テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
27
にこにこ
963
にこにこ
4,627
隔離が解除されてからというもの。
ひでは以前と変わらず、毎日病院へ通った。
病室のドアを開けると、愁斗が笑っている。
その光景が、何より嬉しかった。
『今日の調子は?』
「今日はね。」
「中庭まで歩いた。」
『おっ、すごいじゃん。』
「あとね。」
「階段も少しだけ上った。」
『先生の許可は?』
「……あるよ。」
少し間があく。
『その”間”は怪しいな。』
「ばれた?」
二人で笑う。
その笑顔が増えていくたびに、ひでは安心していた。
もう少し。
もう 少しで退院できる。
そう信じていた。
数日後。
病室へ入ると、愁斗は長袖のパーカーを羽織っていた。
真夏だというのに。
『……暑くない?』
「平気。」
『病室、エアコン効いてるとはいえ、その格好は暑いだろ。』
「そんなことない。」
笑ってごまかす。
でも。
どこか無理をしている笑顔だった。
ひでは首をかしげる。
『顔、赤くない?』
「……そう?」
『熱ある?』
「ないよ。」
『ほんとに?』
「うん。」
そう言いながらも、愁斗は目を合わせようとしない。
その時だった。
コンコン。
「失礼します。」
看護師が点滴の交換にやって来た。
「愁斗くん、袖を少しまくりますね。」
「……はい。」
ゆっくり袖がまくられる。
そこで。
ひでの視線が止まった。
『……愁斗。』
腕には、小さな赤い発疹がいくつも広がっていた。
『それ……何?』
愁斗は反射的に腕を引っ込める。
「見ないで。」
『なんで隠すんだよ。』
「……別に。」
看護師が静かに説明する。
「昨日の夜から発疹が出始めて。」
「少し熱も上がっています。」
『熱……?』
「無理をしすぎたのかもしれませんね。」
その一言で、全部つながった。
毎日の歩行練習。
階段。
食事。
笑顔。
全部。
“早く元気になりたい”
その一心だった。
『なんで言わなかった。』
愁斗は俯く。
「……せっかく。」
『え?』
「せっかく。」
「また会えたから。」
「また会えなくなるのが嫌だった。」
『……。』
「だから。」
「これくらい平気だと思った。」
病室が静まり返る。
ひでは深く息を吸った。
怒鳴ることはしない。
でも。
その声は、今までで一番強かった。
『嬉しかったのは俺も一緒だ。』
『また話せるようになって。』
『また笑えるようになって。』
『俺だって嬉しかった。』
『でも。』
『無理して倒れたら意味ないだろ。』
『もっと自分を大事にしろ。』
愁斗は黙ったまま、シーツを見つめる。
長い沈黙。
そして、小さく口を開いた。
「……分かんない。」
『え?』
「自分を大事にするって。」
「どうすればいいのか。」
ひでは言葉を失った。
愁斗は続ける。
「今まで。」
「誰かを優先するのが普通だった。」
「下の子が泣いてたら、そっち。」
「先生が忙しそうなら、そっち。」
「俺は。」
「後でいいって思ってた。」
「だから。」
「自分を大事にするって言われても。」
「分かんない。」
その言葉を聞いた瞬間。
ひでは胸が締めつけられた。
この子は。
今まで一度も、自分を一番にしてこなかったんだ。
ひではベッドの横に腰を下ろす。
『じゃあ、一つだけ約束しよう。』
「……?」
『苦しい時は、苦しいって言う。』
『辛い時は、辛いって言う。』
『無理だと思ったら、無理って言う。』
『それだけでいい。』
『それが、自分を大事にする第一歩だから。』
愁斗はゆっくり頷いた。
「……うん。」
『約束。』
『約束。』
二人は小さく笑い合った。
その日の夜中。
今日は簡易ベッドで泊まれる許可をもらっている日。
静かな病室。
安心して愁斗は眠りについていた。
規則正しいモニター音だけが響く。
ひではふと目を覚ました。
何となく。
本当に、何となく。
愁斗の方へ目を向ける。
『……。』
白い枕。
そこに。
赤。
『……っ。』
一瞬、思考が止まる。
片方の鼻から流れた血が、枕へ筋を作っていた。
