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森の奥深くに築かれた
大理石の玉座の間──
そこは、代々の女皇帝が
魔女たちの頂として在位する場であり
その空間すべてが
神聖なる〝光〟の加護によって守られていた
柱の一本一本には
太古より続く魔女たちの系譜と神々の祝祭が
織細な彫刻で刻まれている。
半透明の天蓋からは
宙に浮かぶ光の結晶がゆっくりと降り注ぎ
床に敷かれた白銀の絨毯には
命を司る精霊たちが刺繍として舞っていた。
その中心に座すのは、一人の娘。
アリア・ミッシェリーナ
光の神をその身に宿し
不死鳥の雛と共に育った少女。
今日、彼女は二十歳の誕生日を迎え
同時に、一族の長たる
〝戴冠〟の儀を受けることとなった。
各魔女一族の代表たちが
その席に列を成す。
その衣は艶やかでありながら
各々の一族の伝統を色濃く表し
纏う気配すら、空気を重く沈ませる。
そんな中、一人が静かに前に進み出る。
漆黒の礼装を纏った、植物の魔女の長が
深々と頭を垂れる。
「アリア様。
この度は二十歳のお誕生日
誠におめでとうございます」
声は凛とし
床に響く音さえ制されたように静かだった。
その言葉に続き
他の代表たちも順に
名乗りと祝辞を述べていく。
儀式は、慎ましくも
あまりにも格式ばっていた。
まるで一挙手一投足に意味が宿るかのように
皆が緊張し
言葉一つ発するごとに
空気が研ぎ澄まされていく。
だが──
その中心に座すアリアの紅の瞳は
どこか遠くを見ていた。
彼女の顔には微笑はなく
むしろ、見えない重荷に押し潰される寸前の
少女のそれに近かった。
玉座に背を預けたまま
アリアは心の内で溜め息をつく。
──退屈。
あまりにも、退屈すぎる。
彼女にとって
今日という日は祝福のはずだった。
けれど、その〝祝福〟は
あまりにも形式と儀礼に縛られすぎていて
心からのものとは、思えなかった。
その隣。
もうひとつの玉座に座す老女が
柔らかに微笑む。
女皇帝シルヴィア。
アリアの母であり、先代の不死鳥の宿主。
その顔には、もはやかつての威厳よりも
穏やかな慈愛だけが残っていた。
「アリア⋯⋯
そんな顔をするものでは、ありませんよ?
もう少し、にこやかに⋯⋯」
その声には、かつての不死鳥の威光はなく
ただ一人の母親としての
柔らかさが宿っていた。
その目尻には深い皺が刻まれ
かつて黄金に煌めいていた髪は
すっかり雪のように白く変わっていた。
血のように濃かった瞳も、今は盲目となり
その色は淡い霧を湛えるような
灰がかった薄紅に落ち着いている。
「お母様⋯⋯よくわかりますわね。
私がどんな顔をしているかなんて
もう見えないでしょう?」
アリアが小さく笑う。
その声音には、幼き頃の無邪気さも
すでにない。
「だって⋯⋯
誕生日って本来もっと楽しいものでしょう?
