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いつも通り出勤し、フロアの掃除から始める。近くに住んでいるせいもあって、いつも伸が一番乗りだ。
テーマパーク内のレストランは、ウィークデーの午前中は、ほとんど開店休業状態なので、それほど早く仕事を始める必要もないのだが、いつしか習慣になってしまった。
フロアにモップをかけ終わった頃、中本や、ウェイトレスの女の子たちが出勤して来る。伸が早いのは、いつものことなので、今では気にする者もいない。
昼は、それなりに客もいるが、休日ほどではない。今日も、いつも通りの客の入りで、いつも通りの仕事をこなした。
閉園三十分前には営業を終了するので、早い時間に帰れるのが、この職場の数少ない利点のひとつだ。
今日も、あとわずかで営業が終わる。そんな時間のことだ。
シンクで食器を洗っていると、フロアから戻って来た、ウェイトレスの沙也加が言った。
「主任に、お客様ですよ」
「え?」
「フロアのテーブルにいらっしゃいます。お二人連れで、西原さんって方です」
伸は、ぎくりとする。西原とは、まさか……。タオルで手を拭いて、手櫛で髪を直してから、急ぎ足でフロアに向かう。
思った通り、テーブル席に、こんな場所には不似合いな、ゴージャスな雰囲気の中年女性と、制服姿の西原有希が、飲み物を前にして座っていた。
そばまで行って、伸は頭を下げる。
「安藤です」
女性も立ち上がりながら、艶然と微笑む。
「西原です。この度は、息子が大変お世話になりまして」
「いえ……」
伸の気持ちを知ってか知らずか、彼は、にこにこしながらこちらを見ている。
彼は、座り直している母親を見ながら、無邪気に言った。
「僕のママだよ。美人でしょう」
母親は、否定するでもなく、ふふっと笑う。
「伸くんだよ。僕の恋人」
「ちょっ……!」
伸は、あわてて周りを見た。幸い、フロアには、ほかに客もなく、従業員も奥に入っているが、誰かに聞かれては気まずい。
「有希、駄目じゃない。安藤さんのお立場を考えなさい」
さすがに、ナイトクラブを三店も経営しているという母親は、余裕のある態度だ。彼は言った。
「ごめん。でも、僕の大切な人なんだ。だから、どうしてもママに会ってほしくて、無理を言って、出勤前に連れて来ちゃった」
後半は、伸に向かって言った。
「あぁ、うん……」
こんなとき、どんな顔をすればいいのかわからない。彼の母は、どう思っているのだろう。
気まずい沈黙を破るように、彼が言った。
「やっぱり僕には、まだアルバイトは無理みたい。なんだか怖くて」
「しょうがないわねぇ」
母親は、優しい目で彼を見ている。
「でも、ここに来たことは無駄じゃなかったよ。伸くんに出会えたから」
それから、同じタイミングで、母子そろって伸の顔を見る。
「あ……いや……」
母親が、再び立ち上がって頭を下げた。
「この子のこと、よろしくお願いします」
「え……えっ?」
どういうことだ? これはつまり、二人の仲を認めてくれたということなのだろうか。だが、そんなことがあるものだろうか。
あたふたしている伸に向かって、彼が、顔の横でピースサインを作って見せた。
帰り際、いったん店を出てすぐ、彼だけが小走りに戻って来て、伸の耳元で囁いた。
「後で部屋に行ってもいい?」
「いいけど……」
「じゃあ、後でね」
にっこり笑うと、伸が言葉を返す間もなく、母親のもとへ駆けて行った。
呆然としたまま奥に入って行くと、早くも私服に着替えた中本が言った。
「あの子って、昨日、面接に来た子ですよね。なんなんですか? 一緒にいたの、母親ですか? なんか、すげー派手な人でしたね」
「あぁ、やっぱりアルバイトは無理だとか、そんなことを」
「わざわざ、それを言いに来たんですか。意外と律義っていうか、めんどくさいっていうか」
伸は、上の空で答える。
「あぁ、そうだな……」
彼が来ると言っていたので、帰りにスーパーに寄って、いつもは買わない菓子やソフトドリンク、フルーツなどを買って帰った。部屋着に着替えて、洗濯物を片付けたり、お茶の用意をしたりしていると、玄関のチャイムが鳴った。
ドアを開けると、制服のままの彼が立っていて、少し照れくさそうに笑ってから入って来た。つい、今夜も泊まるつもりなのかと思い、そのことに、ときめいている自分が恥ずかしくなる。
「……上がって」
彼は、手に持っていた箱を掲げて見せた。
「ケーキ買って来たよ」
「そんな、気を遣わなくていいのに」
彼が微笑む。
「僕が食べたかったんだよ」
それから、ケーキの箱をテーブルに置くと、伸に抱きついて来た。
「おい……」
「伸くん、会いたかったよ」
「さっき会ったばかりじゃないか」
彼が、伸の顔を見上げて言った。
「だって、さっきはママが一緒だったから」
脳裏に、妖艶な彼の母親の姿が浮かぶ。
「さっきはびっくりしたよ。まさか、いきなりお母さんを連れて来るとは思わなかった」
「ごめん。怒った?」
「怒りはしないけど……」
確実に寿命が縮まった気がした。