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崩れる自我。溶けてゆく自分。助けを求め、手を伸ばしても、そこから全て無くなってゆく。

____そういう夢を、最近よく見るのは、きっと。

わたしに残された時間が、そう多くないから。

だったら、わたしは____何を成せるのだろう。

この狂ったように歪に存在している世界で。



季節は移ろい、日は短くなって気温も低くなってきた。しかしそれは人や動植物にのみ感じられるものであり、混血児や物の怪にとっては大した差異ではない。赤く染まった楓達は、風に吹かれ、その枝に持つ葉を揺らす。その拍子に何枚かの葉が地上に落下した。

____秋だ。 そう実感できる事が、雪にとって何よりの不思議だった。温かい感情はほとんどその姿を見せなくなっているのに、こういう時だけ、微かに心が揺れるのだ。

「…………雪」

名告待の少年に呼ばれて、振り返る。もうそろそろ彼に名を告げなければいけないという事は分かっていた。

氷は無言で彼が着ていた羽織を雪に渡す。雪は首を傾げながらそれを見た。

「寒くて風邪を引いては、支障が出るだろう」

「あぁ……うん、ありがとう」

少しだけ雪がはにかむと、氷は安堵の表情を見せた。

____変なの。

そう雪は思ったが、言葉には出さなかった。氷が何を心配しているのか彼女には分かっていたからだ。

……そう悔やむ事ではない。名告主は従来の生物より早く死んでしまう定めにあるのだ。だから何も悲しむ必要はない。

そう雪が感じるのはただの傲慢だと、他の誰でもない雪は知っていた。

雪は暗くなった気持ちを誤魔化すように、遠くに見える化け狐の群れに手を振る。今日名を告げたものたちだ。全員に望む名を与えられなかったが、彼らは感謝していた。怒ればいいのに、嘆けばいいのに、彼らはそうしなかった。

彼らは始終雪の体調を心配していた。化け狐は最も人との交尾が多い物の怪だから、混血児である雪の事は気にかかるのだろう。

化け狐達は何本かあるもふもふの尻尾を揺らして手を振った雪に答えた。

____沢山の心配を貰ったのに、返せない自分が情けない。

けれど、せめて氷には返さなければ。ここまで連れて来てしまった詫びと礼を名で伝えなければ。

……それからいなくなろう。ここから、この世界から。

「__ねぇ氷、あなた名告げてほしい『名』はないの?」

「特には」

「じゃあ明日名告げるわ」

軽く告げられたその言葉に、氷は目を見張った。言葉の意味を咀嚼するように、氷は雪に問う。

「明日?」

「ええ。早い方がいいでしょう?」

雪と氷の二人の旅路は、そろそろ終わりを迎えようとしていた。



昔、あるところに目が青い人間と珍しい鳥の物の怪がいた。仲間であるはずの同種族から迫害されていた彼らは、互いに惹かれ合うところがあったのだろう。恋仲になり、そして結ばれた。そんな異種婚姻譚の果てに生まれたのが、雪だ。

待望の娘の誕生に喜んだ彼らはこのまま一生、幸せなまま暮らすものだと信じて疑わなかった。大切なものが壊されるなど、もうないと思っていた。


____それは、突然の出来事だった。

母である物の怪が、人に退治された。


この時代、物の怪退治は珍しいものではなかった。物の怪は総じて悪と、人は思っていた。

当時の雪はまだ幼かった事もあり、母が死んだと言われてもまるで理解できなかった。だが、父である人がその青い目に涙を溜め、声を押し殺して泣いていたのを見て、なんとなく、《死》は悲しいものなのだと理解した。

それから数ヶ月後、今度は父が倒れた。人の手によるものではなく、流行病によってだった。彼は自らが死した後も雪が生きられるよう、いくつかの約束事を彼女とした。


『__優しさを持ってはいけないよ。それは身を滅ぼしてしまうから、絶対に持ってはいけないよ』


そう最初に言ったのは、病床に伏せた父だった。雪は、優しさの意味が解らなかった。

数刻後、雪が果物を持って来た時、彼はもう二度と目を開けなくなっていた。


誰が悪いわけでもない。そう分かっていた雪は、誰も憎めなかった。こころの内に渦巻く感情を外には出せなかった。

父も母もいなくなり、どれ程の時が経ったのか分からない。家にあった食料は底をつき、庭にいる虫を食べる日々が続いていた、ある日の事。雪は虫の持つ毒に中った。

自分を助けるものは誰もいない。雪は絶望するでもなく、ただ純粋にこのまま冷たくなれば、父と母の元へとたどり着くのかと、そればかりを疑問に思っていた。


『…………半人半妖の子か。こんなところで何をしている』


何かの糸に導かれ、雪は当時の名告主に見出された。次代の担い手として育てられる事になった。寿命が短くなろうが、どうでもよかった。どうせ生き物がいつか死ぬのは自然の摂理だと、それが遅くなろうと早くなろうと、大した差はないのだと思っていた。

