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ジャスパー社を継承したゴング音楽産業は外資系企業だ。文字通り壁の外から来たミュージシャンのたまり場だ。
「それが壁の街の音楽を濁している」カクタスの悪態が受忍限度を超えた。倦怠期のストレスを割り引いても耳障りだ。アーニャはレコーディングスタジオで降板をほのめかした。
「それは構わないが君の育てた後進の芽は誰が育むんだ?」カクタスは現実主義者らしくアーニャが抜けた後を懸念した。ゴングの若手は外タレを排除して自給自足できるレベルにほど遠い。
「わたしの夫」アーニャは即答した。「は? 言っちゃ悪いが彼奴はヨソモノだぞ」「じゃ、お返しに忌憚なしで言うけど、コンクリさんと彼は相性抜群なの」「はああああ?」
カクタスは折れんばかりに仰け反った。アーニャは熱弁した。コンクリ女と日向の感性はまさに鉄板だ。そしてそれが壁の街の構造不安をもたらしている。
二人が生み出す強烈なバイブレーションは中心広場の銅鑼と不協和を起こしている。その不自然な波長にも部分一致する箇所があり、最小公倍数のうねりが偽善的な合成を作り出している。「だから、わらわらとミュージシャンが押し寄せるのよ」カクタスはポンと膝を叩いた。「じゃ、コンクリは計算づくで日向に招待状を出したのか!」「ええ」「あの女め! じゃあ、コワルスキー一派を排除したのも…」
「予定調和よ!」「そうか! そういうことだったのか!!」カクタスは窓辺の銅鑼を睨んだ。「夫が戦列に加わればファンキー鉄板溶かしが完遂するわ」アーニャは持論を続けた。腐敗は温存されていた。ゴング音楽産業に群がる有象無象は銅鑼が奏でるデカダンスな音色を利権構造の主柱にしていた。
「ちょっと待ってくれ。あれを壊したら俺とコンクリもおしまいだろうが!」
日向は思いっきり反発した。鉄板な音楽性は鉄板ありきで成立する。「わたし、コンクリさんを許そうと思う。それに自慢の夫が街のマストになれるなんて素敵じゃない?」
「おま…コンクリと俺が接近するんだぞ?」「カクタスが手綱になる」「お、おう…」「それに壁の街を根本から作り直すには腐った根っこを銅鑼ごと溶かすべき」日向はアーニャにコンクリ女の思いに応えることができる。そう信じた。
日向の思いはアーニャをコンクリ女のもとで守ることにある。アーニャはコンクリ女を守るために日向を駆り立てるのだ。この二人の想いがこの世界を繋げている。日向の心にコンクリ女の思いが流れ込んできた。
「今すぐ中止するんだ! ジャスパーが保釈金を用立てした」控室のカーテン越しに注意された。オーディションは日向ファンの声援を受けて開催され、でゴング音楽出版に正式契約を強いるものではない。「私だって準備に奔走したのよ。支持者に顔向けできない」アーニャは鏡台に向いたまま拒んだ。
「警告はしたぞ」カクタスの足音が遠ざかる。ミューズがむずがる。「コワルスキーが怖くてキャンセルするなんて臆病者《コワード》のする事よ」コンクリ女が見せパンにスカートを重ねる。
カメラが更衣室から会場に切り替わる。
「大入りのようだね。これで貴賓室も更新できるだろう」カッチーニがふんぞり返った。椅子がキィときしむ。「相変わらず手厳しい」ジャスパーが苦笑する。その背後でメタリックな機器類がLEDに塗れている。「388.16プラーク。セリノン中性子星が重力崩壊する音で宜しいか?」
バイザー姿の技師が念を押す。「ああ、他に何が勝る? 宇宙で最も猥雑《ファンキー》で旺盛なサウンドだ。星の遺言は生きとし生ける者すべての営みを包含する。人間は愚かだよ。
舌足らずな言葉と簡素な音階を矮小な情緒で粉飾する。恒星の輻射は系を余すところなく描写できるというのに」セメントは饒舌だ。中央広場の特設ステージは溶けかけた銅鑼と茶番劇に群がる愚民を頂き、ドラ息子の掌にある。「お言葉ですが、科学アカデミーの速報値ではギャモン座の新星が…」パン。発砲音が減らず口を塞いだ。「お前より先にカクタスを処すべきだったか」ジャスパーが銃と遺体を部下に片づけさせた。
「あれはまだ使い道がある。今必要なものはホワイトノイズだ」「しかしカッチーニ。彼の才能は惜しい」「惜しくはない。ただの邪魔な荷物だ」「だが……」「なら、君がやるか? どうせ、今度の契約はお流れだ」「いえ、遠慮しておきます」「なら、黙ってろ」「はい、失礼しました」
