「春凪。長いことお待たせしましたね」
そう言って宗親さんが、こうちゃんに奪われたはずの婚約指輪を私の前に差し出してくれたのは、入籍から一ヶ月半後のことだった。
「あの……こう……あの人は」
こうちゃん、と言いそうになって何となくそんな愛称でいつまでもあんな酷い元カレのことを呼ぶのが憚られた私は、敢えて〝あの人〟と言い直して。
「捕まりました。キミに怪我をさせていますし、指輪も奪っている。転売目的で質屋に来た所を捕まりましたので、情状酌量の余地はありません。強盗致傷罪で実刑は免れないと思います」
底冷えするほど冷徹な声音で淡々と告げられた宗親さんの声音に、私はゾクリと肩を震わせる。
*
宗親さんに付き添われて、警察へ被害届を出しに行ったのは、康平に酷いことをされた二日後――入籍日の翌日のことだった。
法律上でも私の夫となったことで、宗親さんは動きやすくなったのかな。
元カレにされたことを思い出すだけで身体が震えて言葉に詰まってしまう私を、宗親さんはずっとそばで支えていて下さった。
宗親さんがいなかったらきっと、私は何も出来ずに泣き寝入りをしていたと思う。
それでも日が経つにつれて、私が被害届を出したことで自分に縁のあった相手が犯罪者になってしまうかも知れないと思うと何だか落ち着かなくて。
あちら側の弁護士を通じて、宗親さんが手配して下さったこちら側の弁護士に被害弁償や示談交渉の申し出があったとき、私は少なからず心が動いてしまったのだけど。
宗親さんはほたるから、康平が長いこと私を付け狙っていたことを聞かれたみたいで、しっかりと罪を償わせた方が彼のためだと仰った。
康平と付き合っていたころ、私は彼にとことん甘かったと思う。
私をふったのは彼のはずなのに、Misoka付近で襲われたあの日、全部私が悪かったみたいな口振りで話してきた康平の言動を思い出した私は、宗親さんやほたるの言葉に、甘い気持ちを懸命に心から追い出した。
きっと康平は、私が彼のことを気にかけても、ちっとも意に介さない。
そう言うところのある人だから、もし今回私が訴えを取り下げたりしたら、逆に「春凪が虚偽の申し立てをして自分をハメた、と逆恨みし兼ねない」とも宗親さんに言われて。
途端、それが容易に想像出来てしまった私は、宗親さんの言に納得するとともに、この件に関する外部からの連絡事項の一切合切を宗親さんへ一任することにしたのだ。
彼と付き合いのあった私よりも、宗親さんの方が前田康平という人間をよく掴めている気がして、私の好きな人――まだ夫というのには多大なる照れがっ!――は本当にすごいなと思ってしまった。
そんなこんなで何か動きがあった場合、警察や弁護士などからの連絡は全て宗親さんの携帯電話へ入るようにしてもらって、基本私はノータッチ。
入ってきた情報のなかで、宗親さんが必要ありと判断したもののみ、今回みたいに私に伝えて下さる感じで。
さすがにまだあの日のことを思い出すと心臓がバクバクしてしまう私には、宗親さんのそう言う諸々の申し出と配慮が本当に有難かった。
***
「せっかく取り戻して頂いたのに……これをする機会って……きっと、もう数えるくらいしかないですよね」
大きなダイヤが輝く婚約指輪を眺めながら、ホゥっと溜め息をつく。
はめるたび、指が腫れてしまいそうに思えた大ぶりのダイヤの両サイドに、小さなダイヤが三つずつ配された煌びやかなデザインのエンゲージリング。
付けることを宗親さんに強要(?)されていた時には「目立ちすぎてしんどい」と思っていた指輪だったけれど、いざ以前みたいには付けていられないのかな?と思ったら、ワガママだけどちょっぴり寂しくなった。
婚約指輪は、その名の通り婚約している人がつける指輪だと思う。
結婚したら旦那とペアになった結婚指輪を付けるのが普通だ。
婚約指輪も、ものによっては結婚指輪との重ね付けが出来るらしいけれど、私が宗親さんに頂いたこれはそれを許してくれるような控えめなデザインではなかったから。
今後この指輪を付けられる機会があるとしたら、例えば華やかな晴れの席――友人知人の結婚式や、二人の記念日など――以外にはないんじゃないかな?と思って。
(でも――)
この指輪を見ると、康平とのことを思い出してゾクリとしてしまうのも否めない。
果たしておめでたい席に、あんなことがあった指輪をして行くのは適切だろうか?と思ったら、ソワソワと心が騒ついて。
(ほたるが明智さんと結婚するってなっても、私、この指輪を付けて参列するのはきっと無理だ)
半ば無意識。
大切な親友のおめでたい日に、怖い思い出を連れて行くのはイヤだ、って思ってしまっていることに気が付いて、私はハッとした。
婚約期間だって、色々あってあやふやだった私たちだ。
元々そう呼べる期間自体がそんなに長かったわけじゃないのに、その貴重な時間を不本意とは言え、私のせいで削ってしまったこと。また指輪には罪なんてないのに、今後もそれを付けることを躊躇ってしまう自分に、少なからず罪悪感を感じてしまう。
そんな私に、宗親さんがニコッと笑って、「春凪ならきっと、そう言うだろうなと思って……勝手なんですが珠洲谷さんに頼んでコレを用意してもらいました」って言うの。
珠洲谷さんといえば、婚約指輪を買うときお世話になったジュエリーショップのオーナーさんだ。
そんなことを考えながら宗親さんに差し出された数枚の紙片を手に取った私は、瞳を見開いた。
コメント
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おお〜新しい指輪のデザインかな? どんなのかなぁ🎵