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ー十年前ー
当時五歳のフェリエラの生活は、何とも惨めなものだった。
子供というのは夢を見るものだ。
全員が、自分は英雄になれる。自分は最強だ。誰よりも優れている。といった根拠の無い自信を持って生きている。
だが、彼にはそれがわからなかった。
「お前のせいだ! お前が殺したんだ! 反省しなさい! ごめんなさいって言いなさい! ほら! どうした!」
ダブルベッドの上に縛り付けられたフェリエラは、男にそう罵声を浴びせられながら殴り付けられていた。
何発も何十発も、何百発も。何万、何千、何億と。
フェリエラの母は冒険者だった。が、つい先日に上層制覇後、中層第十一階層にて不運にも【英雄級:謳う母】と遭遇。
数日後、肉塊として見つかった。
ぐちゃぐちゃの血どろみの中に埋まっていた結婚指輪が、それが彼女だったのだという揺るぎ無い証拠だった。
そう。このフェリエラを殴っている男は、彼の実の父親である。
フェリエラの血が男の拳を赤く染める。こっちの指輪も母の物と同じように血腥くなっていくのだろうか。
かつて純白だったベッドは、彼女が毎日のように雑巾をかけていた床は壁は、もはや見るも無惨なほどに、フェリエラの色で溢れていた。
父親も冒険者だった。あの日、母と共にダンジョンに潜ったというのに、彼女を一人置いてのうのうと逃げてきたのだ。
フェリエラを殴っては、回復魔法をかけてまた殴る。
拷問のようにただ淡々と永遠に。こうなってから、日は何度沈んでいただろう。
初めは喚いて抵抗もした。
だが、段々とフェリエラは本当に自分が殺したのだと思うようになり。今ではもう、これも当然の報いとして受け入れていた。
フェリエラには夢があった。
いつか自分も両親と同じ冒険者となって一緒のパーティーに入り、ダンジョンを制覇する。
母と父が後衛。自分は英雄のようにその先頭に立ち、ドラゴンだって何だって一撃で葬ってやるのだ。
しかし、今やもう、その夢は消え捨てた。
叶わなくなったからではなく、この現状で夢を持つことが出来なくなってしまった。
想いも心も意識も、身体から離れたどこかでフェリエラ自身を眺めてる。
そんな彼の中に、僅かに残った最後の感情。
『腹が空いた』
ただ、それだけだった。
でも、それだけでも、今の彼を動かすのには十分だった。
フェリエラは殴られながら、ヤツに悟られぬように、殴られた衝撃と共に掌の方向を傾けていく。
そして、針のような形状の小さな石を土魔法で形成し、同時に風魔法でそれを飛ばす。
その小さな攻撃は、信じられないくらい正確に父親の首を貫いた。
床にできた水溜まりに、その血が混ざっていく。
フェリエラ、五歳。彼はその日、父親を殺した。
赤を超えて、黒くなっているシャツとズボンのまま彼は外に出た。
久しぶりの外の光は眩しいが、ウザいだとかそういう風には感じず、ただ心地よかった。
彼は自信の飢えを満たすために、足を引きずりながらも一歩一歩と進む。
フェリエラに近づこうとする者は誰もいない。子供が困っているのに、大人も見てみぬふりをしてくる。
絶望は無かった。だからといって希望も無かった。
腹が空いているから生きる。それだけだった。
そして、フェリエラも理解していた。こんな自分に手を差し伸べるような馬鹿はいないと。
期待すらせず、彼は淡々と歩く。
しかし、その時。風は吹いた。
「大……丈夫?」
彼の前髪がその一瞬、風で後ろに引っ張られ深紅の瞳は顕となり視界が広がる。
彼の目の前にいたその人は、実に奇怪な恰好をした同年代の少女だった。
黒と白の二色のみの素敵なドレス。両目には包帯が巻かれている。
こんな状態ではあるが、フェリエラはそれでもこの時、純粋に彼女を美しいと感じる事ができた。
「ぁ……あ゛、」
声を出そうとしたが、しばらく声を出せていなかったからか。それとも、父の回復魔法が完璧でなかったのか。
出てきたのは、そんなだらしの無い音だった。
何故なのかは彼自身にもわからなかったが、自分の生きる意味を。英雄を見つけた気がした。
彼の瞳には失われた光が再び宿り、それは明日を照らした。
フェリエラはその少女の手を掴んだ。
***
「ここは……」
サーシスに退避を促し、黒い渦に突っ込んだフェリエラは驚きのあまり声を零す。