ジャスパーは一息つくと再び話し始めた。「コケ脅しはやめて、もっと現実を見たらどうだ」セメントが口を挟んだ。カクタスは沈黙する。バイザーの技師は無表情だ。会場からは罵声と野次しか飛ばない。アーニャは演奏を始める。日向は聴衆の中にコンクリー女を認めた。彼女から熱いエネルギーが流れてくる。
日向はそれを心地よいと感じた。コンクリ女はステージ上の日向を見つめながら言った。あなたは本当にすごい人よ。わたしと日向を引き合わせたんだもの。わたしはあなたを愛してる。でもあなたの音楽は理解できなくて苦しかったわ。だから、わたしたちは音楽を通じて結ばれた。ねえ知ってた? 音楽には魂がないの。だから音楽は愛せない。魂が音楽を理解するのよ。日向は音楽の魂を見つけた。日向の演奏が銅のドラムを打ち鳴らす。
「なんだ!? なんで?」「日向が銅板を叩き出した!」観客が動揺する。コンクリ女がアーニャを睨む。あんたが連れてきたの? 日向のギターが銅を切り裂いて疾走する。わたしもよ。わたしも日向が好き。わたしは音楽に負けないわ。わたしが勝った。日向の音楽をわたしは理解できる。そしてわたしは負けたの。コンクリ女は泣き崩れた。「やめるのよ!」アーニャは叫んだ。「コンクリさんの負けなのよ。あなたがいくら頑張っても壁は破れないの」アーニャの言葉は届かなかった。アーニャの目から涙が溢れ出た。アーニャの涙は銅に吸い込まれた。
アーニャの叫びはアーニャの心を傷つけてアーニャに跳ね返る。アーニャの悲しみがアーニャの心に響き、それはまた日向に伝わり日向を苦しめた。アーニャと日向が音楽に共鳴したのだ。二人は音楽によって結ばれる。コンクリ女はアーニャに気づきアーニャに駆け寄ろうとした。その時、轟音とともに銅の床が抜けた。
銅がアーニャの上に覆い被さる。アーニャ! 悲鳴をあげて日向が走り寄る。銅はアーニャに巻きつきアーニャは身動き一つ取れなかった。コンクリ女が叫ぶ。わたしが壊してしまった! わたしが、このわたしが音楽を殺した!「日向クン!」アーニャは叫んだ。コンクリ女は呆然と立ち尽くした。日向の姿が消えている。どこに行ったの? アーニャが見渡すと日向が立っていた。アーニャは安堵したが違和感を覚えた。日向がこちらを振り向かない。
アーニャがもう一度呼ぶと、今度はコンクリ女のほうを向いた。日向がコンクリに近づいていく。アーニャは慌てて日向に抱きつこうとした。日向の歩みは止まらない。
「日向クン、そっちへ行っちゃダメ! 日向クン!」アーニャの声は届かない。日向は銅に埋もれるコンクリ女の傍で止まった。「コンクリ、俺と付き合ってくれ」
日向が告げるとコンクリが溶け出した。銅が形を変えて、やがて二人の身体を包み込んだ。日向は夢から覚めた。そこは楽屋裏の薄暗がりの中でした。コンクリさんとカクタスは私の目の前でキスをしていました」アーニャは震えた声で告白を終えた。「そんな馬鹿な!!」カクタスは絶句する。
「ええ、日向も私も正気に戻れば銅に呑み込まれていたはず」アーニャは続けた。コンクリ女の魂が銅のドラムから日向に宿り日向の心を震わせたのだと、そうでなければ、なぜ、日向は銅を叩いていたのだろう?あの時の私は日向の心の叫びを聞いて銅に心を奪われそうになったけど、でも、それでも日向くんは私の元に帰って来てくれた」アーニャが涙を流した。カクタスはアーニャを優しく抱擁した。カクタスは知っていた。あの日のコンサート以来、日向がライブを行っていないことを。日向はアーニャに操られて銅を叩いていたという。
「もう、大丈夫だよ」カクタスはアーニャを安心させるように背中をさすった。
アーニャの嗚咽は次第に小さくなる。アーニャの鼓動が落ち着くのを待ってカクタスが囁く。「これからどうする? アーニャちゃんの気持ちに整理がつくまで俺が養ってやるぜ」
「ううん。自分のことくらいはなんとかする」アーニャが首を振った。アーニャは決意していた。私は音楽家になろう。そう、それがコンクリさんに対する手向けになると信じた。
「俺が一緒にいてやろうか?」カクタスが申し出た。アーニャが首を振る。「カクタスが日向を連れ戻したのは分かる。その日向を手懐けた私が、どうしてあなたを拒まなくちゃいけないの」アーニャはカクタスの腕の中からすり抜けて立ち上がった。
「待って! アーニャ! 私、決めたよ。カクタスと日向の仲を応援するよ」コンクリ女が声を上げた。「いいの?」アーニャはコンクリ女を顧みた。「いいのよ。カクタスならきっと日向を立ち直らせてくれる」「でも、コンク―リさんのことは?」「心配しないで、私、今度結婚するから」コンクリ女は笑顔を見せた。コンクリ女には、もはや未練など無かった。