シーツにも小さく広がっている。
『愁斗!』
肩を揺する。
「……ん……。」
起きない。
もう一度。
『愁斗。』
ゆっくり目を開ける。
「……ひ、でくん?」
寝ぼけた声。
『鼻血出てる。』
「……え。」
鼻へ触れる。
その瞬間。
どろっ。
また新しい血が流れた。
「っ……。」
首元へ落ちる。
シーツへ落ちる。
止まらない。
ひでは一気に血の気が引いた。
(まずい。)
(思ったより多い。)
(落ち着け。)
(俺が焦ったら愁斗も不安になる。)
急いでガーゼを取り、鼻へ当てる。
『大丈夫。』
声はできるだけ穏やかに。
『大丈夫だから。』
でも。
心臓だけはうるさいくらい鳴っていた。
(止まってくれ。)
(お願いだから。)
(また貧血になる。)
(また倒れたら。)
いろんな考えが一気に頭をよぎる。
それでも。
表情だけは崩さない。
『愁斗。』
「……。」
『ゆっくり息しよう。』
「……うん。」
『俺見て。』
愁斗は小さく頷く。
その顔はもう白くなり始めていた。
『大丈夫。』
『ちゃんと止まる。』
『俺がいるから。』
その言葉は。
愁斗へ向けたものでもあり。
自分自身へ言い聞かせる言葉でもあった。
『愁斗今頭ぼーっとするとかある?』
「……。」
『正直に言っていいんだよ』
「視界は…ぼやける、 」
『わかった、目、瞑ってな』
数分。
いや。
ひでには何十分にも感じた。
ようやく血の勢いが弱くなる。
ガーゼを少しだけ浮かせる。
まだ滲む。
『もう少し押さえよう。』
愁斗は小さく頷く。
「……ひでくん。」
『ん?』
「怖い。」
その一言で。
ひでの胸が締めつけられる。
『うん。』
『俺がいるよ。』
「……うん」
「ごめんね、、急に」
『いや。』
『俺は大丈夫』
「……うん。」
その愁斗の顔を見て。
ひでは心の中だけで呟く。
(違う。)
(本当は。)
(めちゃくちゃ怖かった。)
(また何かあったらどうしようって。)
(助けられなかったらどうしようって。)
でも。
その言葉は飲み込んだ。
代わりに。
愁斗の頭へそっと手を置く。
『ちゃんと守るから。』
『もう、一人にはしない。』
――朝方…
昨日の鼻血が心配で、
何度も何度も目を覚ましてしまった。
太陽が登り始めた頃、
いつもと違う寝汗。
顔の赤み…。
ポリポリポリポリ……
(首、、発疹できてる…)
(痒いのかな…… )
寝ながらに、掻きむしる。
何かおかしいと思ったひでは、
そっと体温計を忍ばせた。
38.9℃。
やばい。
すぐに看護師さんを呼んだ。
点滴を追加してもらったが、
そのあとすぐに
愁斗の熱は、一気に四十度近くまで上がった。
腕だけだった発疹は、首や胸元にもどんどん広がっていく。
主治医が静かに告げた。
「念のため、もう一度隔離病室へ移りましょう。」
看護師が車椅子を用意する。
愁斗はゆっくり立ち上がった。
病室を出る直前。
廊下で待っていたひでと目が合う。
数日前までなら。
きっと笑って、
「大丈夫。」
と言っていただろう。
でも今日は違った。
約束を思い出す。
“苦しい時は、苦しいって言え。”
愁斗は勇気を振り絞る。
「……ひでくん。」
『うん。』
「少し。」
一度言葉を飲み込む。
そして、震える声で続けた。
「……少し、怖い。」
ひでは迷わず車椅子の前にしゃがみ込む。
そっと愁斗の手を握った。
、
『言えたな。』
その一言に。
愁斗は静かに頷いた。
『大丈夫。』
『今度は、一人じゃない。』
車椅子がゆっくり動き出す。
握られた手は、隔離病棟の扉が閉まる最後の瞬間まで、離れることはなかった。
コメント
2件

続き待ってます
うわ、第16話めっちゃ泣けた……。愁斗が「自分を大事にするってどうすればいいのか分かんない」って言ったところでグッときた。今まで誰かを優先するのが当たり前だった子が、初めて「怖い」って言えたの、ひでとの約束がちゃんと生きてる証拠だよね。鼻血のシーンもめちゃくちゃリアルで、ひでの「俺がいるから」って自分に言い聞かせてる感じが伝わってきて胸が苦しかった。続きが気になる…!