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第12話(最終話):この世界で“なりたい”あなたへ
ブックスペースの“作成棚”と呼ばれる仮設エリアは、普段は静かだ。
そこに人が集まるのは、プレイヤーが“自作キャラ”として初めてログに入るときだけ。
その日、葵ユウは深夜2時にそこへアクセスした。
スキャンデータは使わず、性別も年齢も固定せず、外見だけをひとつずつ丁寧に組み上げていった。
アバターは、淡い灰色のシャツとやや色褪せたカーゴパンツ。
左右で少しだけ長さの違う髪、輪郭は柔らかく中性的。
足元は素足に近い黒のスリップオン。目の色は薄い琥珀色。名前のない“誰でもない誰か”を表現するような外見だった。
ユウは、そのキャラに名を与えた。トオリ。
ブックスペース初の自作キャラとしてログに入り、演者と観賞者の両方がその姿を見守る“公開生成回”がスタートした。
【新規ログ:第000話『輪郭のないまま』】
舞台はまだ生成途中の街。壁が不完全に立ち上がり、道路も断片的。
視点の曖昧な空間に、トオリがひとり、ゆっくりと歩き出す。
彼(または彼女)は、どこにも属さない。
恋愛棚でもない。ミステリー棚でもない。
ただ、静かに誰かと出会いたいという構造だけがログ内に埋め込まれていた。
トオリは言葉を探しながら、通りかかった無名のAIキャラに話しかける。
その声は、既存キャラに比べてわずかに“重なり”がなく、構成の余白が多かった。
ログシステムが、それを“即興演技”として認識し、物語を自動補完し始める。
会話は少しぎこちない。だが、演者の意思がそのまま反映されていた。
SNSは、静かに爆発していた。
《#自作キャラ生放送》《#トオリ初登場》《#ブックスペースの境界を越えた瞬間》
実況では、外見の中性的な美しさ、言葉の曖昧さ、空気感に惹かれた投稿が連なった。
感情タグにすら収まらない反応が多く、「これは誰の物語?」という問いが何度も繰り返されていた。
ログ終了後、学芸員ツキサはこう記録していた。
【2025.06.11 03:04】
新規キャラ:トオリ
演者創出・初期評価:可変型人格未分類
ジャンル不定。分類ラベル“空欄適応型”として記録。
演者自身の設定ファイルを併存保存。審査未定。
補足にこう書かれていた。
“何も決められていないことで、あらゆる物語の入口になり得る”
ユウは、そのログを再生しないまま、端末を閉じた。
誰に褒められたわけでもなく、タグを伸ばすこともせず、ただ静かにログアウトした。
それでも、ブックスペースの片隅には、新しい小さな棚が設置された。
プレートには、こう書かれていた。
「トオリ|あなたの物語の入り口として、自由にお使いください」