これは⋯⋯ただの儀式。
退屈で、息が詰まりそう」
その言葉に
シルヴィアはふふ、と小さく笑った。
「今日は
あなたの〝戴冠式〟でもあるのよ。
退屈かもしれないけれど⋯⋯
あと少し、皆の前では
〝女皇帝〟として
立派に振る舞ってちょうだい」
そして
ふと視線をアリアの方へ向けるように
頭を傾ける。
「その後は、母とふたりで⋯⋯
甘い菓子でも食べましょう?」
アリアはわずかに頬を緩めると
肩を竦めてみせた。
「⋯⋯もう、お母様ったら。
まだ私を子供扱いなさるのね?」
だが、そう言いながらも
その心のどこかでは
そうありたいと願う自分もいた。
この日の儀式を越えれば──
アリアは
正式に〝光の神を宿す女皇帝〟となる。
ミッシェリーナ一族の頂点に立ち
他の魔女一族を統べ
世界の均衡を保つ柱となる。
だが、その道の始まりは──
あまりにも静かで、孤独に満ちていた。
⸻
玉座の間の空気が
ひときわ張り詰めていた。
純白の石で築かれた高天井の広間には
魔女一族の代表たちが厳かに列席し
誰ひとり言葉を発さず
静謐な時を見守っていた。
天井からは金の鎖に吊られた水晶灯が垂れ
まるで星々が集ったかのように
煌めきを放っている。
絨毯は月白の糸で織られ
踏むたびに仄かな光が足もとを照らした。
その最奥
玉座の前に設けられた聖域には
二つの玉座が並ぶ。
一つには、老いた女皇帝──シルヴィアが
もはや視えぬ眼差しを細めながら
静かに座していた。
その隣
今まさに空けられた玉座へと
アリア・ミッシェリーナが進み出る。
二十歳の祝いと共に
その身に〝帝〟としての責務を受け継ぐ刻。
戴冠式。
それは
代々光の神を宿す一族にのみ許された
〝聖なる通過〟であった。
アリアの足音は静かで
まるでこの空間そのものの拍動に
溶け込むようだった。
深紅のドレスは
まるで光を内側から放つような艶を持ち
長い金の髪が後ろへ流れるたび
微かに揺れる翡翠の耳飾りが音を立てた。
玉座の前に辿り着いたその瞬間
アリアはゆっくりと視線を落とす。
そして──膝を、ついた。
その場にいたすべての者が
思わず息を呑む。
その瞬間
アリアの背より音もなく〝それ〟が現れた。
炎の翼。
不死鳥の象徴。
輝く光の翼が音もなく開き
背より広がる様は
あまりにも神々しく──
そして、あまりにも美しかった。
まるで世界がその姿を讃えるかのように
風もないのに焔の羽がそよぎ
空気が柔らかく震え、結晶灯が光を返した
老いた母は、そっと立ち上がる。
白金の長衣が床を擦り
杖も伴わずにゆるやかに歩む姿は
老いを纏いながらも
帝としての威厳を失っていなかった。
手には、一族に代々伝わる〝戴冠の冠〟
それは装飾過多のものではない。
繊細な白金の輪に、ただ一つ
深紅の宝石が埋め込まれているだけ。
だが
その一石こそが、不死鳥の血の結晶。
不死鳥を宿したミッシェリーナの始祖が
流した涙の宝石と受け継がれるもの。
シルヴィアは
その冠を持ち、アリアの前に立つ。
見えていないはずの目で
それでも確かに娘の位置を捉え
老いた声で、静かに告げた。
「アリア・ミッシェリーナ。
貴女は今より
我がミッシェリーナの長となり──
光の神を宿す者として魔女の頂に立ちます」
その声に、会場にいた全員が膝をつく。
誰ひとり、頭を上げる者はなかった。
「この冠は、神と民の誓いの証。
そして、我が血より継がれしもの⋯⋯
どうか、導きとならんことを」
震えを隠さぬまま、母は冠を掲げた。
その白く細い手に、陽光が重なり
宝石が深紅に煌めいた。
そして──
そのまま、アリアの額へと
ゆっくりと、静かに置かれた。
その瞬間
不死鳥の両翼が風もなくゆっくりと広がる。
焔が舞い、光が走る。
けれどそれは、燃え盛る炎ではない。
静かに、静かに
ただ世界を包むような温もりだった。
そして、老いた女皇帝は
言葉を失い、ただ娘の頭をそっと撫でた。
その目に、涙はなかった。
けれど、彼女の口元には
確かな満足と祝福の笑みが宿っていた。
こうして──
アリア・ミッシェリーナは
正式にその名を戴き
光の神を宿す
魔女たちの新たなる〝女皇帝〟として
その歩みを始めたのである。