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だんだんと肌寒さが増してきた、ある秋の日。
ルシンダは魔術の授業で、屋外の魔術訓練場に来ていた。
今日の授業は土属性の中級魔術「形成」──土を操って意図した形を作る魔法の練習だ。
土属性の魔術が得意なレイの指導の下、クラスメートたちは基本形の壁や円柱を作る練習に励んでいる。
ルシンダは昔レイと一緒に魔術の練習をしていたときに、土属性の魔術を使うコツを教えてもらっていたので「形成」の魔術は得意なほうだ。
他の生徒たちは壁を出せても強度が足りなくて、すぐにボロボロと崩れてしまう者が多いようだが、コツが分かっていれば壁程度のシンプルな形状なら簡単に作れる。
ポイントは、少し多めと思えるくらいの土を使うこと。それを圧縮するイメージで魔術を使うと強度の高い壁が出来るのだ。
ルシンダは壁や円柱の形成はもうマスターしているので、今日は少し複雑な形に挑戦することにした。
もっと難しい形を作ることができればレイを驚かせられるかもしれない。
小さい頃、土魔術の習得に苦労していたのだが、レイからアドバイスをもらって初めて土を操るのに成功した。そのときにレイが「よくやったな」と言って見せてくれた誇らしそうな笑顔が、ずっと記憶に残っている。またあの笑顔が見てみたい。
「よし、頑張ろう!」
ぎゅっと拳を握って気合いを入れ直したルシンダだったが、すぐ隣でもう五回目となる土壁が崩れる音が聞こえ、思わずそちらに目をやってしまった。
隣で練習しているのはアーロンだ。珍しく集中できていないらしく、先ほどから形成魔術の維持に失敗ばかりしている。
レイは他の生徒たちの練習を見ていて、アーロンの不調には気づいていないようだ。
ルシンダはつい気になって声をかけてみた。
「大丈夫ですか? もしかして具合でも悪いとか……?」
「いえ、つい考えごとをしてしまって……」
「そうでしたか。魔術は精神が大きく影響するって言いますもんね。何か悩みごとですか?」
ルシンダが何気なく問うと、アーロンは目を逸らし、少し躊躇う様子を見せた後でおもむろに口を開いた。
「……自由に空を飛ぶ鳥を眺めるのが好きだったはずなのに、私の知らない場所へ飛んでいってしまうのは嫌だと思ってしまうのは、矛盾していると思いますよね?」
アーロンが話し始めたのは、鳥についての話だった。
王宮で野生の鳥でも飼いたいのだろうか。こんなに悩むくらいだから、きっと希少で立派な鳥に違いない。
ルシンダはなんとなく派手な色をしたオウムを思い浮かべながら言葉を返した。
「ええと、矛盾してると言えなくもないですけど……鳥を眺めてるうちに、その鳥のことが気に入っちゃったんですよね?」
「……え?」
アーロンが驚いた様子で顔を上げる。
「あれ、違いました?」
「……いえ、その通りです……」
「どんな鳥かは分からないですけど、どうしても側に置きたいなら、頑張って飼い慣らすしかないですね……。一生懸命にお世話して可愛がれば、そのうちアーロンにも懐いてくれるかもしれません。あとは、その鳥が過ごしやすいおうちを作ってあげたら、どこかに飛んでいってしまっても、また帰ってきてくれるんじゃないでしょうか」
少しでも参考になればと、そんなことを言ってみると、アーロンはハッとしたように目を見開いた。
「まあ、正直に言うと、野生の鳥はそっとしておいてあげるのが一番だとは思いますが」
最後に大切なことを付け加えてみたが、アーロンは黙りこくったまま何か考えに没頭しているらしく、耳に入っていないようだった。
「あの、アーロン? 参考になりましたか……?」
ルシンダがアーロンの顔を覗き込んで尋ねると、アーロンはどこかスッキリしたような表情で微笑んだ。
「ルシンダがそう言うのなら、諦めなくてもよさそうですね。希望が見えてきました」
それからまたお互いに魔術の練習に戻ったが、アーロンはすっかり調子を取り戻したらしく、両手をかざして形成の魔術を発動すれば、地面からは完璧な土の壁が現れた。
◇◇◇
アーロン・ラス・ハイランドは、王宮にある自室のバルコニーで夜空を見上げていた。
秋の澄んだ空気のおかげで、星の一つ一つがくっきりと鮮明に見える。
いつか、彼女ともこうしてバルコニーで一緒に星を眺められたら。
アーロンは、緩く波打つ亜麻色の髪と翠色の瞳を持つ少女のことを思い浮かべた。
5年前に初めて会ったとき、彼女は自分の希望になった。
古い慣習や周囲の圧力にとらわれず、自らの力で羽ばたこうとする姿に憧れた。
自分にはそんなことは無理だと思っていたから、彼女を応援することで、自分も自由を味わっているような、そんな気分になれた。
彼女と出会ったあの茶会から、学園に入学するまで再会することはなかったけれど、彼女のことはいつも気にかかっていた。
あの日語った夢を諦めてはいないだろうか。翼は折れていないだろうかと。
だから、トレバー先生からひたむきに頑張る彼女の話を聞いては嬉しく思った。
そして学園で再会した彼女は、強くて思いやりがあって真っ直ぐで、でも弱くて放っておけないところもある素敵な女性になっていた。
彼女の言葉に勇気をもらい、ずっと心にこびりついて消えなかった劣等感さえ跡形もなくなってしまった。
なぜか彼女の前では完璧な王子ではなく、一人の人間でいられる気がした。
でも、彼女に希望を見て、彼女の活躍を誰よりも楽しみにしていたはずなのに、いざ彼女が離れていくことを想像したら、手放したくないと思ってしまった。
ずっと自分のそばにいて、こちらだけを見てほしいと願ってしまった。
そして気がついた。
この想いは、もう憧れではなく、恋情へと変化してしまったことに。
この気持ちには蓋をするべきだ。
自分は王宮に縛られてしまう立場で、彼女は自由な鳥なのだから。
そんな風に自分に言い聞かせる。
でも、どうしたって諦められそうにないし、以前のように自分を卑下して殻に閉じこもる男ではいたくない。
彼女を手に入れるためなら何だってしよう。
もちろん無理強いはしない。けれど、自分の地位を利用してでも彼女を振り向かせたいと思う。
彼女が伴侶となってくれるのなら、どこへ向かって飛んでいこうとも構わない。
帰る場所は自分の元なのだから。
ずっと自分には荷が重いと思っていたが、彼女のためならば将来立派な国王となって、彼女が安全に冒険へと出かけられる国を作ってみせよう。
夜空を見上げる碧眼に映る星々が、清らかに瞬く。
「だからどうか、いつかルシンダがこの想いを受け入れてくれますように」
生まれて初めて絶対に叶えたい願い事を、アーロンは満天の星々に祈った。