺らした。
まさか。
そんなはずは。
スマートフォンを確認する。
通知は、ひとつ。
『おんりー! 今、近くまで来てんねんけど、ちょっとだけ寄ってもええ?』
おらふくん。
「……え?」
思考が止まった。
どうして。
今日、来るなんて聞いていない。
いや、聞いていた。
いつか遊びに来たいと、そう言っていた。
でも、まさか今日だなんて。
――ピンポーン。
もう一度、チャイムが鳴る。
おんりーは慌てて引き出しを閉めた。
けれど、机の上には、まだ一輪。
青い勿忘草が残っていた。
「……っ、やば……!」
花を掴み、隠そうとする。
その瞬間。
「おーい、おんりー! おるー?」
玄関の向こうから、聞き慣れた声がした。
おんりーは花を握りしめたまま、動けなかった。
どうする。
どこに隠す。
どうやって説明する。
頭の中が、真っ白になる。
「おんりー?」
もう一度、声がする。
いつもの、優しい声。
「……入ってええ?」
おんりーは、花を見つめた。
青い花弁が、指の隙間から覗いている。
隠さなければ。
絶対に。
「……ちょ、待って!」
ようやく声を出した。
「……今、片づけてるから!」
「えー? やっぱり散らかってんの?」
「……うるさい!」
「ははは! ごめんごめん!」
笑い声。
その声を聞いた瞬間、喉の奥が疼いた。
「……っ」
おんりーは口元を押さえた。
お願いだから。
今だけは。
どうか。
「……おんりー?」
玄関の向こうで、おらふくんが不思議そうに呼んだ。
「……大丈夫?」
おんりーは、目を閉じた。
もう、限界だった。
隠し続けることも。
何もなかったように笑うことも。
この気持ちを、ひとりで抱えていることも。
全部。
「……っ、げほ……!」
咳とともに、青い花びらが床に落ちた。
一枚。
二枚。
そして。
ドアの向こうで、おらふくんの声が止まった。
「……おんりー?」
いつもと違う、静かな声。
「……今、なんか……」
おんりーは、息を止めた。
床に落ちた青い花。
開いたままの引き出し。
震える自分の手。
もう、間に合わないかもしれない。
「……おんりー」
おらふくんが、ゆっくりと言った。
「……ほんまに、大丈夫なん?」
おんりーは答えられなかった。
ただ、床に落ちた花を見つめていた。
青い勿忘草。
花言葉は。
――私を忘れないで。
「……っ」
唇を噛む。
好きだなんて、言えない。
この花が、自分の気持ちだなんて。
絶対に。
「……おんりー?」
おらふくんの声が、少しだけ震えた。
「……開けて?」
その一言に。
おんりーは、とうとう動けなくなった。
#おんりー
ドズル社好き
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ドズル社好き
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薙刀 瑜菜🍃💌⚓️
104,062
コメント
1件
うわあ、もう…読んでてこっちまで息が詰まりそうになったよ。おんりーが隠そうとすればするほど花が溢れて、しかも「開けて?」って言われた瞬間の絶望感、すごく伝わってきた。「好きな人に気づいてほしい」と「知られたくない」の板挟みで動けなくなる様子がリアルで、花の美しさと苦しさの対比も切ないなあ…このままどうなるんだろう、続きが気になる。