「カウンター内にいる僕の方が冷蔵庫に近いから」
春凪がお茶の用意をするとなるとカウンターを回り込んでこなくてはいけない。
非効率的だよ?と言外に含ませたら、春凪はそれでも何もしないで待つことを申し訳なさそうにするんだ。
僕が好きな、春凪のそう言う真面目で思いやりのあるところが、今はちょっとだけ恨めしい。
弱ってる時くらいもっと僕に甘えてくれて構わないのに。
氷を浮かべた冷たい麦茶入りのグラスを二つ手にして春凪のそばへ行くと、各々のグラタン皿の横にそれらを置いて、僕は春凪の隣に腰掛けた。
「食べようか」
僕が座るのを律儀に待ってくれていた春凪が、コクッと頷いて「いただきます」をする。
その所作の美しさを横目で見ながら、僕は彼女のことが好きで好きで堪らない、と改めて実感した。
「美味しい……」
とつぶやいた春凪をうっとりと見つめながら、
「――ほたるさん、喜んでた?」
ふと思い出したように聞いたら、春凪が口の中のものをコクッと飲み込んでからパァッと表情を明るくした。
「すっごくすっごく幸せそうでした!」
自分が酷い目に遭ったことを吹き飛ばしてしまうくらい、友達の幸せは春凪の特効薬になったみたいで。
愛しい彼女の心からの笑顔に、僕はつられて笑顔になってしまう。
もちろん僕だって、明智の幸せ報告を喜んでなかったわけではないけれど、春凪ほど我が事のように喜べていたか?と聞かれたらきっと否だ。
つくづく春凪は、僕に足りないものを持った子だな……と思って。
自分には春凪が必要不可欠な存在だと思い知る。
「それは良かった。――今度ほたるさんや明智も交えて四人で集まれたらいいね」
言いながら、僕はカウンターに置いてある卓上カレンダーを見た。
「時に春凪。今日は友引なんだ」
「――え?」
友人の恋が実った話から急に、六曜の話題に移行したからかな?
春凪がキョトンとした顔をした。
「明智とほたるさんの幸せ報告が聞けた記念すべき日でもあるし、僕らもずっと保留にしていた婚姻届を一緒に出しに行って、二人に良い知らせをしませんか?」
春凪的には〝大安〟が一番望ましいのかも知れないけれど、明智たちがいい感じになったことに託けるには、今日の〝友引〟はこの上なく最適に思えたのだ。
まぁ、次の大安までの数日間が待てなかったと言えばそれまでなんだけどね。
春凪と気持ちが通じるまでは出したくないと思って……。そのくせ春凪を手放すのが怖くて彼女には「出した」と嘘を付いていた婚姻届。
その嘘のせいで、僕は危うく春凪を失うところだった。
以前ハッタリで一人で勝手に出しに行ったと話したとき、一緒に行きたかったと責めてきた春凪を思い出して、本当は出してなんていないと言えないままに「大丈夫です」と言った日を思い出す。
あの時春凪は、僕の言葉をどう言う意味だと捉えたんだろう。
「……宗親さん……でも、私……」
きっと婚約指輪を奪われたままなのを気に病んでいる春凪を、僕はそっと抱き寄せた。
「婚約指輪は僕がちゃんと取り戻せるよう手配するから大丈夫。でも……少しだけ時間がかかるかも知れないんだ。その間、キミに僕のモノだって印がないのは正直不安でね。だから――」
そこで春凪を抱きしめる腕を少し緩めると、僕は彼女の目を真正面からじっと見つめて。
「これからは婚約指輪の代わりに結婚指輪を付けていてくれない?」
エンゲージリングと一緒に購入しておいた、あれより遥かにシンプルなデザインのマリッジリング。
出す機会を計れなくてずっと持ち歩いていたそれを彼女の前に置きながら言ったら、春凪が瞳を見開いた。
失ってしまった婚約指輪は、石が大き過ぎて何かするたびに春凪が指から抜いていたのを僕は知っている。
でも表向きゴテゴテと飾り立てるように石のついていないこのリングなら、その心配もないだろう。
敢えて裏側に一石だけ嵌め込み式で入れたブルーダイヤも、内側だから石が傷ついたり外れたりする心配もしなくていいはずだ。
内側には石だけじゃなく「M to H」の刻印とともに、〝BAE〟と彫り込んである。
これは「Before anyone else」の頭文字で、「誰よりも大切な人」と言う意味なんだけど、とどのつまり僕の自己満足だし、春凪には通じなくてもいいと思っている。
「僕も、今日から同じのを付けるから。――ね?」
リングケースの中に二つ。
寄り添うように並んだプラチナ製の結婚指輪を見て、春凪が泣きそうな顔をするから。
僕はそんな春凪のことを壊れそうなくらい目一杯抱きしめたいと思った。
そんなことをしたら春凪が痛いだろうから出来やしないんだけど。
でも――。
だからこそ、揃いのリングで彼女と繋がっていたいと痛切に思うんだ。
僕の方には、石はおろかメッセージだって入ってやしない。
だけど、ぱっと見はどう足掻いたってお揃いのリングだと一目瞭然だからそれでいい。
「宗親さんと……お揃い? あの、私とそう言う関係だってバレても……その……平、気……なんです、か?」
「もちろんだよ。寧ろ、この可愛い人は僕の奥さんなんです!って……誰彼構わず言いふらしたいくらい」
言って、照れまくる春凪に軽く啄むみたいな口付けを落とすと、僕は彼女を真正面から見詰めた。
「だからね、――柴田春凪さん。僕と……今すぐ入籍してください」
「い、今すぐって。……むっ、宗親さんは……いつもいつも急過ぎますっ」
僕の強引なプロポーズに、春凪が困った様な顔でそう言うから。
僕は眉根を寄せて「ダメ?」と畳み掛けた。
そんな僕に、春凪はとことん甘いんだ。
「……ダメ……じゃ、ない、です。ホントは……すっごくすっごく嬉しい、です」
そう言ってはにかみながら了承してくれたのを確認して、僕は春凪をギュッと抱きしめた。
前田康平。
僕の大事な妻を傷付けたんだ。
もちろん覚悟は出来ていますよね?
必ずきっちり落とし前をつけてもらいますから、そのつもりでいてください。
春凪を腕の中に閉じ込めたまま、僕はこれからの算段を練った。
コメント
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宗親さん、しっかり成敗してください。