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取引先との飲み会で、先方からお酒を勧められた。
「お酒飲めないんです……すみません」
「ちょっとだけでも飲めない?」
「ちょっとでも飲んだら吐きます。胃の中の物全部出てきます」
そう言ってお断りすると、じゃあ仕方ないね。と取引先の人は引き下がってくれた。
本当は飲める。しかもどれだけ飲んでも酔わない。大学時代は“鉄人藤原”なんてあだ名まで付けられた。
だけど仕事では飲まない。厄介だから飲めないフリ。
職場の人達も僕はお酒が飲めないと思っている。
そんな僕とは対照的に先輩は、取引先の人達から次々に注がれるお酒を「ありがとうございます」と言って全部飲み干していた。
結構飲んでいるけど、先輩もお酒強いんだろうか?
飲み会がお開きになり、僕は先輩と共にバス乗り場のベンチに座って、呼びつけたタクシーが来るのを待っていた。
夜風が涼しくて気持ちいい。
先輩はどうやら飲みすぎたみたい。酔っている。
僕の肩に身を預けている先輩をちらりと見やった。
少しは気分良くなったかな?
先輩は取引先の人達を笑顔で見送っていたけれど、終わるや否や「ちょっとごめん」と言ってトイレに駆け込んだ。
「――先輩、大丈夫ですか?」
ゲロを吐く先輩の背中をさすりながら声をかけた。
ずっと気持ち悪いの我慢してたのかな?
「ごめんね藤原君……」
「大丈夫です。酔っ払いの介抱慣れてるんで」
なんせ酔わないもんで。酔った人のお世話はいつも僕に回って来ていた。
「飲めないなら、断ればいいのに」
「……先方に勧められたら断れないよ。飲みニケーションってやつ。これで商談が上手くいったり、取引先との関係が良好になったりするんだ」
飲み会を軽く見ちゃダメだよ。と先輩に窘められた。
「藤原君にかっこ悪い所見せちゃったな……幻滅した?」
「いいえ」
「ホントに?」
「……僕は好きですよ」
「え、好き……?」
「かっこ悪い所。先輩にも完璧じゃない部分があるんだなって親近感がわきます」
「親近感か……」
「はい」
ふふっ、と先輩は小さく笑った。
長谷先輩は何でもそつなくこなして、いつも隙が無い。そんな完璧な先輩が酔っ払って僕を頼っている。
何だか嬉しい。
「タクシーが来たら起こしてくれる?」
「分かりました」
先輩はまだ調子が悪いのか、目を閉じて眠りについた。
告白の返事の期限は明日。僕は先輩の事が恋愛として好き?分からない。
だけど、先輩と付き合ったら僕はきっと恋をしてしまうんだろう。先輩は素敵な人だから。
僕は恋愛を知らない。だから恋愛が怖い。
あげく優柔不断で自分で何も決められない。
恋愛経験値があったらきっと迷わないんだろうな……
僕は寝姿すら様になる先輩の顔を眺めた。
もし先輩が今日言った事を覚えていたら付き合う。覚えていなければお断りする。
告白の返事を先輩にゆだねた。
「……いいですよ。僕はあなたの恋人になります」
僕の肩を支えにスヤスヤと眠る先輩のおでこにキスを落とした。
唇から伝う先輩の温もりが僕の中にゆっくりと広がった。
◆
「藤原君」
「はい」
「今日で約束の1週間だよ。返事聞かせて?」
長谷先輩は爽やかな笑顔で僕に返事を催促してきた。
「返事なら昨日しましたよ。帰りのタクシー待ってる時に」
「昨日……」
先輩は顎に手を当て考え込んだ。たぶん昨日の記憶を辿っている。
「……ごめん、覚えてないからもう一回言って?」
覚えてないんだ……寝てたもんね。
ホッとしたような、残念なような、何だか複雑な気持ちになった。
覚えていなければお断り。昨日そう決めた。
「先輩は僕にとって尊敬する上司です。付き合うとかは考えられないです。ごめんなさい」
ぺこりと先輩に頭を下げて僕はその場を去った
――つもりが、先輩に腰を抱え込まれて引き留められた。
「――っ、せんぱ」
「おかしいな……昨日は恋人になるって言ってくれたのに」
藤原君、俺に嘘つくの?と先輩が耳元で低く囁いた。
その声に身体がゾワッと身震いした。
「寝ぼけて、夢でも見てたんじゃないですか?」
「おでこにキスもしてくれたのに。今日になって急に気が変わった?」
「それも、夢、ですよ……」
耳元で先輩に囁かれる度に背筋に痺れが走った。
「ねぇ、俺と付き合うのが怖くなった?……大丈夫だよ。優しくするよ?」
先輩の腕から逃れようと身体をジタバタさせて抵抗してみたけれど、160㎝の僕より20㎝も背の高い先輩相手じゃ体格差がありすぎてびくともしない。
「先輩っ、離して……っ」
「耳、弱いんだ?かわいいね」
ちゅっ、と耳にキスの音が響いた。
「ひ……っ」
イヤイヤとかぶりを振ると、先輩が耳元でふふっと笑う声がした。
「ごめんね。藤原君が嘘つくからちょっといじわるした。俺、昨日は目を瞑ってただけで寝てないんだ」
もう一回言って欲しくて覚えていないフリをした。と先輩は再度謝った。
――先輩は昨日の事を覚えていた。
僕はどんどん顔が熱くなってくるのを感じた。覚えていたら付き合う。これも昨日決めた。
「ちゃんと返事、聞かせて」
僕は緊張と恥ずかしさで震える声を振り絞って言った。
「……よろしくお願いします」
こうして僕は長谷先輩の恋人になった。