それから数日が過ぎた夜
シャーロットが私の部屋を訪れた。
その手には、一枚の書面がある。
それは、私たちが最初に結んだ「身売りの契約書」だった。
「エルサ。お前の家の負債はすべて完済した。お前の母の療養先も、一生涯の保証を約束した」
心臓が跳ねた。
契約が終わる。
それは、私がこの屋敷を去る日が来たことを意味する。
「えっ、もう、ですか?」
「あぁ」
驚く私に、シャーロットは契約書を私の方へ滑らせた。
「……そうです、か。えっと、ありがとうございます、今まで───」
私は震える手でそれを眺めながら答えた。
(そうなる、とは思ってた)
何故なら彼は「完済したら出ていけ」って最初に言っていた。
───なのに。
次の瞬間、シャーロット様が目の前で、その契約書を無造作に真っ二つに引き裂いた。
「……え?」
「契約は終了だ。だが、お前を帰すとは言っていない」
「えっ?!」
彼は驚く私を追い詰めるように一歩踏み出し、私の首元にある、あのサファイアのチョーカーに指をかけた。
「これは『所有物』の印だった。だが、これからは違う」
彼は懐から、小さなベルベットの箱を取り出した。
中には、チョーカーのサファイアと同じ、深い青色をした大粒のダイヤモンドの指輪が輝いている。
「エルサ。俺は、お前という『道具』を買ったつもりだった。だが、お前の減らず口も、俺に噛み付く気の強さも、涙も……すべてが俺の心を狂わせた。……責任を取ってもらう」
彼は私の前に跪いた。
あの傲慢な彼が、生まれて初めて誰かに頭を垂れるように。
「俺の、本当の妻にならないか」
突然の求婚に、世界の音が止まった。
「俺はお前を愛している。死ぬまで手放すつもりはない」
熱烈でありながら強制的なプロポーズは、まさに「シャーロットらしい」と言えた。
驚きのあまり何も言えない私を見て
彼は少し自信なさげに付け加える。
「……お前が本気で嫌だと言うなら…断ることも出来る」
最後の一言には明らかな躊躇が滲んでいた。
その不器用さに気づいた瞬間
胸の奥から湧き上がってきたのは恐怖や呆れではなく
温かい感情だった。
まるで縋るような眼差しに
私はゆっくりと深呼吸した。
「……分かった。なってあげてもいいよ」
頬を染めながら小さく頷くと
シャーロットは安堵の表情で椅子を引いて私を座らせた。
「ただし」
「……ただし?」
「私の幸せは母を幸せにすることなの。だから、私の家族も大事にしてほしい」
シャーロットは目を丸くした後、心の底からの幸せそうな表情で微笑んだ。
「……そういうことなら任せておけ。お前のためなら地位と金を使うことも厭わない。だが……その代わりお前は一生俺だけを見ていろ」
◆◇◆◇
数年後────
私は王都の社交界の花として活躍していた。
『氷の公爵様が首ったけになっている妻』
それが私の称号になるとは、過去の私が聞いても信じないだろう。
隣に座るシャーロットの腕にはしっかりと私の手が絡んでいる。
「ねぇシャーロット、あとどれくらいで屋敷に着くの?」
「知ってる。だが、もう少しだけ我慢しろ」
「もう少しってどれくらい?」
「……少しは少しだろ」
「早く帰って寝たいのに~…」
「寝る?その前にすることがあるだろ」
「すること……?」
「俺の妻になった自覚がまだ足りないみたいだな」
彼は不敵に笑ったかと思えば、腰を引き寄せられて強く抱きしめられ、そのまま馬車の中でキスをされてしまう。
「んっ……ちょ、ちょっとこんなところで……っ」
「誰も見てない。それに、夫婦のスキンシップに誰かの許可が必要なのか?」
「そういう問題じゃなくて……」
「エルサ」
「な、なによ?」
「お前のその可愛い顔を見るのは、俺だけで十分だ」
そう言って彼は私の髪にキスを落とす。
もう、私の存在は彼にとっては『所有物』ではなくなっている。
愛しい伴侶として、溺愛されている毎日だった。






