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時也は
胸に手を添えるようにして静かに一礼した。
「女性に対して⋯⋯
貴女がお心で仰る通り、確かにこの異能は
〝羞恥の暴力〟も同然でしょう⋯⋯
申し訳ありません」
その声は、まるで春先の風のように穏やかで
けれど冷たさも残していた。
一言一句が丁寧で、礼を尽くしていながら──
その誠実さが、逆に彼女の胸を締め付けた。
そして──
〝⋯⋯⋯⋯⋯⋯!?〟
その瞬間だった。
彼女の心の奔流が、ぴたりと止んだ。
一切の雑念も激情も、絶叫も賛美も──
全て、沈黙へと還る。
まるで
深海の底のように静まり返ったその内面に
時也はわずかに目を見張る。
(心の声が⋯⋯凪いだ?)
いや、それは〝抑えた〟のだ。
先ほどまで
表情と心が乖離していた彼女が──
今は、見事なまでに〝一致〟している。
穏やかに、そして礼儀正しく。
まるで熟練の貴族令嬢のような
立ち居振る舞いだった。
──器用な人だ。
彼女のような存在が
最も〝心を読まれたくない〟と感じた時
これほど見事に
内面の全てを沈黙させるとは──。
思わず、時也は鳶色の瞳を細めた。
「器用な方ですね⋯⋯
ご協力、ありがとうございます」
その言葉に、彼女はほのかに微笑み──
ふと、気まずそうに目を伏せた。
「もしかして⋯⋯先ほどもですが⋯⋯
お食事会の時に、倒れられるほど
櫻塚様のお加減が悪そうだったのは⋯⋯
私の心の叫びのせい⋯⋯だったり⋯⋯?」
恐る恐るといった声音に
時也は柔らかく笑った。
だがその笑みは
どこか困ったようでもあり──
「あ⋯⋯はは⋯⋯」
と、曖昧に笑うしかなかった。
その隙を縫って
すぐ隣の壁際に立っていたアラインが
腕を組みながら口を挟む。
「そ。
キミの心の叫びでの
ダメージを軽減するためだけに
この男はね──
数億もする貴重な宝石を御守りに
馬鹿なことに耳にぶっ刺して
持ち歩いてきたくらいなんだよ?」
さらりと
しかし明確に金額が告げられたその瞬間。
「御守り⋯⋯すう、おく?」
彼女の声音が
ぱきんと何かが弾けるように変わる。
目が一気に大きく見開かれ
両手は身体の前で小さく震え始める。
「もも、申し訳ございません
櫻塚様あああああああああああああああああああっっっっっっ!!!!!!!!!!!!」
彼女は叫びながら
アラインの腕の中から飛び退いた。
まるで弾かれたように距離を取り
瞬間──
膝を折る勢いで地面に頭を下げた。
地面に触れるほどの深い礼は
もはや謝罪というより〝土下座〟に近かった
彼女の顔は紅潮し
黒と深紫の髪が揺れて床に広がっていた。
その姿に
時也は両手を振りながら慌てる。
「あ、あの⋯⋯顔を上げてください!
どうか⋯⋯!
もう、僕は大丈夫ですから!」
「土下座する事ないよ。
だって、まさか⋯⋯
心が読める人間がいるなんて
普通は思わないしね?」
アラインの肩が力なく落ち
思わず時也と顔を見合わせる。
──その視線の中にあったのは
呆れと、ほんの少しの温かさだった。
不意に──
ふわりと
春風のように柔らかく
けれど迷いのない腕が彼女の背を包んだ。
それは、アリアだった。
無言のまま
気高きその金糸の髪を揺らしながら
彼女はそっとメイドの小柄な身体を
抱きしめる。
メイドは、瞬間──
思考を停止した。
「⋯⋯あ、あり⋯⋯アリア様⋯⋯っ!?」
声は裏返り、視線は宙を彷徨い
身体はまるで糸の切れた操り人形のように
ぐらりと揺れた。
だがアリアの抱擁は
彼女をしっかりとこの現実に縫いとめていた
その背中越し
アリアの唇はぴくりとも動かさぬまま──
時也が、優しく言葉を継ぐ。
「⋯⋯彼女の心の言葉を
代弁させていただきますね。
〝今世は無事に産まれてきてくれて
ありがとう〟と、仰っております」
「え⋯⋯どういう⋯⋯ことでしょうか?」
混乱と戸惑いの入り混じった声に
時也は静かに頷く。
「先程、貴女はアラインさんに対して
強く信仰の気持ちを持たれた⋯⋯
その瞬間、貴女の内に宿る異能が
アラインさんに〝加護〟を齎しました。
そして、それは偶然にも⋯⋯
彼が今一番望んでいた〝アリアさんの涙〟を
誘発させたのです。」
「私の⋯⋯加護⋯⋯?」
「彼女の涙は、千年に数粒しか存在しない
とても貴重な〝奇跡の宝石〟となるのです」
と、そこへ。
「──それを両耳にぶら下げてるバカが
ここにいるけどねぇ?」
脇からアラインが、揶揄うような声を挟む。
時也はやや呆れたように小さく肩を竦めた。
「⋯⋯まだ言いますか、アラインさん⋯⋯」
その穏やかな返しに
アリアは腕の中のメイドの背を
なぞるように撫でる。
「とにかく⋯⋯
貴女は〝信仰心が奇跡を呼ぶ〟という
異能を持つ、魔女の転生者⋯⋯なのです」
その言葉に、メイドは硬直した。
「信仰⋯⋯?異能⋯⋯?魔女⋯⋯?
わ、わたくしは⋯⋯ただ⋯⋯
〝推し活〟が、好きなだけでして⋯⋯」
その言葉を耳にし
時也の顔に戸惑いの影が浮かぶ。
「⋯⋯おし、かつ⋯⋯??
レシピを教えていただければ
後でお作りしますよ?」
聞き慣れない単語に
眉を寄せる時也を横目に──
アラインは、堪えきれずに吹き出した。
「あっはっは!
時也!カツはカツでも食べ物じゃないって!
⋯⋯なるほど、それ実に現代人らしいね?
確かに〝推し活〟もまた
現代における信仰の一形態⋯⋯
そう考えれば
なんとなく筋が通るじゃないか」
そして、にやりと微笑んだアラインは
メイドの顔を覗き込むと
わざとらしく彼女の顎に指を添えた。
「なら──ボクは⋯⋯
キミの〝推し〟になれたってこと、かな?」
その指先に触れられた瞬間
メイドの瞳は見開かれ
顔がぱんっと真っ赤に染まった。
「わ、わたくしのっ、最推しはっ!
ライエル様ですがっ⋯⋯っっ!」
口ではそう断言した。
だが──
その心の内では
〝美しい!麗しい!神か!?天使か!?
いや違う!これは現人神ッッ!!!〟
〝顎に指ッ!?顎に指って何!?
ずるいッッッ!何その角度ッ!
何その睫毛の長さッッッ!!?
ふぇぇぇええええ!!!!〟
と、もう賛美の嵐が
心の中で吹き荒れていた。
魂が叫び、信仰が膨張し
まるで嵐のように全身を駆け巡るそれを──
時也はまたもや
ぎりぎりの耐久で受け止める。
(だ⋯⋯だから⋯⋯熱量を⋯⋯
下げてと⋯⋯言っていますのに⋯⋯)
心の中で泣きながらも
桜香る耳飾りに助けられ
必死に耐える時也の瞳に
ほんの少しの尊さが宿っていた。