濃い緑に囲まれた新しい山里を眺め、刀の鉄の匂いと温泉の濃い硫黄の混じったかおりを吸い込みながら、私は言葉を落とす。
『私、時透さんのことが好きかもしれない』
「え?」
刀鍛冶の里に上弦の鬼が襲来。そんな嵐のような出来事から数週間が経った。
あの夜。たくさんの人が犠牲になり、命を失った。何度も傷つき、血の匂いを嗅いだ。
だが、大人たちの話によると里全体としての被害は最小限に留められたという。おかげで万が一の為に用意していた空里への転移も、素早く開始できたらしい。今ではもう里の住民全員が空里へと移動して、いつも通り刀を打っている。
─…しかし被害者が出てしまったのも事実。瓦礫の下敷きになって体中の骨が粉々になった人や、鬼の攻撃で目が見えなくなってしまった人、体の一部を失ってしまった人もいる。
馴染みのある名前が刻まれた墓たちに手を合わせ、花と刀を添え、何度も涙を流した。
金剛寺さん。鉄尾さん。鉄池さん。鋼太郎さん。鉄広さん。
何本もの刀で体を貫かれ、臓器を切り刻まれ、まるで彫刻のようにしたてられていた血塗れの死体たちが記憶の中で何度も繰り返し浮かび上がる。鼓膜を破るような大好きな人たちの断末魔が耳から離れてくれない。頬にべたりと飛び散ってきた生温い返り血の感触を思い出してしまい、背筋に嫌な汗が走った。
あの時、何度も死ぬと思ったし、実際に何度も死にかけた。もう駄目だと腹をくくった。
だけど頬に飛び散ったその血を拭ってくれたのは、恐怖に震えることしかできなかった私と小鉄くんを助けてくれたのは、大好きな人たちの仇を取ってくれたのは。
─…「邪魔になるから、さっさと逃げてくれない?」
瞼の裏に、あの無造作に肩を越えて背に流れ落ちていた長い黒髪が蘇ってくる。
どこか無垢な幼さが残っている中性的な顔立ち。記憶の中に色濃く残る私たちを庇うように刀を構える姿は、年頃の少年らしさを保ちながらも鬼殺剣士としての鍛えられた強さを感じさせていた。
時透無一郎。
口の中でこっそりとその名前を唱える。その途端、胸がきつく締めつけられた。だが不思議と「痛い」とは思わなかった。むしろ甘く心地よい。初めての感情に胸の底で心臓が悲鳴を上げる。
『いや“かもしれないじゃない”。私、時透さんが好き』
「……え?」
『霞柱、時透無一郎さん』
「…………え?」
『叫んであげようか』
小鉄くんが放心したように同じ言葉を繰り返す。その口元には鋼鐵塚さんからくすねてきたみたらし団子のたれとともに困惑の表情が広がっていた。その困惑を拭うことも、笑って誤魔化すことも、今の私には出来なかった。
「え、うそ〇〇ちゃん…と、時透さん?時透さんが好きなの!?」
小鉄くんは大きく息を吐き出すとものすごい勢いで言葉を紡ぎだした。団子の串を持つ手をバラバラと振りながら、まるで突風にでも吹かれたかのようにあたふたと落ち着きを捨てていった。その声と動きがあまりにも大きすぎて、思わず頭を抱えたくなる。
だが、無理もない。小さいころからずっと一緒に居た小鉄くんにこんな話をする日が来るなんて私自身も思わなかったのだから。
初めて。初めての感情。なんで、どうしてこんなにも目の前がフワフワしているんだろう。
…初恋。そう自覚した瞬間、ぶわりと体の体温が一気に上がって、顔が赤くなった。
『うわぁ恋文ってどんなことを書けばいいのかなぁ。あなたのことを考えていると胸がトゥインクルトゥインクルとか?』
「いいんじゃないですかねそれで」
呆れたような声が隣から聞こえてくる。視線を向けると、声色通りの表情の小鉄くんが居た。
「本当に好きなんですかぁ?それ」
最後の一口を食べ終えたらしい小鉄くんが呆れ顔のままそう言葉を零し、私を見つめる。
反論しようと開いた口が、まるで空気が抜けたようにすうっと閉じていった。
─…確かにこれが「恋」だなんて言うのは、少し違うのかもしれない。ほとんど初対面だし。
