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🌸(陽視点)
メイクが終わると、陽は鏡の中の自分を見て固まった。
「……誰だ、これ」
「春川くんだよ! めっちゃ可愛い!」
演劇部の女子たちは大盛り上がりだ。
陽は苦笑いを浮かべるしかない。
ひよりは少し離れた場所で、
陽の姿を見てそっと目を伏せた。
(……似合ってる。けど、大丈夫かな)
そんな心配を胸にしまい込みながら、
ひよりは衣装の裾を整えるふりをして距離を保った。
やがて本番が始まり、
陽はライトの中へ押し出される。
眩しさに目が慣れないまま、
歩いて、笑って、
気づけば出番は終わっていた。
幕が閉じた瞬間、陽は大きく息を吐く。
「お疲れ! 春川くん、ほんと可愛かった!」
「写真撮ればよかった〜!」
「ねえ、うちの部入らない? 女役いけるよ!」
まただ。
また“押し”が始まる。
「いや、その……今日だけって……」
「えー、もったいないって!」
「絶対向いてるよ!」
陽は曖昧に笑う。
断りたいのに、強く言えない。
そのときだった。
「……私は、反対……かな」
静かな声が、輪の外から落ちてきた。
ひよりだった。
強くもない。
きつくもない。
ただ、柔らかくて、でも芯のある声。
「春川くん、困ってるよ」
その一言で、空気がふっと止まる。
「え、そう? 春川くん、困ってる?」
「……まあ、ちょっと……」
陽が苦笑いすると、
ひよりはほんの少しだけ目を細めた。
「……嫌なら、断っていいと思うよ」
その言葉は、陽の胸にすっと入ってきた。
「あ、うん。やっぱり……入部は遠慮しとくよ」
「そっかー、残念! でも今日はありがとう!」
演劇部の輪が解けていく。
陽はほっと息を吐いた。
「……助かった。小鳥遊さん、だよね?」
声をかけると、ひよりは一瞬だけ肩を揺らした。
「……うん。気にしなくていいよ」
それだけ言って、ひよりは少し距離を取る。
(……なんでだろう)
陽はひよりの横顔を見ながら思った。
(名前を呼ばれたとき……なんか、懐かしい感じがした)
でも、その記憶にはまだ手が届かない。
🌙(ひより視点)
陽が「助かった」と笑った瞬間、
ひよりの胸はぎゅっと締めつけられた。
(……変わってない)
困ったときの笑い方も、
断れなくて曖昧になるところも。
(気づかないよね。私のこと)
陽の視線は、ひよりを素通りする。
それが少しだけ痛い。
(でも……助けたかったから)
好きだった気持ちは、
時間が経っても消えていなかった。