[涼架のトラウマ]
涼架side
若井との同居生活は、僕にとって全てが初めての経験だった。
テレビ、掃除機、そして…キッチンコンロの火
ある日の夕方、若井が夕食の準備を始めた。
僕は、リビングのソファーに座っていたが、若井がコンロのつまみをひねると、一瞬で青い炎が燃え上がった。
ボッ、という火が点く音。
涼架は、まるで雷にでも打たれたかのように、ビクッと体を震わせた。
視線は火に釘付けになった。
若井は、鍋を火にかけるのに夢中で涼架の異変には気づいていない。
僕の心の中に、猫だった頃の記憶が蘇った。
それは、まだ若井と出会う前のこと。
大雨の日に、工事現場の資材置き場に隠れていた僕は、誰かが捨てていったタバコの火が資材に燃え移るのを見た。
小さい火が、あっという間に大きな炎となり、僕の隠れ家を包み込んだ。
全身を焼き尽くすような熱と焦げ付く匂い。
僕は、必死に逃げ出した。
その時の恐怖が、今も鮮明に焼き付いていた。
目の前で、音もなく揺らめく炎。
それは、若井が調理をするための何の変哲もない火だった。
それでも、涼架の体は震えが止まらない。
背中の毛が逆立つような感覚、心臓が激しく脈打つ音、そして…呼吸が苦しくなる。
涼架は、気づかれないようにゆっくりと立ち上がり、リビングの隅に後ずさりした。
テーブルや椅子の影に隠れるようにして、コンロから最も遠い場所まで移動する。
「おーい、涼架。ちょっとこれ、味見してくれるか?」
俺は、鍋を持ったまま振り返った。
涼架の姿に見えないことに気づき、首を傾げる
「涼架?どこにいるんだ?」
若井がリビングにやってきた。
涼架は、息をひそめて壁に背中を押し付ける。
若井は、涼架がテーブルの影に隠れているのを見つけると、少し驚いたような顔をした。
「どうしたんだよ。そんなところで。 もしかして、なんかあった?」
涼架は、怖くて声が出ない。
ただ、無言で若井の顔を見つめることしかできなかった。
若井は涼架の様子を見て、何かを察したようだった。
そして、涼架の視線がキッチンの火に向いていることに気づいた。
若井は鍋を置き、涼架の隣にそっとしゃがみ込む。
「火、怖いのか?」
若井の優しい声に、僕は小さく頷いた。
「大丈夫だよ。俺が、そばにいるから」
若井はそう言うと、僕の背中を優しく撫でてくれた。
その手は、まるで猫の毛並みを撫でるかのように、ゆっくりとそして温かかった。
涼架は、若井の優しい手が自分を包み込んでくれるのを感じた。
心臓の音はまだ速いが、少しずつ恐怖が遠のいていく。
それは、涼架が猫として体験したトラウマを人間として、若井の優しさによって乗り越えようとしている瞬間だった。
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[若井の推測]
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コメント
1件
若井優しいなぁ…!(泣)