ただの感謝、憧れ、尊敬──それらが絡まり合った、尊重以上恋愛以下の感情。そう考えると、急に自分の気持ちが曖昧になって、分からなくなっていく。
──恋とは、いったい、何なのだろう。
こういう話題は既婚者の鉄穴森さんあたりにでも聞いた方がいいのかもしれない。
そう思った瞬間。
「あ、居た」
不意にここに居ないはずの“彼”の声が聞こえてきた……気がする。
鼓膜にゆっくりと染みついていく低くて落ち着いた声色に脳が真っ白になり、思考が止まる。まるで世界がぐるぐると回っているかのような錯覚に陥った。
居るはずがないのに。それなのに、“彼”の姿が脳裏に過る。
「えっ、時透さん!?」
小鉄くんのその言葉を聞いた瞬間、どくんと心臓が大きく飛び跳ねて暴れだした。脳がその名前を理解するよりも先に体が動き、バッと顔が不自然なほど深く俯いてしまう。それがどれだけ不自然な行動であることか自分でも分かっていた。それでも、どれだけわかりやすい行動だとしても、今この状況で顔を上げることなんて今の私には到底できなかった。
どうして。なんで。
彼がここに、目の前に立っている。見なくても、気配でわかる。普段そばにいる“刀鍛冶の人たち”とは違う、強くて慈しい気配。ちらちらと視界の端に映る隊服の色と服のかすれる音に、心の中の何かが一気に弾けそうになるのを感じた。
…─よし、逃げよう。
これ以上この場に居ると頭がおかしくなってしまう。逃げるしかない。そう強く決意して体の向きを変えた瞬間、小鉄くんの小さな手がとんでもない力で私の顔を掴み、いつものあのひょっとこの仮面をかぶりながら鼻息荒く告げた。
「ほら〇〇ちゃん!時透さんが来てくれましたよ!」
挨拶ぐらいしたらどうですか!と俯かせていた顔を勢いよく上げられ、反射的に体が小鉄くん、そして─時透さんの元へと動く。
その瞬間、いつも思い浮かべていた“彼”の顔が、視界いっぱいに広がった。
彼が…時透さんが今、私の目の前に立っている。その事実が私の心臓を乱していく。
「…こんにちは」
時透さんが、私を見つめながら小さく会釈をした。その視線に、私は何度も息を呑む。
どうにかして挨拶だけでも返さなければと思うのに舌の上を転がる言葉たちはバラバラに千切れてしまってまともな音にはなってくれない。
ただ唇が震えるばかりで口を開けても何も出てこない。
「あの後、小鉄くんとは会ったけど君とは会ってなかったから」
彼の声がまるで水の中で喋っているかのようにぼんやりと私の耳に届く。その声を理解する前に、ただただその声に引き寄せられて意識が薄れていく。
「怪我、大丈夫?」
彼が首を傾げる。私を見つめたまま。
『だだだいだいじょ、だい大丈夫です…!』
口から流れてきた声はお世辞にも可愛いと言えない濁った声。
ああ、だめだ。何やってるんだろう私。泣きそう。
やっぱり逃げた方がよかったなと小鉄くんを睨みつけたその瞬間。
「そう。よかった」
大きな湿布が張られた頬に軽い笑みを浮かべながら、時透さんは私にそう告げた。
そんな笑みに、息をするように自然と惹かれてしまった。
あぁ、やっぱり好きだ。尊敬とか感謝とか、そういうのじゃない。それ以上の感情。その存在に名を与えた瞬間、それが「好き」という感情だったとようやく納得がいった。
『あ、あの!』
言葉を探す舌がもつれそうになりながらも、どうにかして声に変えようと焦る。まるで心が先に走ってしまって、口が追いつけないような、そんなもどかしさの中で──私は、必死に言葉を紡いだ。
『好きです!!!!!!』
みんないっぱいコメントといいねありがとうねだいすき
コメント
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やだ見れてなかったごめんネт ̫ т 告白しちゃった…😻😻
まってあなたのことを考えていると胸がトゥインクルトゥインクルしんどいWWWWWWW 奥手な夢主ちゃん‼️まさかの告白⁉️🙊
えまってまって急展開😳😳 最高すぎだよよよ💖