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どこまで落ちても、底はありませんでした。
アリス(地球)は真っ逆さまに宇宙の闇を転がり落ちながら、ただひたすらに涙を流し続けていました。
「ううっ、月さん……どこですか……。私、自分の軌道を見失ってしまいました……っ」
ぽろぽろと零れ落ちる涙は、彼女のドレス(地表)をさらに濡らし、お気に入りの島々をまたいくつも沈めていきます。泣けば泣くほどドレスが重くなり、さらに深くへと沈んでいく悪循環。
どれほどの時間が経ったでしょうか。凍えそうだった周囲の空気が、ふっと生暖かい、妙に甘ったるい香りに包まれたのは。
気がつくと、アリスは見たこともないほど美しく輝く、一面の黄金色の分厚い雲の中に漂っていました。
「あらあら、可愛いお嬢さん。そんなにメソメソ泣いていたら、せっかくの愛らしいお顔が台無しよ?」
霧の向こうから優雅に現れたのは、太陽系一エレガントなドレスをまとった絶世の美女――金星(公爵夫人)でした。彼女は聖母のような慈愛に満ちた笑みを浮かべ、シルクのハンカチでアリスの涙をそっと拭います。
「まぁ……! あ、ありがとうございます、お姉様。私、誰の許可もなく軌道を外れてしまって……ううっ、本当に申し訳ありません……」
「いいのよ、アリスちゃん。すべて話さなくても分かっているわ。あなたは何も悪くないもの」
誰にでも敬語で、自分を責めてばかりいる純粋なアリスを見て、金星はフフッと妖しく喉を鳴らしました。
「それなら、私の特製のお部屋(テリトリー)へおいでなさい。私の雲の中はね、とってもあったかくて、あなたのその冷たい涙なんて一瞬で乾いてしまうわ。さあ、手を繋ぎましょう?」
「あったかいお部屋……ですか? まぁ、なんてお優しくて素敵なお姉様……。では、お言葉に甘えて……」
疑うことを知らないピュアなアリスは、差し出された金星の美しい手を嬉しそうに握り返し、黄金の雲の奥、重い扉の向こうへと一歩を踏み出そうとしました。
――チリ、チリチリ。
「……ひゃっ!?」
突然、アリスの青いドレスの裾から、嫌な煙が立ち上りました。見れば、お気に入りの大陸の端が、見る影もなくドロドロに焼け焦げています。
「あ、あの、金星さん……? なんだか、凄く、すごく熱いです……っ。お肌がピリピリして、息が苦しくて……っ」
「フフ、当然よ。私の部屋はね、温室効果がちょっぴり効きすぎていて……摂氏四百六十度もあるのかしら。おまけにこの可愛い雲はね、あなたのドレスも骨も、綺麗に溶かしてしまう硫酸の霧でできているの」
金星の目が妖しく見開き、慈愛の仮面が剥がれ落ちます。そこにいたのは、極上のドSな笑みを浮かべた、冷酷な誘惑者でした。
「いいのよアリスちゃん、もっと熱くなりましょう? その不愉快な涙ごと、私と同じ地獄の温度で焼き尽くされて頂戴な――!」
「ひゃああっ、ごめんなさい、ごめんなさい……っ! 熱いです、助けてくださ――」
逃げようとするアリスの腕を、金星の細い指が万力のような力で掴んで離しません。アリスが恐怖に目を閉じた、その瞬間でした。
「――そこまでだ、この灼熱クソアマ!!」
空間を切り裂くような怒鳴り声と共に、赤い砂嵐をまとった一筋の影が突撃してきました。
カキィィン!! と硬質な金属音が響き、金星の硫酸の雲が強引に切り裂かれます。
「チッ、相変わらず空気の読めない錆びウサギね……」
金星は忌々しそうに舌打ちをすると、掴んでいたアリスの腕を離し、優雅に身を翻して黄金の霧の奥へと消えていきました。
「ひゃあああ、怖かったですぅぅぅ! 溶けちゃうところでしたぁぁぁ!!」
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涼翔./Suzuka
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「うるせえ! いつまで泣いてんだ地球! だからお前は軟弱なんだよ!」
間一髪でアリスの腕を引っ張り出したのは、赤い軍服を着た少年――隣の軌道の火星(三月ウサギ)でした。彼は錆びついた鉄の剣をガシャリと鞘に収めると、アリスに向かって盛大にキレ散らかします。
「ううっ……助けてくださって、ありがとうございます……っ(ポロポロ)」
「だから泣くなって言ってんだろ! 手が滑る! チッ、メソメソしやがって……昔の俺を見てるみたいでヘドが出るんだよ!」
火星は顔を真っ赤にしながら、軍の手ぬぐい(ハンカチ)をアリスの頭にバサッと乱暴に被せました。口の悪さとは裏腹に、その手つきは驚くほど丁寧です。
「あの、火星さん……とても怒っていらっしゃるのに、どうして私を助けてくださったのですか……?」
「か、勘違いするな! 女王様のフレア(断頭台)以外で天体が消えるのはルール違反だからだ! ほら、さっさと歩け! ここにいたらまたあの硫酸女に焼き殺されるぞ!」
火星はプイッと顔を背けたまま、アリスの手首を、今度は熱くも痛くもない優しい力で掴みました。
不器用な少年に手を引かれ、アリスはさらに外側の軌道――太陽系最大の惑星がどっしりと構える、次なる混沌へと進んでいくのでした。
(第2話・完)