名告主は雪の母を殺した人間と同種の匂いがしたが、それも雪にとってはどうでもいい事だった。

ただ、どうして選ばれたのが自分だったのか気になってしょうがなかった。


『どうして……どうしてだろうな。おれには、よく分からないよ』


そう言って困ったように名告主は雪の頭を撫でた。雪は笑う事なくそれを受け止める。


『ただ……いつかいなくなる「俺」にだって、何かできたんだって……実感したかったのかもしれないな』

『……何ですか、それ』

『うん。「おれ」もそう思うよ』


きっと今の雪の人格形成に大きく関わったのは、父や母よりもそばにいた名告主だ。彼は雪をただの子供として、時に優しく時に厳しく育て上げた。

雪は自らの心の動きに、感情と呼ばれる類の名を告げることができるようになっていた。


『____雪。今からおれの首を、斬ってくれ』

『…………は、い』


師である名告主は、自らが醜く果ててしまう前に、命を終わらそうと雪に長刀を手渡した。雪は、それが最善であると分かっているのに、どうしてか淋しくてたまらなかった。

腹に小刀を刺した師の首を斬ろうと刀を振り上げた時、そのまま刀を放り投げてしまいたかった。腹に刺さった小刀を、抜きたくてたまらなかった。

__そうして刀は振り落とされた。溢れる鮮血。彼の目からは光が失われていく瞬間。

雪は恐怖と淋しさと怖さと、罪悪感とほんの少しの安堵にもみくちゃにされた。


『おまえは、優しさを持てば身を滅ぼすから、できるだけそれを持たないように』


そう幾度も口にした師は。


『できるだけ長く生きて、おれに土産話を沢山聞かせてくれ』


優しさのせいで自害した。


__どこで止めればよかったのだろう。どこで、泣けばよかったのだろう。

解らない事だらけで、まだ教えてもらっていない事がこんなにもあったのだと自覚した。

名告主は世界の機関の一つだ。そのため、死した後はその亡骸すら残らない。師としたたった一つの約束ですら、守れなかった。

雪はそれでも泣けなかった。身体中の水分は足りているはずなのに、ほんの一滴もでないそれに、苛立ちすら覚えた。

そうして雪は名告主となり__ある一つの決心をした。


『物の怪の子が、簡単にくたばらないで。わたしが助けてあげるから、《死》なんて名前捨てなさい』


雪が名告主として慣れ始めた頃、ひとりの死にかけの物の怪を見つけた。無視して先を急ぐこともできたが、どうしてかその場を離れがたかった。

死にかけの物の怪に、その少年を取り巻く白い雪に、覚えがあった。

____これは、あの日の自分だ。

そう思うと、何故だか腹立たしくなった。さっさと立ち上がって生きろと。……いつまでもへばってないで生きろと、何のための命だと、『尊い』ものだと思っているのか問い正したくなったのだ。

だから声をかけた。《死》という運命を《生》という名を告げる事により書き換えた。


『全部あなたのせいなら、そんなあなたの願いを誰かが叶えるわけないじゃない』


そう告げたのは、彼自身にでもあり、自分自身にでもあった。



____泣きたい、と思ったことはない。生きたい、と願ったこともない。

ただ何も出てこない、何も成せない自分が何者にもなれない自分が、雪は____。



空には満天の星が散りばめられ、二つあると伝えられている月は、いつまで経っても一つのまま、欠けたままだ。

焚き火を囲み、握り飯を食べる雪と氷の間には沈黙が居座っていた。それ自体はよくある事なのだが、いかんせん今日のものは質が違っていた。

お互いに言いたいことがあるはずなのに、言い出せない。そういった種類の沈黙。

居心地の悪さを誤魔化すように、氷は黙々と食べ進める。

……元々、そういうつもりだったではないか。

名を告げられるまでそばにいて、その後は関わらないつもりだったではないか。

これから先、氷には長い生がある。それを躊躇うような、疎ってしまうような感情は不要だ。……そう思って、できるだけ雪には関わらないようにと思っていたのに、今離れてしまう方が、余計な未練を生む気がするのは何故だろう。

答えなんて分かりきっている。それだけ雪と共に過ごした時間が長いからだ。

氷は己の手を見つめる。

どうすれば、名を告げられた後も雪と、共に。

同じ、時間を____。


「____氷」


雪の声で、氷はハッと我に帰った。雪は少し間の抜けた顔をしている氷を見て、くすくすと笑う。

「……なんだ」

「もう、寝ようと思って。火はそのままでいいから」

「いや……ぼくももう寝るから、消す」

「そう?」

氷は煌々と燃え盛る火に土をかける。明かりが消えた。途端に辺りを暗闇が支配する。近くにいるはずなのに、雪がとても遠い存在に感じられた。

「…………雪」

「なに、氷」

「おやすみ」

「うん。…………おやすみ」

このまま明日が来なければいい。明日が来ても、今日のフリをしよう。いつもの自分でいよう。そうしなければ、きっと何かが溢れてしまうから。

そんな風に考えるのは、氷も、そして雪も同じだった。



翌日。朝早くに目覚めた氷は雪の姿が見えない事に驚いた。まさか別れの挨拶もなしに、勝手に名を告げて行ったのかと焦り、自らの性質が何も変わっていない事にほっとする。

数十秒歩いた所に、雪はいた。雪は空虚な青い瞳の中に朝日を映らせている。氷に気がついたのか、微笑み手を振った。

「もう少し寝てても良かったのに」

「散々今までこの時間に起こしてきた奴が、何を言う」

「ふふっ、それもそうね」

ころころと笑う彼女は、氷と出会った頃から何も変わらないように見えた。何も減っていないように見えた。

雪は朝日を背に、氷に告げる。

「じゃあ、今から名を告げるわね。何か希望はある?」

名告主が名を告げる相手に聞く定型文。それに氷は嘘で答えた。

「特に」

「じゃあ、わたしが選んだ名を告げる。名をあげる。……こんなの氷だけにしか、しないけど」

最後の一言は風に流され、誰にも聞こえなかった。

雪は今までの他の誰よりも、気持ちを込めて、情を込めて、『名』を『告げ』る。

__その、つもりだった。


「今から『名告主』が代替わりするまで、あなたの『名』は」

「____『名』は、要らない」

「…………え?」

ただの少女の最後の『名告げ』

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