渦の内部には別の空間が広がっていた。
そこでは上や下といった概念が無かった。
何を言っているのか分からないと思うが、要するに重力とは違った、別の似た力が作用していた。
上や下は重力によって定まるが、それが頻繁に変化するのだ。
一つの真っ赤な炎を纏った大きな球体があたりを照らしている。
その周りには無数の、様々な特徴を持つ球体が溢れていた。
小さなヤツが大量に、他には赤いのとか青いのとか。とにかく大量の球が黒い宙に浮いている。
その空間において光というものは存在しているが、炎の球を除いてフェリエラのもとまで届くほど強力な輝きを持つものは一つも無かった。
いや、それともあれらの球は思っているよりもずっと離れた位置にあるのだろうか。
『あら……可愛らしいお客さんっ』
突如したその声に驚き、フェリエラは警戒を更に強める。
この空間の正体もわかっていないが、それ以上にマズい事態である事をこの瞬間に彼は悟った。
見渡してみても、探知をかけても、どこにも敵の姿が無かった。
『ああ、ごめんなさい。ここよ、ここっ』
すると、フェリエラの正面の空間自体が動き出した。
それはモンスターだった。
だが、その外見は今までの常識など通じないものだ。
モンスターの見た目というのは、黒や白の一色などの地味なものが多い。
それに対し、今彼の前にいたのはこの派手な空間とまったく同じ色合いの人型だった。
それも身長なども人と変わりなく、シルエットだけであれば可憐な女性に見えるだろう。
ヤツは意図してそれをしたのかわからないが、見事に空間に擬態していた。
完全な油断。何故ここまで近づいてしまったのだろう。
その距離、実に数十センチ。
『大丈夫よ。警戒しなくても。私は何も殺しにきたんじゃ無いわ』
人語を介するモンスター。そんなものは見たことも、聞いた事もない。
それにただ、話せるというだけではなく、落ち着きや知性すら感じられる。
つまり、あるとすれば深層から来たという事だろう。
「ここはどこだ?」
フェリエラは戦闘しても勝てないと判断した。相手の殺す気がないという言葉に賭け、会話を試みる。
『何勝手に質問してんだよ! テメェ立場わかっってんのか? あ?』
ピリピリと空気が一気に震える。
ヤツから溢れんばかりの敵意、殺気、覇気が吐き出される。
『ふふっ……。冗談よ、冗談』
先ほどのオーラは消えたが、フェリエラの身体は未だその余韻で震えていた。
全身から力が抜け、立つのでやっとという状態だ。
『ねえ? あなたに質問があるの。私の質問に答えてくれたら、あなたも私に質問してくれて良いわ』
一見平等な条件に見える発言。
しかし、先ほどの圧倒的な能力差を目にした今では、そうは思えない。
フェリエラが、ヤツの意思に沿わない答えを出せば、直後に首が飛ぶだろう。
『じゃあ質問よ。私も名は忘れてしまったのだけど、とある【祈り人】を地上へ連れ出した者を知らない?』
フェリエラの額を汗が流れる。
ヤツの言葉を何一つとして理解できない。
【祈り人】にも名前がついているのか。モンスターを地上へ連れ出した人がいるのか。
ただ素直に『わからない』と、言ってしまって良いのか……。
だが、問答に間が空くほど疑われ、不利になるかもしれない。そう思い、フェリエラは口を開いた。
「知らない……」
『そう。なら、次はあなたが質問をする番よ』
さて、どうしたものか。答えによっては確実に殺される。
ここは安全に『あなた方にも、名前があるのですか』なんて事を聞くべきなのだろうか。
フェリエラは迷い迷った。
その最中で、良くない思考が頭を過る。
知りたくはある事だった。だが、聞いても良い事なのかはわからない。
迷いではなく、葛藤。
しばらく沈黙した後、彼は選択した。
「お前、何階層から来た?」
彼の中で勝ったのは、好奇心だった。
『そうね。自己紹介がまだだったわ。私はー』
ヤツは意外にも答えた。
だが、それはフェリエラとの間に絶対的な覆るはずのない差があったからかもしれない。
次の瞬間、ヤツの言葉でフェリエラは恐怖のあまり身動きが取れなくなる。
それは、十年前の死の淵を生きた時よりも、ある意味絶望的な状況だった。
わかってはいたさ。深層から来たのだろうと。
わかってはいたのだ。
『深層、第四十七階層守護者【最後の魔術師】と申します』