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漆黒の夜空には、ただ冷たい月光だけが落ちていた。塔の影が街路を縫うように伸び、死の静寂が街全体を覆う。赤黒い霧が街の路地を漂い、そこに潜む生者と死者の境界を曖昧にしていた。カイラスはリリスの小さな手を握り、闇に沈む街を進む。その視線は常に前方、そして背後の影に潜む何かに向けられていた。
「……カイラス、私……怖い」
リリスの声は震え、血の香りが立ち込める中でかすかに震動した。夜に染まった街の空気は、血と恐怖の混ざり合った匂いで満ちている。カイラスは彼女を抱き寄せ、冷たい瞳で周囲を警戒した。
「怖がるな、リリス。恐怖は力になる。お前の血の渇望が、敵を斬る刃になるのだ」
彼の声は低く、まるで闇そのものに溶け込むかのようだった。その言葉に、リリスの胸が震える。血の契約を交わして以来、彼女の内で何かが目覚めていた――人間としての理性とヴァンパイアとしての本能、愛と渇望、欲望と恐怖が渦を巻く。
二人の前に、銀色の牙を持つ集団が現れる。血の渦に呼応するように、闇の影が蠢き、牙と爪を光らせた。獲物を狩る野獣のように、彼らの動きは俊敏で冷酷だった。カイラスは羽を広げ、鋭く尖った爪で敵を迎え撃つ。翼が夜風を切り裂き、黒い影が敵を覆う。リリスはその隙間に身を潜め、初めて自分の血の力に触れる。腕に走る冷たい感覚が、彼女の心臓を高鳴らせる。
「……これが、私の力……?」
カイラスは頷く。「そうだ、リリス。恐怖に屈するのではない。恐怖を受け入れ、力に変えるのだ」
リリスはゆっくりと息を整え、黒い血の光が彼女の指先から零れ落ちるのを感じた。闇の渦がそれを吸い込み、敵に向かって飛翔する。小さな手の中で生まれた力が、初めて敵を撃退した瞬間、リリスは恐怖を超えた快感に震えた。血の香りが彼女を包み込み、渇望が彼女の身体を支配する。
「……怖くない……むしろ……気持ちいい……」
囁く声は甘く、危うい。カイラスはリリスの頬に手を添え、微笑む。「良い。お前の力は、まだ序章に過ぎない」
その時、遠くで光が瞬く。天上界の使者たちが、純白の羽を広げて迫っていた。銀色の光が夜を裂き、冷たい風が吹き抜ける。彼らは、堕ちた者たちを浄化するために来たのだ。
「……また来たの?」リリスの声には戦慄が混ざる。
「構わない。俺たちの血と愛があれば、誰もお前に触れさせはしない」カイラスは断言した。
翼を広げた彼の姿は、漆黒の王のように威厳を放つ。背後で闇の渦が膨れ上がり、街全体を飲み込もうとしていた。
天使たちは襲いかかる。光と影の戦いが始まった。天の光の刃がカイラスを切り裂こうと迫るが、黒い翼と血の力がそれを弾く。カイラスの爪が光を裂き、闇の血が跳ねる。リリスもまた、覚醒した血の力を駆使し、天使たちを押し返す。血の渦が街全体を覆い、夜は完全に支配される。
しかし、戦いの中で、リリスは初めて自分の感情に気づく。恐怖と渇望、愛と怒りが入り混じり、身体中を駆け巡る。カイラスへの想い、彼に守られたいという欲求、そして血の契約によって芽生えた衝動――それがすべて一体となり、彼女を新たな存在へと変えていく。
「カイラス……私……あなたと一緒に……」
リリスの声にカイラスは微笑む。だが、その瞳には悲しみも浮かんでいた。世界を破壊し、愛を守るために戦う彼の心は、既に孤独を知っている。愛する者を守る力は手に入れたが、完全に取り戻すことはできないという現実が、冷たく彼を締め付けていた。
血と牙、闇と渇望、愛と戦慄。夜の戦いは果てしなく続き、街は血の渦に飲み込まれた。カイラスはリリスを抱き、全ての敵を蹴散らしながら、心の中で誓う。たとえ世界を焼き尽くしても、彼女だけは守る――そのためなら、彼は闇に堕ち続ける覚悟を決めていた。
遠くで、夜明けの兆しのように血の霧が赤く染まる。血と愛が交錯する中、カイラスとリリスは互いの存在を確かめ合う。夜の戦いの渦に身を委ねながら、二人は初めて、闇の中で完全に一つとなる感覚を知る。愛と渇望が融合し、血の力が最高潮に達する瞬間、世界の夜はさらなる混沌に包まれる――そして、戦いはまだ終わらない。